見出し画像

自慢と自己開示と自分語りの間

1. [自分語りの間(ま)]

noteのコメント書きにも、何かと気を遣うものである。

「コメントは全くしません!」という方もおられると思うが、こちとら人様の記事にもウザ絡みしたくなる性分である。

リアル(現実社会)でのコミュニケーションでも、「自分語り」は疎まれるものであるため、基本的には相手方の記事にフォーカスしたコメントを心掛けてはいる。
世の中は、実に「自分の話を聞いてほしい! その話、私に語らせろ! 私が知ってるので、教えさせろ!」という人たちで溢れかえっているように感じており、故に「傾聴」とか「聞き上手」といったものがスキル扱いされ、セミナーのテーマにもなったりするのかと思う。

さて、リアルだけでなく、noteにも「自分の記事を読んでほしい!」という人たちがたくさんおられるように感じる。

それは誰しも持ち得る感情であり、私にもそのような気持ちはある。
ただし、「自分の話(=投稿)を愛するあまり、他人の投稿を軽んじる姿勢」はどうなんだろう、という疑問は絶えず持っている。
そのような姿勢に皮肉を込めたストーリーを連載小説『私に何か質問はありますか?』として投稿している。
私はnoteデビューが、ほぼほぼSNSデビューなのだが、上記の連載小説はSNSで自分が感じたショックみたいなものをテーマにしている。
そういう意味では、noteを始めていなければ、持ち得ることもなかった着想であり、書くこともなかった小説である(まだ連載中なので、ご興味ある方はぜひ^^;)。

私は、これまでも同じことをたびたび書いてきたが、noteでは自分が投稿しているほか、他人も何らかの記事や作品を投稿している(ことが多い)わけである。
他人の投稿にズカズカ入り込んで、そこのコメント欄で相手の投稿内容には全く触れず、「私の○○の記事にスキいただき、ありがとうございます。よろしければ、○○も読んでください」とか「フォロバありがとうございます」とか、「○○の記事も読んでください💕」と自分にだけフォーカスして立ち去るという心理が、私には未だに理解できない。
どんなに相手の記事に興味がなくても(!)、「タイトルが興味を惹きますね~」とか「○○さんは○○出身なのですね!」くらい書いてから、「私の記事にスキをいただき~」と御礼を書いた方がスマートではないかと思うのである。
人それぞれと言われればそれまでであるが、私とは相性が合わなそうなので、私もそういう方々も互いに(^^;)あまり距離を縮めないようとしない(向こうも「めんどくせー鳥🐦🐦だ」と思っているに違いない)。

今後、「自己愛が強いあまり、他人の投稿に対するリスペクトを欠いた姿勢」をテーマにした他のフィクションも書くかもしれない。
裏を返せば、私にとっては興味深いSNS心理なのである。

上とは異なり、相手にフォーカスしたコメントをしているようで、実は自分の話ばかりしてしまう、、、ということは、私も含め、往々に起こり得ると思う。
相手も自分の投稿に共感してもらいたい気持ちがあると思うので、いきなり「○○さんの話で思い出しました! ちょっと私の似たような話聞いて~🐦🐦」と始めるとウザ鳥🐦🐦になってしまい兼ねないので、気を付けてはいる(が、これについては、ウザ鳥🐦🐦になっていることもある。。。たぶん。。。)

※※※※※

2. [自己開示の間(ま)]

書いている内に少し熱くなってしまったが、(今日は)他人に対する批判的なことを書きたかったわけでない。
どちらかというと、内省的なことを書きたい。

要するに、、、

ハミング🐦はん、アンタはちゃんと人様にフォーカスできとんのかい?


、、、ということである。

冒頭に書いたとおり、私はnoteで誰かの投稿にコメントする際、基本的には相手方の記事にフォーカスするよう心掛けてはいる。
ただし、一方的に相手の記事の良し悪し(私の場合、noteで「悪し」についてコメントすることは基本的に無いが)のみについてコメントを書き、「では、また✋」というのも味気ないと感じることもある。

たとえば、誰かが「広島の良さ」について記事を投稿している場合、「広島についての知識が深まり、同時に広島の魅力が伝わる記事でした^^」などと書くわけだが、、、最後に「、、、私も今年、ようやく安芸の宮島に行きまして、鹿が可愛いの何のって、、、」などと自分の体験談を付け加えたくなるのである。
これにより、「私は、自分の体験談も踏まえ、アナタの記事に対し、より興味と共感ヲ覚える理由があるのですよ」というメッセージも投稿者に伝わり、投稿者との心理的な距離も縮まり、ひょっとしたら、より仲良くなれるのではと期待したりもする。

他人にフォーカスするあまり、全く「自己開示」をしないというのも、何だか淡々とし過ぎてはいないかと感じるのである。
極端なことを言えば、宮島に行ったことのある方が、私の前回の「広島旅行記事」を読んで、「よし! このハミング🐦という鳥にコメントしてみよう!」と思ったとする。
ただし、自分が宮島に行ったことがある事実は伏せて、「広島はいいところですねぇ~!」だけのコメントで終わるとすると、それはそれで「何か凄くドライな人だなぁ」と感じてしまうわけである。
そこは流石に「宮島に行った者同士」で、思い出の残像なりを分かち合いましょうぜ、、、と思ってしまうのである。

なので、今後誰かがシカゴやLAに関する記事を投稿し、私が「ヲー! 私もシカゴに短期間住んでいたことがあります。冬はやっぱり厳しいですよね!」などと書いた場合、それは私の中で「ウザい自分語りと思われるかもしれませんが、アナタとの距離感を縮めたいという健気な鳥(🐦)心ですぅ~」と解釈いただければと思う。

ただし、もう一度話が戻るが、「自己開示」も行き過ぎると「ウザい自分語り」になりがちなので、割合を考えた方が良いかとも思っている(何かと気になる面倒な性分である)。
「自己開示を通じた共感の表明」みたいなものの割合が「相手の記事にフォーカスしたコメント」を上回る場合「ウザい自分語り」になるリスクが高まる、、、ように感じており、気を付けてはいる。

↑ バード🐦さん?

※※※※※

3. [自慢の間(ま)]

相手の投稿に対するコメント書きをしていて、「自己開示」がメインにならないよう気を付けていると上に書いた。

これに加え、「自己開示」を挟むとき、最も気にすることが「これは『自己開示』を超えて、『自慢』と受け取られないか?」ということである。

たとえば、「宮島には私も3年前に行きました。日本三景だけあって、正に絶句でした!」くらいは「大丈夫(?)な自己開示」と自己判断している(宮島の話ばかり例にしているが^^;)。

ただし、これが「私は中国地方はほぼ旅行に行っており、そのほか日本国内の数々の景勝地巡りをしましたが、宮島は特にスキです!」、、、みたいになると、少し「仲良くなるための自己開示」を超えて、むしろ「反感を持たれる恐れのある自慢」に近付きやしないかい?などと心配し始めるのである(←単なる例であり、このようなコメントを実際にいただいた訳ではありません)。

私は、noteで他の方の投稿にコメントする際、この「自己開示を超えた自慢にならないか?」というポイントを結構気にしている。

誰かが失敗談を投稿していて、「そういうことってありますよね^^; 実は私も同様の失敗をしたことがあり~」みたいな自己開示であれば、「自分語りの間」に入り過ぎないよう「相手フォーカス vs 自分フォーカス」の割合に気を付けてさえいれば、「自慢の間」に入り込む危険度は低いと思う。

これに対し、自己開示の内容が「私は色んな場所に行ったことがあります」とか「私はそのことについて知識/経験を持っています」、、、的な話になると、「自慢の間に入り込むリスク」が格段に上がり、「私はお金を持っていますので、○○のような経験をしました(が、アナタにはそれができないでしょうね!)」みたいな「自己開示」になると、実に危ういレベルになると感じる。

誰かが「自己研鑽」的な志高い記事を投稿しているとき、「どれだけ自己開示をすべきか?」、「どれだけ自己開示をしてよいものか?」は、結構迷うことが多い。

自分が付いて行けるトピックとして、「私は英語の勉強をしています。TOEICや英検を年に○回受験しています」みたいな投稿を目にしたとする。
これに対し、「英語の勉強とは素晴らしいですね! 引き続き頑張ってください!」だけだと味気ない気がするので、私の場合、「TOEICは受けたことがありませんが、英検は非常にスキな試験です。○○や○○といったパートが面白いですよね!」などと書くことにより、「同志感」を出したくなったりする。

ただし、相手の真剣度が高かったり、少し仲良くなった相手の場合、「私も英検はスキで○級を数年前に取得しました」みたいな(余計な)ことを書き添えたりすることもある。
これは「○級を取るほど、私もその試験にコミットしているのです!」という思いを伝え、「単に聞いたことがある試験だから、適当に褒めているわけではないですよ。仲良くなったら、その試験についてもっと深い意見交換もできるかもしれませんね」などと、私としては少し距離を詰めようとしているわけである。
ただし、これは場合によっては、「え? 今、私の話をしてるのに、アンタ、それ自慢したいだけ?」みたいな話に受け取られ兼ねないので、自分の経験談を添えるときは、「うーむ、、、でも、これって書いた方がいいのか? それとも、、、やめとこうか、、、」ということを実は非常に悩んでいたりする。

実際、noteでこのような「自慢と自己開示の間(あいだ)」←(今回は「ま」ではなく、「あいだ」と読む)と受け取られ兼ねないコメントを書いて、少しㇺッとされた(?)ように感じたこともあるので、余計に気を付けてはいる。
↑ これについては、他人が気持ち良く記事を書いているのに、「あ~、私はその国の○○について学んだことがあり~」などと、自慢とも受け取り(🐦)得る自己開示をしてしまった私が悪かったと素直に反省している。

インフルエンサーや○○コンサルタントとして名前を出している訳でもない、、、つまりはどこの誰だか分からない人が、下手に虚勢を張って「自分は頭がいいんだぞ!」とか「自分は金持っとるで~」みたいなことをネットで書こうとすると、相手を白けさせることが多いと思うが、私もついつい見栄を張りたくなることがあるのかもしれない。

実は「自慢と自己開示の間」のコメントをして、距離が縮まり、「ハミング🐦さんも、こういうことがスキなのですね!」みたいな好意的なコメント返しが来る場合もあれば、その部分はスルーされて、何となく不快感を与えてしまった雰囲気になったこともある。
結局、人それぞれなので、コメントのやり取りを通じ、相手の性格を見極める必要があり、「この人はここまでの自己開示はOK!」「この人は前回NG喰らった感じがするので、自己開示は抑えておこう!」と、相手によって分けた対応をしているし、そうするよりほかないかとも思っている。
(↑ 実際に私の「自慢と自己開示の間(あいだ)」コメントにNGっぽい反応を示された方で、未だにコメントをくださったりと仲良くしてくれる方もおられる。皮肉でもなく、「ハミング🐦を許す」という決定をされた、その心の広さみたいなものに感服していたりもする)

基本的に相手と同程度の知識や経験に対する共感を示すため、自己開示をする分にはリスクが少ないと感じている。
これに対し、「相手が投稿している内容の少し上を行っていると思われかねない体験」などをしている場合、自己開示が「自慢」にならないよう気を付けるようにしている。

さらに気を付けなければならないのが、自己開示がすでに「自慢」を超え、「相手否定」に繋がる場合であり、これをやると一発でNG認定される恐れがあるので気を付けている。

たとえば、宮島旅行記を投稿した人(←また宮島かい!)に対し、「私も宮島に行き、弥山にも登りましたよ! 素敵な眺めが心に残ってます💕」くらいなら良いが、「いや~、弥山に登らなければ、宮島に行ったとは言えないでしょうなぁ~」などと極端なことを書くと、「え? 弥山登ってませんが、、、私は宮島行ったと言ったらアカンのかね?」みたいなことになる。

映画好きな人が結構言いがちなセリフで、私が苦手なものに「いや~、あの映画は劇場で観なければ、意味がない作品ですねぇ~」とか「あれは吹き替え版を観たらダメです!」みたいなフレーズがある。
いやいや、テンション上がってるの分かるけど、それ逆の立場で「意味がない認定」とか「ダメ認定」された立場だったら、どう思うねん!と。
もう少し「劇場で観ると、より迫力がありました!」とか、「字幕だと、○○みたいな部分が分かって、違った楽しみ方がありますよ~!」とか、少し言い方選んだ方が良いのではと思ってしまう。

、、、と言うわけで、とり(🐦)とめのないことをダラダラ書いたが、こうやって頭の中を整理しながら、思い浮かぶままにダラダラ書いてるのが楽しかったりもする。

こういったことにビクビクし過ぎていると、コメントもできなくなってしまう。
これも交流であると同時に、コミュニケーションのトレーニングでもあると思っているので、「コメント欄で失敗したからコメントはしない」という考えには今のところ至っていない(もっと大失敗したら、至るかもしれないけどね。パタパタ~🐦🐦)

今後も機会を見付け、皆さんのコメント欄に遊びに(🐦🐦パタパタ~)行きたいと思っているが、いつも「自慢と自己開示と自分語りの間(あいだ)」をパタパタ🐦🐦と飛びながら、相手にフォーカスしたコメントを貫き通すのも、なかなかに難しいと感じている次第である。

(完)


この記事が参加している募集

今こんな気分

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?