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たのしいまち

コラム:フェスティバルディレクター 三浦宏之


夏真っ盛りという言葉がぴったりの1日。今回は高円寺を歩きます。
改札出口から南口に抜け出ると、人の出の多さに驚かされつつも、なんだか嬉しいような気持ちになりました。長く続いたコロナ禍のトンネルを抜けて、皆当たり前のように外出するようになったのだなと改めて感じます。

そんな人通りの多い高円寺を南口に出て、パル商店街脇の路地を歩いてゆくと目についたのがこれ。

ゴミの造形

ただの缶ゴミです。ただのゴミではありますが、昨年くらいから街の隅や道端に捨てられている(ポイ捨てされている)ゴミがどうにも気になるのです。近くにゴミ箱があれば、落ちているゴミを本来のゴミとして全うさせるのですが、ゴミ箱が見当たらない場合は、多少の後ろめたさを感じながら見過ごしてしまうのです。これは一体どういうことか。私がポイ捨てしたゴミではないのに、それに気づいておきながら見過ごすことに、なぜ私が後ろめたさを感じるのか。。。感じなければならないのか。

ゴミが気になる理由としてもう一つ感じるのが、道端に落ちている「ゴミの造形」です。それらの多くは造形物として意識されてそこに置かれている訳ではないようです。何の意図もなく、無意識にそこに放置された結果物としての、ゴミそのものの造形と、置かれ方。なぜかしら、個人的にそこに惹かれるものがあるようです。

こういった、街のいたるところに落ちている「ゴミにすらなりきれないゴミたち」を題材に、10月に中野(新井薬師商店街のGallery“meee”)でCenter line art festivalのプログラムの一つとしてインスタレーション展示を行います。ご興味のある方は是非足をお運びくださいね。

さて、出だしのゴミを通り過ぎ(このゴミはそのまま放置することとなりました)また少し歩くと目についたのがこちら。

上方に、ぶら下がっている靴が楽しい

街の落書きですね。こういった無造作・無作為による集積と現象結果を、アメリカ発祥のカルチャー用語に当てはめるとグラフティということになります。これらの行為は器物損壊罪や軽犯罪法違反等の犯罪に当たる行為ではありますが、こういった景観を一つの文化として捉えるのか否かということは、まあ、一言で語ることは難しいですよね。落書きは法的文脈からすると犯罪であることは否めません。でも、そこに描かれたものが、もしもバンクシーによるものであったとしたら?そのものの価値は、転覆するのでしょうか。。。

パル商店街脇の路地を抜け、高円寺ルック商店街に入って、さらに南下してゆきます。ルック商店街の路地で見つけた夏の風景を2点ほど。

路地好きとしては、たまらない景色
これも路地、夏の風情と、歴史を感じます

猛暑と刺すような日差しに朦朧としながら歩いていたら、青梅街道まで出てしまいました。なんとなく西に向かって折れて、ひたすら歩いてゆくと馬橋通りに当たります。地図を見てみると、馬橋通りには猿田彦神社があるというので向かってみることに。

猿田彦神社

猿田彦神社は小さいながらも立派な神社でした。暑い中を歩き続けて、少々バテ気味だった気持ちと体がリフレッシュするような気がしました。

日よけ屋根付きの古いベンチ

今年の芸術祭の成功を祈願し、屋根付きのベンチで一休み。神社の境内に座って、旺盛な蝉の声に耳を澄ましていると、なぜでしょう、子供の頃の記憶(というよりも身体感覚に近いもの)が蘇ってきました。居場所や風景、それらが五感に与えるものは、時間という概念からも解放され得るものなのかもしれません。

猿田彦神社を後にして、高円寺駅方面に向かって歩いていると、遠くから祭囃子が聞こえてきました。もちろん、祭囃子の音を頼りに、音の発信源に向かうこととしました。時折祭囃子が途切れてしまうこともあって多少迷い道しましたが、辿り着いたのが「馬橋稲荷神社」です。

馬橋稲荷神社の緑深い参道
境内は大にぎわいでした
このレールの正体は?
こども電車でした!
祭囃子も本格的です

地域のお祭り。
おそらくは、コロナ禍の影響で3年ぶりの開催となるのでしょう。お祭りを待ちわびていたであろう沢山の人たちで境内は大にぎわいでした。こういった古くから継がれてきた日本の文化が途絶えることなく長く続いてゆくということの大切さを、コロナ禍という期間によって再認識するものとなりました。長い歴史の中で、疫病が流行した後に祭り事が興るということは多くあったようですが、その理由がなんとなく理解できたような気がします。
まあ、難しい考えを抜きにして、やっぱり祭りは楽しいですね。そこにいるだけで、訳もなくワクワクするのは何故なんだろう。

お祭りを満喫して、高円寺駅周辺に戻って遅めのお昼。
今日は朝から「お昼には辛いものを食べよう」と決めていたので、タイ料理にしました。

タイ&ラオス料理 サバイディー
トムヤムラーメン 生春巻き ジャスミンライス

暑い日に食べるのは、辛いものに限りますね。
元々、タイという暑い国で培われた食文化なので、気候風土にあった料理が体にもたらす効果はやっぱりあるのだろうなと思います。日本にタイ料理が浸透し始めたのは、20年~30年ほど前でしょうか。もしかしたら温暖化の影響で、日本の気候風土がタイの熱帯モンスーン気候に近づいているのかもしれないなとも思ったりもしますが。。。とはいえ、私は好きです。タイ料理。できればパクチー沢山で。

食後も高円寺周辺をぷらぷらします。

メキシコ感は、タイポグラフィと色味かな

住宅街の一角に、異国情緒豊かな風景を発見。その日の気温や、日光の感じも相まってメキシコの街角っぽいなと思って写真に収めましたが、家に帰って調べてみたら「KIOSCO」という南米雑貨のお店だったようです。この日は、写真だけ撮って素通りしてしまったけど、次回はお店に入ってみようと思います。

その後もぷらぷらしながら、今年のフェスティバル開催会場の一つである「座・高円寺」へ。

空に映える座・高円寺のエッジ

座・高円寺では、フェスティバル初開催から続く岩渕貞太さんの即興シリーズ「リバーズ・エッジ」の上演を予定しています。演奏には、昨年に引き続き、こちらも即興演奏を軸に多方面で活動を続ける舩橋陽さんをお迎えします。
空舞台・地明かりのみの舞台空間に、からだと音が描き出す1日限りのライブワーク。みなさま、是非ご来場ください。

座・高円寺のロビーでは古本市が行われてました

真夏の高円寺。

あづま通り商店街

阿波踊りの開催も近づいている時期だったので、各商店街でも沢山お祭りがありました。

住宅街の路地で、インド・パキスタンの少年少女たちが踊りの練習をしていて、その輪に加わらせてもらったり、家の前の道に椅子を置いて座っているお爺さんに話しかけられて、ついつい長話してしまったり、一期一会の出会いにも恵まれた、今年の高円寺の街歩き。ここまで多様性に富んでいながら、全てが開かれている。街の構成は一見混沌としているように感じるけれども、そこにいる人たち皆が、しっかりと共生して街を作っている。
今回の街歩きで、高円寺という街の懐の深さを改めて感じることができました。この街に遊びにくると楽しくなるのは何故なんだろう。それは「この街を楽しんでいる」人たちによって、この街が作られているからなのかもしれない。

高円寺は、楽しい街なのだ。

高円寺で拾ったアートの種

ゴミが気になる
夏の壁
干されたプチトマト
人の気配

Center line art festival Tokyo(中央線芸術祭)2023 は「The time to sense.」をテーマとし中央線沿線地域で美術展示やパフォーマンス、ワークショップ、トークイベントなどのプログラムを開催します。
市民生活へと深く浸透する芸術創造の場を創出し、東京中心部における文化圏を西東京地域に緩やかに拡大してゆくためのプラットフォームとして継続することによって、地域コミュニティ、民間を主体とした文化創造を促進してゆくことを目標におきながら、西東京地域から全国に向けた発信を市民とともに行ってゆきます。 

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