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国内のコンテンポラリージュエリーについて一旦整理する。

今回は表題の通り国内のコンテンポラリージュエリー(CJ)の現状について整理したいと思います。
なぜ一旦整理することが必要なのか。
それは日本国内のCJ分野は海外とは異なった発展を遂げており、その結果独自のジュエリー文化を形成して様々な視点からCJについて語られています。この複雑化している現状を整理することによって、
「CJってよくわからない」
「どういった作品がCJなの?」
「CJの定義とは?」
といった多くの問いに応えられる(もしくは理解するきっかけになる)のではないかと考えています。
私が作成した資料をもとに解説していくのでぜひ参考にしてみてください。



※無断転載禁止

ざっくりとCJが入ってきたところまでの話


まずは簡単な歴史から確認したいと思います。美術史をあまり知らない方でも問題ないくらいかなりざっくりと説明します。
日本で“ジュエリー”という存在が認知されたのは、明治維新の近代化の影響で西洋式文化が入ってきた後だと言われています(明治時代以前にも諸外国との貿易やキリスト教伝来などで一部ジュエリーが認知されていましたが、一般的には普及していないので割愛します)。江戸時代までは国内で応用美術(工芸)と視覚美術(アート)といった線引きはされていませんでした。しかし、西洋美術の輸入によって国内でも分断が起こりました。アートが“上”で工芸が“下”という世界基準での分断です。さらに工芸分野は近代化/西洋化の影響を多大に受けていきます。
刀装具など江戸時代までの生活で使用されていた商品を製作していた職人は需要をなくし、生きていくためにその技術を活かす方法の一つとして西洋式ジュエリーの製作を始めました。また和装から洋装への変化も忘れてはいけません。一般的なジュエリーアイテムの他にも男性用の懐中時計や軍服の装飾なども普及していく過程で工芸の技術が重宝されていきました。西洋式の“ジュエリー”と日本の“工芸”は相性が良かった為に抵抗なくジュエリー文化が輸入されることとなりました。
※こちらについて深く知りたい方は『露木 宏【編・著】/井上 洋一/関 昭郎【執筆】/カラー版 日本装身具史―ジュエリーとアクセサリーの歩み/美術出版社』をチェックしてみてください。

次はもうCJの登場です。日本にジュエリーが広まってから僅か100年弱の話で、国内では歴史が浅いことがわかります。西洋では11万年以上前から歴史が途絶えることなく装身具が身近にあると言われているので、その違いは歴然かと思います(日本でも旧石器時代からの装身具文化はありますが、仏教伝来や生活様式の著しい変化によって衰退したり途絶えたり、諸外国の“ジュエリー”とは異なった独自の方向へ進んでいきました)。
CJの始まりは諸説ありますが、ここでは第二次世界大戦以降として仮定させていただきます。
分野の中心地はヨーロッパとアメリカでした。日本では特にヨーロッパに影響を多く受けていきますが、その影響の受け方は大きく分けて二つの方向が考えられます。一つは西洋市場中心(王道)の輸入型ともう一つは国内の既存分野と関係した接続型です。

輸入型とは読んだ字の如く西洋式ジュエリーの文脈上にある作品(もしくは文脈や市場を意識した作品)を制作する方法です。
上記でも書きましたが西洋では遥か遠い昔からジュエリーが生活環境の変化と密接に関係しており、産業革命での労働力の改革や資本主義経済下での生活格差、そして現代アートの流行と表現方法の複雑化によって“ジュエリー”を取り巻く環境が劇的に変化しました。ジュエリーがプロダクト的な位置付けではなく、アーティストの表現媒体として切り離されていくことにより専門のギャラリーやコレクターなどの獲得へと繋がっていきました。これがいわゆる世界共通のCJ市場です。この市場で流通、評価されることがメインストリームのCJと言って間違いないと思います。
日本でもこのルールに従った輸入型があります。あくまでも作品を見せる場所、販売する場所は海外中心で、西洋ジュエリー史の文脈に則って然るべき人たちによって評価されています。技術力の有無は然程関係ありませんが、現在の市場では特に純粋なジュエリーへの回帰(着用性やデザインの重要性)が求められている印象です。

そして接続型とは日本国内に元々あった分野と上手く結びついたCJの形を指します。わかりやすく説明すると、「明治維新後に西洋式ジュエリーが工芸職人たちに受け入れられた」という歴史と酷似しているのではないでしょうか。
例を挙げたいと思います。私の専門は工芸なので“工芸的CJ”にフォーカスして説明させていただきます。
工芸分野はマテリアル(金工、漆芸、陶芸、染織など)で分類されることが一般的ですが、他にも用途(器、家具、人形、着物など)でも分類されます。CJは“用途”内における着用性と結びつくことで再び工芸と接続していきました。
1950年代中頃からはイタリアやドイツからの情報が多くもたらされることになります。特にこの時代は西洋でも金属表現の可能性を探っていたこともあって、日本人の作り手たちにも受け入れ易いタイミングだったと言えます。機械的もしくは伝統的なジュエリーデザインに相対して各アーティストが自由に素材追求や技法の新たな活用方法を模索していきました。
そしてこの流れは大学教育とも合致していきます。基礎的な技術を習得後、表現方法の一つまたは研究対象としてジュエリーを制作する学生が現在でも一定数いることは周知の事実です。この他にもファッションやトレンドなどと接続したデザイン的CJや造形の追求やサイズの境界などと接続した彫刻的CJもありますが、これらは自分の専門外なのでもう少し時間をかけてリサーチしたいと思います。


複雑化していることを理解する


国内にあるCJ分野を取り巻く問題はこの「輸入型と接続型が混在しているから」だと私は分析しています。特に接続型の存在がポイントです。例えば工芸的CJは工芸市場ともジュエリー市場ともアート市場とも隔たりのある、かなり限定された状況に置かれることが多々あります。80年代から90年代にかけて国内の工芸的CJがある意味熟成してきた頃には工芸分野内で注目されていた時期がありました。しかし、これはCJと工芸が接続した一時期のムーブメントとして扱われ、その後は少しずつ衰退してしまいます。原因はやはり当時ほどのインパクトを残すアーティストや活動が残念ながら少なかったからではないでしょうか。
一方輸入型は西洋式CJにフォーカスしているので、そこには明確な文脈と市場が存在しますが、ジュエリーの歴史が浅い日本ではこの文脈やムーブメントを世間一般に説明することがとても困難だと言えます。その結果、国内には海外のような市場を構築することが出来ませんでした。また接続型の工芸的CJは工芸の文脈の上にジュエリーの文脈を上乗せしたため、さらに説明が難しくなっています。そこで起きてしまった現象を一つ紹介すると、「新しい素材や技法に挑戦した」といった表面的なコンセプトで工芸的CJを発表している人が多いということです。厳しい言い方になってしまいますが、これは歴史的に成功していた一時期の工芸的CJを模倣し続けている、または作品説明の安易さからきている結果であり、CJとの接続を当時のまま停止している状態だと感じています。つまり上記の内容で少し触れた工芸的CJが少しずつ衰退している理由に繋がるのではないでしょうか。
もちろんこれは国内の話で、諸外国では日本の工芸的CJが再注目されていることも事実です。SNSや翻訳機能の発達により、多くの情報が簡単に手に入る時代になりました。そして工芸的CJはこの流れに非常に上手くマッチしたと言っても過言ではありません。特に写真で情報を収集していた2010年代以降からはその恩恵を受けた日本人アーティストが多かった印象です。文脈との結びつけはアーティスト側がしなくても評価する側が意識的にしている(作り上げている)場合が多く、また着用者はそんなことは気にせず単純にコレクションを楽しんでいる方も大勢います。作品単体(モノ)を魅力的に造形、装飾するこの思想が工芸的CJの強みであり、SNS時代に海外で受け入れられた理由かもしれません。

話を戻します。問題点を整理すると、「CJ作品を発想する軸足がどこに着いているか」ということを誰か説明しているのか?です。
これは作品を解説する際に出てくる問題で、出発点の違いの他にゴールの違いにも繋がっています。アート分野を例に挙げますが、現代アートはご存知の通りジュエリー分野よりも出発点からの出力方法そしてゴールが多岐に渡っています。しかしCJのそれとは大きく異なります。なぜならアート分野では多くの有識者が国内の為に文脈を作り、説明し、一つの文化として定着させてきました。そしてその結果お金を動かすことにも繋がっています。※ここもかなり重要なポイントです!
しかしCJにはこの一連の循環機能がありません。バラバラな場所でバラバラな定義を発信しバラバラな状態のままで“CJ”という単語だけを共通に使っています。個々で見たらきっとどの“CJ”も間違いではないのかもしれません。それらをまとめて説明する拠点となる場所/人がいないことが最大の問題であり、解決すべき根幹部分だと私は思います。


この問題を解決する為に


多くの素晴らしいアーティストが日本から出てきましたが、残念ながら国内の現状は改善されていません。ではどうするか。今まで無かったようなこと(誰も実行に移さなかったこと)に取り組む必要があると私は考えています。
具体的に少し説明していきましょう。
まずは国内に特化したCJの文脈を整理し、継続的に発信し続ける拠点作りが重要となります。ここで言う拠点とは“美術館”です。私たちCJSTでは、国内の美術館にジュエリー作品を寄贈する新規のプロジェクトを始めました。輸入型の西洋式CJ、接続型の工芸的CJ/デザイン的CJ/彫刻的CJ、そしてこのどこにも属さないジュエリー型アート作品を複合し、日本独自のジュエリー表現作品群としての紹介です。本コレクションを起点に、ジュエリー表現の多様性と可能性を探求し、国内で発信し続けることを目指しています。
根本的な問題として、国内には90年代以降に制作されたジュエリーの体系的なコレクションも、これらの作品を常設的に紹介する場所も存在しません。海外では常設で作品を展示している美術館も多く、勿論その中には多くの日本人アーティストの作品が収蔵されています。近年アーティストは海外を中心に発表し、国内でこの分野を知る人はほんの一握りというのが現状です。コレクションがなければ、研究のための手がかりが生まれず、市場も循環しません。
そこでこの現状を打破すべく動き出したのが今回のジュエリー作品寄贈プロジェクトです。このプロジェクトがいつ達成されるかわかりませんが、少しずつ前進していければと思います。※もしご協力いただける方がいらっしゃいましたらいつでもお気軽にお声掛けください。

最後宣伝のようになってしまいましたが、国内のCJが複雑化していることが少しでもイメージしていただけたでしょうか。一言にCJと言っても歴史的、思想的背景は異なり、様々な解釈や表現方法が存在します。輸入型と接続型を持つ西洋とは別の観点から日本独自のジュエリー表現を探求することで、将来的に注目される分野になると私は信じています。

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