【読書】思考の整理学(外山滋比古)
わたしはとにかく思考が溜まりやすいタイプで、つねに整理が必要なので、いつもノートやEvernoteなどにあふれる思考を吐き出したりまとめたりしている。
が、それでも今のように「noteやろう」「それを音楽活動にも応用しよう」「同時に健康・美容にも力を入れていこう」と複数のことを考えはじめると、たいてい整理が追いつかなくなってひたすら混乱に満ちた日々を送る時期をむかえる。
ここ数日、そんなあふれる思考をどう整理するのがいいか?と考えたりしていたのだが、今日セレンディピティが起きてくれた。わたしが折に触れて読みかえす愛読書「思考の整理学」が偶然、わたしの目の前にあらわれてくれたのだ。
この本がとにかく大好きなわたしは、紙の本を買ったうえにKindle版まで購入し、文字どおりいつでもどこっでも読めるようにしてある。だから当然、読みたいとさえ思えばいつでも読めるハズなのに、そんな愛読書でも、実際に読み返すことは簡単ではなかったりする。
毎日大量の情報が津波のように襲いかかってくる近年の情報社会で、日々溢れかえる情報に飲み込まれまいと目に入る情報を必死でさばいているような日常のなかで、読みたい本を適切なタイミングで「あ!こんなときはあの本を読もう」とうまい具合に思い出すだけでなく、現実にその本を手にとって無事に読みはじめるに至るのは、至難の業なのである。(ちょっと前まではもうすこしハードルが低かった気がする)
そうはいってもこの本がありがたいのは、わたしの愛読書のなかでもトップレベルのベストセラーであるという点で、どんな書店でもたいがい在庫があるだけでなく新刊の関連本として目立つところに平置きされたり、なんらかの特集棚のラインナップされていたりする。おかげで書店をウロついていれば定期的に目に入ることになり、パラパラと読み返したり、読みたい項目にめぼしをつけてあとでKindleで読んだりすることができる。それでも最後にこの本を開いてからはもう数年たってしまっていたのだが、ついに今日、再会したのだった。
今日わたしは、noteに書くことが思いつかなくて、ちょっと悩みはじめていた。それでヒントになりそうなエッセイなどを探したくていつもどおりワークスペース併設の書店をウロウロしていたのだが、目星をつけてあった別の本が置かれた棚にたどりついてその本を手に取りながらふと隣に目をやったら、偶然にもこの「思考の整理学」がそこにポンと平置きされていたのだ。
その平置棚は特集棚でもなんでもない、書店の隅のほうにある「どの棚にもおさまらないけどキラリと光るエッセイの寄せ集め」みたいな鋭くも小さなエリアだった。(なんていうことはどこにも書いていなかったけれど)
なんなの嬉しい。わたしが今日誰より「思考を整理したい」と思っていたこと、どなたか見ててくださったの?天にむかって手を合わせたい気持ちでこの本を手に取り、その場で気になるトピックをサクッと読みこんだ。
わたしがこの本でいちばん好きなのは、なんといっても最初に書かれた「グライダー」。
リマインド:人生は自分で操縦すること。
「思考の整理学」を書いた外山滋比古先生は、本書の一番さいしょのこの「グライダー」の項で「他力でしか飛べないグライダーではなく、自分で操縦する飛行機になれ」とおっしゃる。「学校はグライダー人間の訓練所だ」とも。
大学を卒業し、さまざまな大学の教授をつとめた「知の塊」ともいえる外山先生がおっしゃる言葉だからこそ、身にしみる。
久しぶりにこの本をひらいて、今日はあらためてこの大好きな「グライダー」の項をじっくりと読んだ。自分はしっかり飛行機であろうということを、いまいちど自分にリマインドしたいと思ったのだ。とにかく自分で飛びまわるのだ。
もちろん飛びながら誰かに助けてもらうことも、誰かと一緒に飛ぶこともあると思う。そうでありたいし、だからこそ「人生という飛行」には意味がある。でもあくまで操縦は自分でするのだということを、どんなときも忘れてはならない。
そのうえで、どんなふうに、どこにむかって飛んでいくのか、ということに関しては、自由に飛行しながらも、柔軟性と愛をもって操縦できたらいいなと思う。
アイデアを3段階で熟成する。
「グライダー」「朝飯前」など思考を整理するための大前提である第一章がおわると、本書はいよいよ具体的な思考の整理法に入っていく。思考というものはどういう性質があって、どう扱っていくのがいいのか、というところからはじまり、それらの扱い方について、さまざまな方法を提供してくれる。
わたしが今回あらためて「やってみよう」と思ったのはアイデアを3段階で熟させるということ。(参考にしたのは「情報の"メタ"化」「手帖とノート」「メタ・ノート」の項)
アイデアを手帳にランダムに書いていく
いいアイデアをノート半ページに深化させてまとめる
さらに発展させたいテーマをメタ・ノートにまとめる
普段からノートや手帳、タブレットやアプリなどアイデアや考えをアウトプットするツールをいろいろと活用しているけれど、最近その使い方がいまいち定まらなかった。
noteのことだけ考えていたときは、つぎつぎ思いついても基本は覚えていられたし、そうでないときはツールを気分にあわせてランダムに使っても十分に機能した。思いついたネタがそんなに深堀りできないな、だから今はまだ文章にできそうにないな、と思っても、下書きフォルダに残っている別のタイトル候補を見るうちに「あ、今日はこれ書こう」というものに出会えた。プロセスがシンプルだったということだろう。
しかし今はそれに加えて音楽の発信方法、制作や歌詞のアイデア、そしてそのヒントとなるたくさんの(あまりにたくさんすぎる)映像や音源を聴いたときのインスピレーションなどで頭がパンクしてほとんど機能しなくなっている。さらにYouTubeを見まくっていることをここに懺悔しますが、そっちのせいの頭チカチカは瞑想で対応する予定です。
このままではせっかく起点となってくれたnoteまで頓挫しそうで、本末転倒。
なんか無駄なまでの自分語りで長くなってしまったので、この3ステップの詳しい内容は明日ゆっくりまとめることにする。
ちなみにこの本の後半には、整理した思考のアウトプットや、思考の整理に関するさまざまな切り口からのTIPSなどが書かれている。その中でひとつ外界との接触が少ないわたしの目に飛び込んできたのが「しゃべる」という項。
「しゃべる」の功罪について。
わたしはいつも、おしゃべりが好きで嫌い。その理由が、あながち間違ってないなぁといつもホッとさせてくれるのが、この外山先生の「しゃべる」の項。
ポイントは「なんでもおしゃべりすればいいってもんじゃない」ということ。
おしゃべりはストレス発散にもなるし、だいたい良いことのように言われることが多い。実際わたしもこの本の目次をさらさら流し見て「しゃべる」という文字を発見したとき、外山先生のやさしい文章のなかにあるピリっとした厳しさをすっかり忘れて「そうだ!最近しゃべってない。ポッドキャストしよう!」と安易に解釈しかけた。
が、そういうことではない。
こちらも具体的なポイントについては、明日詳しく書きたいと思う。
ということで、今日はこの本に久しぶりに出会えたことに感謝して終わり。
外山先生、今日も素晴らしい知をありがとうございます。
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