「大きい主語」が奪うものと救うもの
いつからか、主語の大きさを意識する機会が増えました。「大きい主語」という言葉の意味自体はフラットですが、「主語が大きい」「大きい主語を使わないよう気をつける」など、どちらかといえばネガティブな要素を伴った文脈で使われる表現な気がします。
実際は個別具体的な話をしているにもかかわらず、「日本人は」「男性は」など、属性の問題であるかのように一括りにして一般化するケースが典型です。ほかにも「社会人なら常識だ」「世間が許さない」など、個人の見解をあたかも普遍的な規範のごとく語るケー