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すべてのカタチに敬意を

こないだ参加した研修で聞いた言葉が、ずっと頭の中をリフレインしている。リフレインなんて横文字使う必要ないのだが、今どうしても使いたい感じだった。ちなみに refrain(動詞:控える)とrefrain(名詞:旋律等の繰り返し)は、まったく語源の異なる同音異義語らしい。

閑話休題。リフレインしているのは、この言葉だ。

A lot of times, people don’t know what they want until you show it to them.(多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ。)

Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)

聞き覚えがあるような、ないような。ジョブズの名言の一つとして知られているようなので、どこかで耳にはしたことがあったのかもしれない。Mac や iPhone といった画期的な商品の生みの親の言葉だからというのもあると思うが、なぜだか、あの日のぼくの心に深く刻まれた。

考えるとは、言葉にすることだと思っている。たぶん、概ね合っている。頭の中で、書き出して、あるいは声に出して。言葉には色々な形がある。

言葉を重ね思考を深めることを「潜る」と言ったり、覚束なかった感情、正確にはその時点では感情ですらなかったかもしれない何かを捉えることを「鉱脈を当てる」と言ったりする。どちらも手探りで進もうとしていて、気付くと知らなかった場所へ連れてこられている。

こうした体験は、仕事で誰かとディスカッションをしているときや、わからなくてもとりあえず自分で手を動かして論点整理をしているときなどによく起こる。言葉にするまでは、どんな考えも形を持たない。かといって、言語化とはあらかじめ存在した何かを言葉に変換することではない。選び取ったその言葉、組み立てたその文章が思考そのものだと思っている。

冒頭のジョブズの言葉から感じたのは、そんな体験は何も言葉に限ったものではないということだった。数字はもちろん、図表、グラフ、手描きのイラストにも同じことが言える。

仕事ではたくさんの人と関わり、その数だけアイデアや答えの種がある。だが、その中から芽を出して花を咲かせられるものはほんの一握りだ。日々、僅かな言葉や数字にもなれず、芽を出せないまま消えていく思考が数えきれないほど存在している。

資料のドラフトや会議のアジェンダなどを作っていて、ある程度カタチにできると「そうそう、こう考えてたんだよ」と思わず自分で呟きそうになる。ジョブズの言葉に当てはめるなら「これが欲しかったんだよ」だろうか。

本当はそうじゃない。"カタチにしたから考えられた" だけだ。

もし誰かのアウトプットを見たときにもそう感じたなら、今すぐ考えを改める必要がある。でき上がった姿を見ればそう呟きたくなることでも、最初にそれを手掛け、実行するのはとても難しい。コロンブスの卵は、世紀の発明や大きなアウトプットのアイデアではなく、それこそ卵をテーブルの上に立てるのと同じくらい、もっと身近にあるちょっとした一歩に敬意を示すための表現のはずだ。

前に進めなくなったとき、進み方がわからなくなったときにこそ、とりあえずカタチにしてみる。そうすれば他の人と不安や悩みを共有できて、一歩踏み出すきっかけができる。カタチにするとは、人と人を繋ぐ結び目をつくること。結び目ができれば、もっと伸びていく。遠くへ行ける。

どんなカタチであれ、誰かが手掛けなければ息吹くことすらなかった芽に、ぼくはいつも「すごい、ありがとう」と言える人でありたい。


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