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【掌編小説】想い


 最近、永島蒼汰は、同じクラスの安藤くるみのことが気になって仕方がなかった。お互いいつも他の友達といるからあまり声を掛けられないけど、よく目が合う気がするし、すれ違う時も軽く挨拶するようになった。校庭で他の男子と話す彼女を遠くから眺めていると、何だか胸が苦しくなってきさえする。
 これは恋だろうか、と蒼汰は自問した。うん、おそらく、そうかもしれない。もうすぐ卒業だから、その前に告白しようかな・・・
 そんなことを思いながら、彼は夕方ですら蒸し暑い真夏の湿気の中を歩き続けた。
 帰宅した時にはもう、汗びっしょりだった。母の帰宅は夜十時過ぎだし、お風呂の時間まで待てない、と彼は思い、シャワーを浴びることにした。
 まずは冷蔵庫から水を取り出して飲む。冷蔵庫のドアに、自分が幼い頃に描いた母の似顔絵が貼ってある。
 母はいつも不在だった。でも感謝している。あんなロクでもない父からの養育費なんてゼロだから、夜遅くまで働かないと家計はすぐ火だるまになってしまう。離婚することになったと告げられた小三から高三の今まで、母はずっと夜遅くまで働いてきた。
 正直、幼い頃、寂しくなかったと言えば嘘になる。家に誰もいなかったし、母は帰宅してもクタクタで次の日も朝早いから、すぐ眠りについてしまった。会話なんてほとんどなかった。
 でもそれが仕方のないことなのは、子供ながらに分かっていた。自分のために母は頑張っているのだから、我慢するしかない。だから暇つぶしによくテレビを観ていたし、それにも飽きると、よく壮大な空想をしながら過ごしていた。
 蒼汰は制服を脱ぎ、浴室に入った。シャワーを浴びていると、安藤さんの顔が自然と浮かんだ。気が付けば、いつも彼女のことを思い浮かべている。今まで少ししか会話したことがないのに、遠くから見るあの笑顔に惚れてしまったようだ。
 彼女は俺のことをどう思っているんだろうか。ただのクラスメイト? それとも少し気になる存在? ひょっとして好意を抱いている?
 髪を洗いながら、自分が彼女のことを想っているように、彼女も自分のことを想ってくれているといいな、と彼は考えた。

 永島蒼汰が自分にそんな想いを寄せて過ごしているのを想像しながら、安藤くるみはシャワーを浴びていた。
 蒼汰くんとはあまり話したことないけど、正直、気になる存在だった。他の能天気そうな男子らと違って、どこか影があって、一匹狼みたいな雰囲気があった。
 人づてに聞いた話だと、彼は小学生の頃からシングルマザーの家庭で、母の帰りがいつも遅いみたいだった。どこか影があるように感じるのは、そのせいかもしれない。
 自分と同じだ、とくるみは思った。作り笑顔でいつも武装しているけど、自分もシングルファザーの家庭で、父は出張を理由にして家に帰らない日も多く、ずっと寂しい思いをしてきた。
 だから同じような経験をした人の気持ちが痛いほどよく分かる。蒼汰君もきっと寂しい子供時代を過ごしたに違いない。彼も私と同じように、心の穴を色んな空想で埋め合わせていたはず。だから私なら、彼のことを分かってあげられる。ずっと話し相手になって、彼の孤独を癒してあげられる・・・
 彼女はそんなことを思いながら、身体と髪を洗い流した。
 そして浴室から出て、タオルを手に取った。

 安藤さんがそんな風に自分に想いを寄せて過ごしているのを想像しながら、永島蒼汰はタオルで髪を拭いた。
 でも、ふと我に返り、苦笑いした。
 安藤さんがシングルファザーの家庭なのは人づてに聞いているけど、だからといって自分にそこまで親近感をもって想いを寄せてくれているだなんて、我ながら妄想が激しすぎだろ、と自嘲した。
 妄想している間は、目の前の景色が一変し、誰が本当の自分なのか分からなくなるぐらい相手になりきってしまう。架空の人物が見えることすらある。孤独の中で空想しているうちに身についてしまった能力だが、自分でも怖い。気をつけなきゃ・・・
 苦笑いをしながら、蒼汰は拭き終えたタオルを洗面台に置き、鏡を覗いた。
 あれ?

 安藤さんがいる。



<完>

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以下では、内容の解説をします。また、工夫したことをお話しします。😊

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