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上半期の最終日、志と金勘定。


6月最終日。上半期が終わるので売上を勘定してみたところ、その合計額を見て「マジで?」と声が出てしまった。わかっちゃいたんだけど、あらためて数値化すると痛感する、所得の急下降っぷり。

作家の友田とんさんが、経理に時間を割かないことに関して「計器を見ないで飛行機を操縦するようなもの」とつぶやいていたけれど、まさにそれ。気づけば荒野に不時着……だなんてこともあり得るし、たまに確認しなきゃエラいことになる。


ちなみに4年前、2018年のバズライター全盛期(何やねんそれ)から比べると3分の1くらいに落ちている。「はい、来年から給料60%カットで〜す」という会社があればなかなかおっかないが、それが現実にあるのが個人事業主のエキサイティングなところである。いや、べつに楽しくはないのですが……。

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2018年当時の売上を見てみると、そのうちおよそ4割がノウハウ系noteの売上で、約3割がPR案件、もしくはPR記事の売上、同じく約3割がコンサルティング案件。で、阿呆なことにその全てを辞めて「文章だけで食っていくぞ!」と鞍替えしたもんだから、売上が激減するのは当然だ。

同世代の仲間を見渡せば、クリエイターの友人は大規模案件を手掛けて業界のスタープレイヤーになっていき、スタートアップ界隈の友人は上場や買収を経て次々と億万長者になっていき……(…という人たちの近況ばかりが過剰に流れてくる歪みはあるけれど)。

そうした中で、小規模な方へ、金のない方へ……と進んでいく自分は大丈夫か? と思うこともあれど、とはいえ譲れないものがそれなりにあるのだ。

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2015年に独立してからしばらくは、結果を出すこと、そしてお金を稼ぐことが楽しくて仕方なかった人間なのだけど、その思考が天変地異してしまったのが環境問題の深刻さを直視した2019年。

既にモノは溢れているのに、これ以上モノを増やしてしまって良いのだろうか? ということをずっと考えていた。それって、もともと存在しなかったはずの欲望を過度に刺激しているだけで、本来の人間の喜びとは異なるほうへ煽動してるだけなんじゃないのか……と。

もちろん今の社会の仕組みの上では、消費があるからこそ経済が回り、税金が賄われて、みんなの暮らしが成り立っている。その中で懸命に働く人達のことは尊敬しているし、自分もその恩恵を受けている。来月も自治体の健康診断、無料で受けるし。


でも同時に、今の社会の仕組みじゃもう崩壊してしまうよ……という現実もある。そうした先行き不透明な社会の中で、崩壊した先で何を信じて生きていけば良いのか。何を楽しみに、心を守っていけば良いのか。それを悩みながらでも、小規模であっても言葉にしていくことは出来ないものか……と書き残しているのがここ『視点』でもある。

そうした楽しみの内訳は、古いものを大切に使うだとか、不要なものを売るだとか、物の所有よりも五感の拡張こそが贅沢であるだとか、至極当たり前のことではあるのだけれど……。


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最近は、「ジャーナリズム的な」広告や、政治的なメッセージを掲げる広告も増えてきて、一緒にメッセージを発しませんか? と誘われることもままある。けれども、その多くはどうしたって企業のイメージアップの範疇に収まってしまう。もし組織の大部分は大量消費や人件費削減をベースに成り立っているのに、表層的に「社会(弱者や地球)に良いこと」をしようと呼びかけている……という広告であれば、それはwoke washingであると冷笑されても仕方ない。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。