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おさがりなんて勘弁してくれ! と思っていたのに


「欲しいもんあったら持って帰り」という太っ腹な声にあやかって、引っ越しを控えた大阪の祖母の家(であり母の実家)へと、古着や古道具を漁りに行かせていただいた。

子どもの頃に従兄弟たちと遊んだ玩具や百人一首を懐かしみ、母や伯父の幼少期の雑誌をパラパラ開き、曽祖父が好きで描いていたらしい水墨画の数々を品評し……などとやっていたら時間がいくらあっても足らない。母とワーギャー騒ぎながら、台所に寝室に納戸まで鼻息荒く探索と発見を繰り返しまくる。

というか、普段から古道具が好きで、東京の大江戸骨董市や京都の平安蚤の市に足繁く通っている身としては、「無料で?しかも時間無制限でディグってええんか?」と興奮しない理由がない。上半期で一番エキサイティングなイベントであった。おばあちゃんありがとう!


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東京の自宅に帰って、戦利品たちを並べてみるとまるで骨董品屋さんのよう。なんて愛おしい物たち!

そして、撮影後はそれぞれの新しい持ち場へ。まず、漆塗りの筆入れは化粧道具箱に。

本当は、一生使えるような漆塗りの化粧道具にずっと憧れがあるのだけれど、現代のプラスチックに溢れた化粧品産業の中ではそうそう見つけられず……。でも、化粧箱だけでも漆になって気持ちが弾む。

祖父の退職後に夫婦で訪れたインドで買ったという謎の油壺。どう使うのが正解かわからないけど、ひとまず仏様たちの隣へ。その隣の小さなカゴは大蒜と生姜の定位置に。

こちらは祖母の腕時計。宮本紀子さんが作られた天然石の指輪とよく馴染む。祖母は華奢で線が細く、テキパキとしたお洒落な人だ。母がムーミン谷の「ミー」にたとえていたけれど、確かにミーらしい。


これまたインドで買ったという大きな布に、右下にあるのは亡き祖父の傘。これを雨の日に差していると「おい、舞!」という威勢の良い祖父の声が天から脳に直接届きがちである。

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祖父が亡くなったのはもう20年以上も前のことだけれども、祖父は何年経とうと記憶が薄れようのない強キャラ故人である。顔面は松本人志似で、よく喋り、よく旅行し、よく喋った。それ故か、形見をそばに置いているだけで脳内に祖父の喋り声が止まないのは嬉しい誤算か? いずれにせよ、他人様経由の古道具ではこうはいかない。



私が日々使っているものも、こうして誰かの手に渡るほどの魅力を持ち続けてくれるだろうかなぁ。先の流行りまではわからないけれど、出来れば流行り廃りの少ないものを大切にして、大切にされ続けて欲しいと願う。いやしかし、かつては誰かの「おさがり」だなんて勘弁してくれ! と思っていた訳なんだけども。

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三姉妹の末っ子、さらに祖父母の孫たちの中でも最年少であった私は、総てのお下がりの終着場所だった。姉の好きな色である薄紫色の自転車も、従姉によく似合っていた黒のタイトなワンピースも、少し黄ばんだ学校指定の体操着も、姉がSMAPの切り抜きを飾っていた痕跡が残った勉強机も、最後は私に回ってくる。「衣装持ちでええやんか」と言われても、私はまっさらな場所に、自分の服を、家具を、小物を敷き詰めたかった!

故に23歳で実家を出て、はじめての一人暮らしを始めたとき。調味料を入れる容器を外苑前のFrancfrancで探しながら、キラキラの陳列棚の中から新品を選べるという事実にひとり感嘆していたものだ。


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が、そこからたった10年で、古いものを愛で、お下がりをもらえることに今度はブチ上がっているのだから、人はわからんもんである。私の価値観は、この10年で以下に挙げた前者から、後者へと天変地異してしまった。


新しいものより、古いもの。
華美なものより、地味なもの。
完璧なものより、不完全なもの。
明るい場所より、暗い場所。
大きな音より、小さな音。
権威よりも、地べたのもの。
珍しい刺激より、いつも通りの日常。
名のしれたブランドより、名もなきもの。
遠くのどこかより、すぐそばにあるここ。


「陰翳礼讃」だとか「足るを知る」だとか「侘び寂び」だとか "Less is more." だとか "Fewer is better." だとか……これらを尊ぶ言葉は挙げきれないほどあるけれど。ただそうした価値観は、それ単体では意義を伝えることがむずかしい。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。