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箪笥の肥やしたちとの卒業式

to doリストの乱れは心の乱れ……とか言いますけれども、私の箪笥の中は「いつか○○したら」が詰まりすぎて無秩序を極め、ジリジリと心を圧迫していた。表では「シンプルな部屋が好きなので…」とか言いながら、その皺寄せはみんな箪笥の中に隙間なく詰め込まれている訳で、そこを開けるたびに視界に入る景色にバイブスが下がる。

「いつか開催されるちょっとしたパーティーのための」ハンドバッグ。
「いつか黒染めしたいと思っている、シミがついてしまった」白シャツ。
「いつか南国に行けば着れそうな背中の空きすぎた」ワンピース。

無論そんな「いつか」はいつまでも訪れず、箪笥の肥やしは増え続けていくばかり。どこぞの整理整頓オーガナイザーが広大なウォーク・イン・クローゼットを闊歩しながら「ちゃんとお洋服の間の風通しを良くして、服に呼吸をさせてあげましょう」だなんてことを仰っていたけれど、こちらのお洋服は右から左から圧迫されすぎて迫り上がり、窒息状態でしわくちゃだ。そんな哀れなお洋服にアイロンをかけてやる手間すらかけず、結局しわにならない素材の服ばかりに手が伸びる。クローゼットは壊れそうなほどギュウギュウなのに、ヘビロテするのはせいぜい3着。なんたる無駄。なんたる精神不衛生の魔窟!


そんな魔窟を見て見ぬ振りしながら暮らしているうちに、今年も寒波がやってきた。冬服冬服……とかき分ける服の山の中から、2年ほど履いていなかった鼠色のウールのズボンが発掘されたので久しぶりに履いてみる。

素材は良い。デザインも良い。ウエストのサイズも問題ないし、裏地がチクチクするようなこともない。ポケットの大きさも充分で、伸縮性も高い。が、裾が5センチほど長いのだ。裾上げすりゃ良い話なのだが、このズボンはヒールを履いた自分であればカッコ良く履けるから……という理想がいつも頭をよぎり、ずっとそのままにしていた。

しかし、明日の最低気温は0度。ヘビロテしていた洋服たちじゃもう寒い。それにヒールなんて、もう随分長いこと履いてない。「いつかヒールを履いたら」じゃなくて「今裾上げしたら」のほうが最適解だよなと観念し、裁縫道具を引っ張り出して、裾を5センチ短くした。ついでに苦手なアイロンがけもして、最後にブラッシングまでしてやった。


毛並みが整い、少し気になっていた裾の汚れも綺麗に隠れて、まるで新品のように生まれ変わった鼠色のズボン。はぁ。惚れ惚れとしてしまった。良い。とても良い。いつも履き慣れているフラットシューズを合わせてみたら、ちゃんと似合う。ヒールでスラリと背伸びしていた時よりもどっしり安定していて、ずんずん歩いていけそうだ。


そこで途端に調子が出てきた。起こりもしない脳内の「いつか」のためにモノを窒息させてしまうより、それぞれに役割を与えてやったほうがずっといい。深夜12時から、箪笥の肥やしたちの大規模改革に取り掛かった。



まず、何年も履いていなかったヒールの靴たち。生まれながらの外反母趾がある私の足は、そもそも先の詰まったヒールとの相性は最悪なのだけれども、刺すような痛みに耐えながらでも履きたかった愛すべき靴たち。

20代の頃は、強そうなヒールが好きだった。「ずっとヒール履いて背伸びしてたらさ、そのうち背伸びすることに慣れてくから!」なんて豪語し、それを成長だと信じて疑わなかった社会人1年目。あの頃のわたしは常に何かと闘っていたから、そのためには戦闘服が必要だったんだと思う。なんかすげぇ負けたくなかったから。私を舐めてくる社会のあらゆる敵に。


もちろん今もヒールの造形は美しい。でもなんというか、もう武装する必要性をあまり感じなくなった。背伸びしておきたい相手と過ごす時間よりも、心の底から楽ちんでいられる相手と過ごす時間のほうがうんと長くなり、それに比例して靴のかかとは低くなっていった。それが大人になるってことなのかもしれないし、「昔は尖ってたのに丸くなっちゃったね」みたいなことかもしれないけれど、ともかく武装のための靴たちは役割を全うしてくれたように思う。お疲れ、20代の自分! と思いながら、ピカピカに磨いてメルカリに出した。

その次は、ヒールが似合うドレスたち。どれもこれも2年以上袖を通していなかったけど、最後に着てみたら別れが惜しい。けれどもここ数年は、肌の皺や、骨や、血管さえも馴染む素材ばかりを好んで纏っていたから、つるりとしたポリエステルの光沢に包まれると落ち着かない。ドレスアップが必要なときは着物があるから大丈夫……とかつぶやきながら、こちらもまとめてメルカリに出した。


──


幼稚園は2、3年、小学校は6年、中学と高校は3年で卒業するけれど、そうしたわかりやすい変化に合わせて、自分の理想とする服装や在り方だって変わってきたのだ。でも、大人になったら明確な卒業式みたいなもんはない訳で、ずるずると10年、20年と時間ばかりが過ぎてしまい、その結果として箪笥が膨れる。私はどうやら、23歳の頃の憧れを箪笥にしまい込んだまま33歳になっていたらしい。


べつに5足と4着を手放したくらいでは箪笥の密度はさほど変わらないのだけれども、心は随分と風通しが良くなりはじめた。大人だって成長するんだ。服を直したり、売ったりするのは大人にとってのささやかな卒業式みたいなもんなんだろう。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。