見出し画像

『あの映画の幽霊だけは本物だ』第1話「Theスーパーファミコン」

あらすじ

 90年代、VHSビデオの時代。貞夫は幽霊が見える少年だった。自分だけに見える縞模様の死者。他人には見えず、誰とも共有できない孤独と恐怖。ある日、偶然に見たアメリカの低予算C級ホラー映画『サイキック・ストレンジャー 邪』に描かれていたのは、自分だけに見えると思っていた縞模様の亡霊だった。この映画の製作者は自分と同じ、本物の幽霊が見える者に違いない!貞夫はその映画の監督に会うため、単身渡米を計画するが……。
(全8話)

「先ほど、非常に大きな爆発音が聞こえました。繰り返します、爆発です、映画館で爆発があった模様です。映画館の割れた窓から黒煙がもうもうと吹き出ているのが確認できます。退去命令が出された、我々報道陣のいるこの場所でも鼻につく臭いがします。映画館に立て篭もった犯人グループと警察の銃撃戦は爆発後も止むことがありません。事件の首謀者とされる元映画監督の……」
 
×××
 
 おれが初めてあいつらを見たのは、小学六年生のとき。公園で友達と遊んでいる最中、そいつは電話ボックスの近くに佇んでいた。おぼろげではなく、はっきりとそこにいた。マントで体を覆っているようにも何も着ていないようにも見えた。体の輪郭はわかるのに、面としての細部がなぜか視認できない。髪らしきものは確認できる。大仏のような顔には生気のかけらもなく、それでも一応は瞳らしきものが見て取れる。そして、顔を含めた全身は灰色っぽく、赤と緑の縞模様で彩られている。最初、おれはそいつが幽霊だとは思わなかった。仮面をつけているのか、とにかくそういうやつだと。怪人だと思った。
 それから、一ヶ月に一回か二回のペースでやつらを目撃するようになった。町には、小汚い身なりの浮浪者がうようよと徘徊しており、変に体が曲がっている者や岩石のような顔をした者など、いろんなやつらがいたので、怪人を見てもさして気にならなかった。
 
 決定的な瞬間が訪れたのは中学一年生の冬。学校のガラスが十数枚も割られる事件が起こり、あろうことか、おれが犯人扱いされた。警察に被害届は出されず、教師と両親はおれを犯人と頭から決めてかかり、白状しろと詰めよった。数日後、用務員が気晴らしでやったことが判明し、おれへの疑いは晴れたが、驚くことに教師どもからは謝罪の言葉一つない。おやじとおふくろは頭を下げたけれども、許す気になれず、その頃からおれは大人を信用しなくなった。さらに追い打ちをかけて不快なのは、事件の張本人である用務員へのお咎めがなく、二週間ほどすると何食わぬ顔で学校に戻ってきたこと。これはいまでも理解できない。どんな力が働いたのだろうか。

 下校時、復帰した用務員のニヤケ顔を見た瞬間、おれは怒りに震え、しばき倒そうと飛びかかる寸前だったが、なんとか思い留まった。自宅へ帰る途中、人けのない通りで怪人を見た。頭のネジが外れているやつだと思ったし、周囲に人もいなかったので、おれは足元にあった小石を拾い、やつの顔をめがけて投げつけた。するとどうしたことか、小石は顔に当たる直前、すとんと地面に落下。まるで見えないバリアにでもぶつかったように。

 その瞬間、おれの心を占めていた怒りの感情は恐怖に取って代わり、カッカしていた体は一気に背筋が凍る寒気に襲われた。やつは、あいつらは、人間じゃない。その現実が突きつけられたのだ。おれは脱兎の如く逃げ出した。恐かった。これまで単なる頭のおかしい浮浪者だと思っていたやつらが人間ではなかったなんて。

 その事実も恐ろしかったが、同時に報復が恐かった。おれはやつらに危害を加えようとした。今度会ったら、どんな目に遭わされるのか。どこかに連れ去られてしまうのか。あるいは殺されるかもしれない。周囲を巻き込むことを恐れ、誰にも相談できなかった。
 ところが、それからしばらくはやつらを目撃せず、段々気にもしなくなった。三ヶ月ぶりに目にしたときも動じることはなく、特に何かされることもなかった。その時点では、まだやつらが幽霊だとは思い至らなかった。異星人か何か、人間ではない、なんらかの存在。あの頃はそれくらいにしか考えなかった。バカだったんだろう。
 
 正体が幽霊だと知ったのは、一九九二年六月二十三日。中学三年生だった。日付まで覚えているのは、この日にボクサーでもあった俳優のミッキー・ロークが両国国技館でボクシングの試合をしたからだ。この時期、同居していた叔父がボクシング狂で、さらにミッキー・ロークのファンでもあったため、一ヶ月くらい前から毎日のように「六月二十三日」と連呼していたのだ。そのせいで日付が頭に刷り込まれてしまった。本来はおれも試合に連れて行ってくれるはずだったが、前日に隣のクラスの生徒が交通事故で死んでしまい、仲良くはなかったものの、彼と面識のあったおれは線香をあげに行くことに。
 通夜の帰り、コンビニに寄ったときのこと。自分にとって重要な日だったからか、雑誌名も記憶にある、ゲーム雑誌『Theスーパーファミコン』の立ち読み中、道路を挟んだ向こうに立つ怪人をガラス越しに見た。そのとき、理屈では説明できないが、怪人が事故死した生徒だとはっきりわかった。似ているのは背格好くらいで、顔は個性のない大仏面、全身を彩る縞模様。それでも、おれにはそいつが死んだ生徒だと瞬時に理解できたのだ。そうか、怪人は生き物ではなく、幽霊なのかと。不思議なことに恐怖はなく、腑に落ちるというか、今日まで目にしてきた諸々に納得できるというのか、そんな程度だった。
 
「大丈夫? イカれたんじゃないの」
 小学校からの幼馴染である秀樹は丸型フレームのメガネを拭きながらおれにそう言った。湯川秀樹。日本人で初めてノーベル賞を受賞した物理学者と同姓同名で漢字まで一緒ということだが、おれは秀樹から聞かされるまで、その人物の存在すら知らなかった。小中学生の頃は同姓同名であることを喜んでいたあいつは、高校に入ると逆に嫌がるようになった。当時、アイデンティティがどうのとわめく姿を覚えている。理数系のあいつが一転して文系、しまいにはオカルトに傾倒したのも、いまにして思えば、物理学者の湯川秀樹に対する反発だったのかもしれない。あえて聞く気にはならんが。
 高校一年のある日、秀樹に幽霊が見えることを話したところ、本気で心配されてしまった。おれはイラっとした。こいつは霊やら異次元やらを信じてるんじゃなかったのかと。

「貞夫が急に幽霊とかノーライフキングとか言い出すからビックリだよ」
「ノーライフなんとかなんて言ってねえよ。なんだそれは。説明は難しいんだけど、とにかくおれには見えるんだ。信じてくれとは言わないが」
「まあ、普通は信じないね」
「おい」

 カリカリしてきたので、それで話は打ち切った。秀樹以外の友人や両親に秘密を打ち明けるのも控えた。自称オカルティストの秀樹から狂人扱いされたのだから、他の友人や、ましてや家族になど言えるわけがない。それと中学三年生で怪人の正体を知ってから一年以上経っており、もはや目撃したところで、気にも留めなくなった。

 心境にも変化があった。死んだら誰だってああいう大仏面の全身縞模様になるんだとわかったら、大抵のことを達観できるようになったのだ。以前、おれがガラスを割ったと決めつけた教師みたいなムカつくやつがいても、そいつが死後、大仏野郎として彷徨う姿を思い浮かべれば、胸のすく気分というのか、つまりはざまあみろだ。自分の性格はひねくれたほうだと幼い頃から自覚しているが、幽霊を認識するようになってから、ひねくれ度合いが加速していったように思う。
 
 心霊番組を見てもアホらしかった。ありゃ、全部ウソだ。自称霊能力者たちが表現する心霊描写は、おれが見るそれとはまったく違う。実は、自分にだけシマモヨウ(その頃、おれは幽霊に〈シマモヨウ〉という勝手な愛称をつけた。深海魚の〈リュウグウノツカイ〉みたいで面白いと思ったのだ)に見えて、他の霊能力者はまた違った形で認識するのかもしれないと考えたこともある。しかし、その説はどうしても信じきれなかった。

 高校二年の夏、ふと本当に同じ見え方をするやつが他にいないのか調べようと思い、夏休みを利用して、とことん探し回った。テレビ、映画、小説、ノンフィクション本、漫画、絵画と万遍なく探した結果はゼロ。シマモヨウはどこにも出てこない。ひょっとしたら、幽霊が見えるのは、この世の中でおれだけなのでは? この考えは恐怖だった。死人が見えること自体よりも恐ろしい。

 元々、つるむのは主義じゃない。それでも、自分にしか幽霊が見えないことにはさすがに孤独を感じた。おそらく、秀樹みたいなオカルト好きにしてみれば、唯一、霊を知覚できる能力は願ったりなんだろう。だが、この地球上で、しかも過去の歴史を振り返っても、自分たった一人だけが霊を感じられるとしたらどうだろう。ある意味、超能力なのかもしれんが、他人に証明できなければ意味がない。それからしばらくの間、思いつめた日々を送った。
 
「どうせ、またお前がやったんだろ! 両親を悲しませるな」
「やってません! だいたい『また』ってなんですか」
「小学生の頃、ガラスを割っただろうが」
「あれは変な用務員がやったんですよ!」
「うだうだ言うな。用務員を差別するんじゃない。ガキは素直になればいい。可愛げのないツラしてんだ、せめて態度くらいは好感を持たれるようにしろ」

 その頃、バイト先の運送センターで爆発事故があった。幸い死者は出なかったが、ケガ人は多く、近隣の住宅にも被害が及ぶかなりの規模だった。事故があった日もおれはシフトに入っており、ちょうど一人だけ遅い休憩で外に出ていたので無傷で済んだけれども、それが厄介をもたらすことになる。事故の原因はボイラーの蒸気抜きの穴が塞がれていたことによるという。おれだけが現場を離れていたことで、警察から疑いをかけられた。おやじとおふくろはおれを信じると言ったが、言葉とは裏腹に、その目には疑念の色が浮かんでいたことをいまも忘れない。

 結局、老朽化により剥がれ落ちた壁の一部が偶然にも穴に被さったことが原因と判明し、事件性はないことが立証された。とんだ災難だった。そのような騒動の渦中にいたせいで、実害のない幽霊のことなど気にする余裕もなかった。亡者が見えたり、自分だけが見えるだとかそんなことより、いまを生きる自分に直接、害を及ぼしてくる存在のほうが恐い。特に警察は自分が真面目に生きていようと、治安のいい場所にいようと、お構いなしにやってくる、最強の敵だ。おれは高校二年でそれを学んだ。取り調べでの刑事の恫喝は心底恐ろしい。こっちが未成年だろうと関係なく追い込んでくる。あれが原因となり、いまでも近くで大声を出されると時折、体が硬直してしまう。〈PTSD〉というやつかもしれない。

×××
 
 そして、爆発事故から一年近く経った現在、自分にしか幽霊が見えない孤独感は残ったままだが、大学受験の勉強で忙しく、爆発事故のときと同様、亡者を気にする余裕はない。おれは薬剤師になるため、薬科大学への入学を希望している。給料がいいと聞くし、薬局で働く薬剤師を目にするたび、忙しくもなさそうに見えたからだ。もちろん、実際に働いたら、想像とは違ってくるにしても、目指す理由はその程度でも構わないだろう。
 秀樹は映画監督になりたいそうで、映画の専門学校へ行くらしい。どんな授業なのか聞いてみると、田植えをやらされるとかなんとか。日本の映画業界はどうなっているんだと疑問しか沸かないが、映画でメシを食おうなんて考えることがすでに酔狂だし、好きにすればいい。
 
 六月のある夜、勉強の息抜きがてらテレビを眺めていた。テレビはそんなに見るほうじゃない。特に今年は一月に阪神・淡路大震災、三月に地下鉄サリン事件があり、テレビばかり見ていると気が滅入る。ただし、お笑い芸人のキャイ~ンが出演する『三行広告探偵社』は数少ない好きな番組の一つで、毎週欠かさずチェックした。新聞の三行広告に掲載される、怪しい求人に潜入取材するドキュメント番組だ。おれが〈乞食の本屋〉と呼ぶ、路上の雑誌売り。ゴミ捨て場や道端で拾う専門職と売る専門職に分業されていることや元締めのボスがいることなんかをこの番組で知った。高校二年で警察と親を信用できなくなって以来、アンダーグラウンドなカルチャーに興味を持つようになったのだ。とはいえ、差別する気はないにしても、おれは三行広告の求人みたいな仕事はしたくない。公務員は嫌いだから、民間で安定の職と思われる薬剤師になりたい。たぶん、将来的にも外国からの労働者や機械によってお払い箱になることもないだろうし。

 番組改変期で、『三行広告探偵社』は休止しており、代わりに流れていたのはホラー特番。ホラー映画の紹介やタレントの心霊スポット取材で構成される、よくあるしょうもない番組。心霊ものはすべてウソっぱちだとわかっているため、チャンネルを変えようとしたそのとき。驚愕した。十四インチのブラウン管に映し出されたのは、怪人、いや幽霊だった。おれだけに見えると思っていたシマモヨウがそこにいた。

(第2話へ続く)


#創作大賞2024 #ホラー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?