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『あの映画の幽霊だけは本物だ』第4話「サイキック・ストレンジャー 邪」

「よく来たな、グッドボーイ」
 空港で出迎えてくれた彼は百貫デブだった。肩まで伸びた金髪に黒Tシャツ、夏にも関わらず革ジャン着用のバイカーファッションに正直引いたが、人を惹きつけるオーラはあった。ジェスチャーを交えた、たどたどしい高校生レベルの英会話でもなんとかコミュニケーションはとれたが、相手が喋ったことをどこまで理解できているのかは怪しい。
 
「これがダイナーってやつですか。日本のレストランとは違いますね」
「そうだ、ダイナーがなければ、我々アメリカ人は生きられない」

 カービーの運転する車で彼の自宅へ向かう途中、ダイナーに寄った。よく映画で出てくる、大衆向けの食堂だ。観光目的の渡米ではないが、秀樹への土産話も兼ねて店の外観を収めようと、使い捨てカメラを構える。シャッターを切るやいなや、駐車場にいた白人のジイさまにすごい剣幕で絡まれた。早口でまくし立てるから何を言っているのか単語の一つすら聴き取れない。あとでカービーから聞いた話によると、「調査委員会の者か?」「いまは五〇年代じゃないぞ!」等の支離滅裂なことを卑猥な侮蔑語を混ぜながら、騒ぎ立てていたらしい。ジジイの怒り狂った様は、日本でおれを犯人扱いして罵った中年刑事を思わせた。どこの国にもああいうのはいるんだな。
 
「ゴールデン・パレスにようこそ」
 カービーの出で立ち以上におれを凍りつかせたのは、彼の自宅に足を踏み入れたとき。見た目は郊外のいたって普通の住宅だったが、室内は黒、黒、黒のほぼ黒一色で塗り潰されていた。食器まで黒いのには笑った。どこがゴールデンなのか。そして、床に魔法陣が描かれ、壁には謎の言語(ラテン語らしい)で書かれた垂れ幕やら、偽物と思いたいが牛の頭骨に蛇の抜け殻を絡めたものやら禍々しい装飾で彩られていた。悪魔を崇拝するカルト教団じゃないか! 異常者だ。ただ、地元のアイスホッケーチーム、ニュージャージーデビルスのファンらしく、トイレに飾られたチームペナントだけが、唯一まともな人間味を感じさせた。さすがスポーツの国アメリカだ、と妙な感心を持ってしまう。
 聞くと、同人誌に掲載したスタッフ募集自体はウソではなかったが、応募者たちを彼が言うところのサークル、つまりはカルト教団だろうが、それに勧誘していたというのだ。おれは激しい後悔の念にかられた。出国前、日本で話題になった、福島悪魔祓い殺人事件のことが不意に思い出され、すぐにもこの場を離れたかったが、幽霊が見えることについては聞かなければならない。
 
「真実を知るまで、彼らのことは不法入国者だと思ってた。ああいうストライプな肌をした人種もいるんじゃないかってな。まあ実際、世界のどこかにはいるかもしれないがな!」

 映画監督だけあって声がデカイ。おれにも聴き取れるように耳元ではっきりした口調で毎回喋るもんだから、話を聞くたびに耳がキンキンする。それに恫喝刑事たちのことが思い出され、胃もキリキリしてきた。けれど話は聞き続ける。そのためにわざわざ来たんだ。

 彼の話では、初めて見たのは小学生の頃で、おれと同じように最初は亡霊とは思わなかったらしい。容姿のディティールもおれの見るそれと一緒。人種によって変化はないらしい。皮膚と言ったらいいのか、その部分も共通して灰色の上からの同じ縞模様だし、ある意味で平等なんだな死後の世界は、などとマヌケなことを思ってしまった。カービーが〈アウェイク・ルーム〉と呼ぶ、四畳くらいの小部屋で、彼のヒストリーの続きに耳を傾けた。

「十二歳のとき、ストライプの連中がゴーストだとわかったんだ」
「何かきっかけはあったんですか? 僕の場合は知り合いの幽霊を見たんです」
「故郷ケンタッキーに古い撮影所があったんだが、スタッフの死亡事故があってな。悪友どもと一緒に現場を見に行った。ガキの頃は誰だって死体を見たいだろ。『スタンド・バイ・ミー』は日本でもヒットしたそうじゃないか」とカービーは豪快に笑いながら話す。あの映画は別に死体を見つけに行くストーリーだからウケたわけじゃないと思うが。英訳するのも面倒なので適当に頷いておいた。
「撮影所に潜り込んだおれたちは事故の起きたセットに向かった。電気を通すコードか何かで感電死したスタッフの死体はもう運ばれたあとで、現場は警察やら消防やらでごった返していたな。死体がないならつまんねえと思って、大人たちに見つかる前に退散しようとしたまさにそのとき!」と、もったいをつけて話すカービー。だから声がデカイって。こっちは胃が痛むんだよ……。
「気づいたら、おれの隣にストライプの不気味なやつが立ってたんだ。大人に見つかったと思い、顔をしかめたが、悪友たちはといえば不思議そうにおれを見るばかり」
「そこで幽霊だとわかったんですね」
「あの日は〈アウェイク・デー〉だったよ。連中がゴーストだと理解できたし、勝手にめぐりり合わせのようなものを感じて、その日から映画の道に進みたいと思ったんだ」と遠い目をして語る。いい昔話を聞かせたいのかもしれんが、面白半分に死体を見に行った話だし、それが回りまわって最終的にはカルト教団じゃないか。
 
 それから、大人になったカービーが映画業界で冷や飯を食いつつ、表現者の道を目指したバックグラウンドストーリーを聞いた。学生生活も残り短い高校三年のおれにしてみれば、働く現場の苦労話は身に迫るものがあり、そこは幽霊やカルトを抜きにして純粋に聞き入った。途中、単語や熟語の意味がわからないときはカービーの話を止めて辞書を引き、理解後にストーリーを再開してもらうほどだった。脚本家でもある彼はストーリーテリングが上手い。彼を慕う信者たちがいてもおかしくはない。そういえば、この家には他に誰もいないのだろうか。黒づくめのゴールデン・パレスに招かれてから二時間は経ったが、人の出入りはない。そのとき、アウェイク・ルームのドアが開いて、褐色の肌をした青年が入ってきた。

「紹介しよう、我がサークルのメンバーだ」

 カービーは自身が作ったサークルの構成員を〈メンバー〉と呼ぶ。年は二十代前半くらいだろうか、端正な顔立ちをした丸刈りの青年は、にこやかにおれを見ると、韓国語で挨拶をしてきた。おれをコリアンだと思ったらしい。カービーは事前にちゃんと伝えていないのか。慌てて、拙い英語で「アイム、ジャパニーズ」と連呼した。

「なるほど。じゃあ、ゆっくり喋るね。僕はヒメネス。メキシコ系だ。工科大学に通ってる学生だよ。ここには週に二、三回、フューチャーの話を聞きに来てるんだ」
「フューチャー?」
「ああ、僕らメンバーはそう呼んでる」とヒメネスはカービーのほうにチラリと顔を向けた。きれいにアイロンのかかった緑のポロシャツ、ダメージ加工のないシンプルなブルージーンズ姿のヒメネスには清潔感がある。鍛えているのだろう、引き締まった体のラインがスリムフィットしたポロシャツの上からよくわかる。ファッション広告に出てきそうだ。物腰も穏やか。声が大きく、贅肉を持て余し、自分の家でも革ジャンを着込む暑苦しいカービーとは正反対だ。
 
 トイレから戻ると、カービーとヒメネスが何やら話をしている。ネイティブ同士の会話だからまったく聴き取れない。いかに自分に対しては、理解できるようはっきりした発音で話してくれているのかわかった。中学や高校の授業で聴かされるレッスンCDみたいな話し方は実際の会話とあまりにもかけ離れている。小学生の頃から映画漬けの秀樹がしかし、英語はいつも赤点ギリギリなのも不思議ではない。英語はちゃんと勉強しなければダメだ。

 カービーと会話中のヒメネスが急におれを見て、「君も見えるのか!」と興奮気味に言った。ヒメネスには幽霊が見えないという。サークルのメンバーが何人いるのかわからないが、全員見えるわけではなさそうだ。
「フューチャーのヒストリーを聞いてたんだね。じゃあ、僕もあらためて聞かせてもらおうかな」とヒメネスはおれの隣にある一人掛けソファに腰を下ろした。足を組み、膝に両手を置くポーズもモデルみたいだ。

「どこまで話したか。ああ、そうだ。あれは八〇年だな、脚本を書いた『A YELLOW KONG GO TO THE BEACH』が当たったんだ。悪く思わないでくれ、イエローコングといっても日本人をバカにしたわけじゃない」とカービーは途中、申し開きをする。おれなんかの世代では、イエローモンキーと言われても敏感に反応することはないと思うが、とにかくも見かけと裏腹に配慮のある男だ、ジョン・カービーは。
「ビデオ化されてないから僕も見たことはないんだけど、文字どおり全身黄色の巨大ゴリラが海を目指して旅をするロードムービーらしいよ」とヒメネスが説明してくれた。まったく興味を惹かれないが、秀樹なら食いつくだろう。

 カービーは続ける。「コング映画がわりと稼いでくれたおかげで業界内での私の評価は上がった。業界といっても低予算専門の中でだが。それがあって、あるプロデューサーから監督をやってみないかとオファーされたんだ」
「それが『JOURNEY TO THE SILENT STAR』なんですか?」
「よく知ってるね! フューチャーの長編監督デビュー作だよ!」
 おれは高円寺で買った『STARTLE!』をリュックから取り出す。
「日本で買ったのか? アメリカでも専門店か通販でしか手に入らないのに」とカービーはやや驚いて言う。ヒメネスも目を輝かせる。
「『JOURNEY TO THE SILENT STAR』は本格SFなんだ。地球よりすべての音の音域が極端に低い〈惑星ポウ〉があって、そこに不時着した地球人たちの物語。地球人が普通に喋るだけでその惑星の住人には耳をつんざく大音量に聴こえてしまう。面白そうでしょ? これは僕がフューチャーと出会う前に、テレビの深夜放送で見てるんだ」
「本格SFといっても、ロケットが着陸したときの音量で周辺の住人は皆死ぬんじゃないかとか、いま思えば結構穴が多いけどな! 『映画のウソ』ってやつだ!」

 カービーとヒメネスは身振り手振りを交え、おれに説明してくれる。それから二人は時計を見ながら、おれには聴き取れないネイティブの発音で会話を始める。
「君の歓迎パーティをしたいのはやまやまだが、これから野暮用があってな。続きは明日にしよう。宿はどうするんだ?」
「ここからそう遠くない場所のホテルを予約してます。滞在中の六日間はそこに泊まるから大丈夫です」
 
 カービーはホテルまで送ると言ってくれたが、おれは丁重に断った。一人でここらを散策して、街を知りたいからだと。ゴールデン・パレスから一歩外に出ると、来たときと同じ閑静な住宅街が広がっている。地図を見る限り、ここからホテルへは歩いて一時間程度。それくらいなら歩こうと、辺りを眺めながら徒歩で宿へ向かうことに。道々、おれはさっきまでいたゴールデン・パレスとカービー、それにヒメネスのことを思い返した。一見してカルト教団だと決めつけてしまったが、クセはあるもののカービー自身に異常は認められず、ヒメネスも好青年だ。もしかしたら、呪術的な装飾のあれやこれやは〈ごっこ〉に過ぎず、サークルというのも日本でいう学生サークルや社会人サークルのノリと同じなのでは。だが、自らのことを〈フューチャー〉などと呼ばせるあたり、いかがわしい新興宗教まんまじゃないか……。
 
「おお、いた」と思わず声を上げてしまった。アメリカに来て、初の幽霊だ。交差点に面した新聞売りのスタンド近くに佇むのはシマモヨウ、こちらの表現では〈ストライプ〉か、だった。日本でおれが目にしてきた亡霊たちや『サイキック・ストレンジャー 邪』に登場したゴーストと相違ない。全身灰色に赤と緑のストライプ。人種は判別できない。見慣れたゴーストよりも隣にあるニューススタンドのほうがおれには目新しく新鮮に映った。写真に収めようとカメラを構え、ファインダーを覗いたとき、今更なことに気づく。彼らを写真に撮ったことがない。元々カメラは持たないし、彼らを撮ろうという発想もなかった。ファインダー越しでもはっきり見える。写真には焼きつくのだろうか。おれはニューススタンドとその隣の幽霊をフレームに捉え、シャッターを切った。

 ホテルに着いたのは夜の九時半。近くの商業ビル内で食ったラーメンがあまりに不味く、部屋に入った直後、トイレで嘔吐。あんな店、日本の池袋だったら三日ともたないはずだ。シャワーも浴びずに寝てしまいたかったが、両親には毎日家に電話する約束だったため、それだけを何とかこなしてすぐ眠りに落ちた。

×××
 
「昨日はすまなかったな! 今日は君の歓迎会だ。メンバーたちも揃うから自己紹介するといい。楽しみにしてるぞ!」

 公衆電話の受話器から聴こえる彼の声は相変わらずデカイ。ポウ星人だったら死んでしまうんじゃないのか。カービーを悪人とは思わないが、それでもおれはホテルの場所を伝えず、電話も念のために外の公衆電話からかけた。日本での冤罪経験から簡単には大人が信じられないのだ。

 ゴールデン・パレスの呼び鈴を鳴らすのとほぼ同時に玄関のドアが開いた。目の前に出てきたのは、ブラウンのセミロングヘアにプリントTシャツ、ショートパンツ姿の白人女性。いや、少女かもしれない。顔にはあどけなさが残り、身長は一八〇センチはありそうで、ちょうどおれと同じ目線の高さだ。日本でのバイト先にいた同い年の女子高生よりは大人びて見える。実際、年上かもしれない。目の前の彼女は一瞬「ワオ」とでも言いそうな驚いた表情をしたあと、笑顔で「コニニチ!」と言っておれの手を取り、室内へ招き入れた。

 パレス内にはおれを除き、合計で六人いた。カービーとヒメネスの他には、四十歳くらいの黒人女性、メガネをかけた小太りの白人男性に浅黒い肌の青年、そしてさっきの白人女性。皆、ソファで雑誌を読んだり、テレビゲームで対戦したりとくつろいでいる。日本でも放送中のドラマ『フレンズ』みたいだ。部屋中が黒一色なのと禍々しいアイテムの散らばりだけがゴールデン・パレスならでは。

「待ってたぞ! 皆、彼がサダオだ」カービーの一言でその場の目が一斉におれに集まった。誰もが笑顔で声をかけてくる。年代や肌の色もバラバラ。まるで、あえてそうセレクトしたかのよう。
「歓迎の準備は整ってるよ。今日は君が主役だ」

 ヒメネスに促され、ダイニングルームに移動する。テーブルにはホテルのバイキングさながら多種多様な料理が並んでいた。パン、パスタ、ピザ、ローストビーフ、サラダ、豆のスープに春巻きや餃子まであった。他にもいろいろ。一瞬、ニワトリの生首でも出てくるのかと思った自分を恥じる。こんな風に歓迎されたのは小学生の頃の誕生会以来だ。うれしかった。
「スシシも買ってきたかったんだけど間に合わなかったの。ごめんね」
「ケイト、『スシシ』じゃなくて、『スシ』だよ」と黒人女性が、おれに「コニニチ!」と挨拶した女性に言ったのが聴き取れた。白人女性の名はケイトというらしい。

 それにしても、十年以上も前のイングリッシュスクール経験と、渡米前に付け焼刃で仕込んだリスニングの集中勉強で、よくここまで聴き取れるものだと我ながら感心する。一応、英語の成績はいいほうだったが。映画一本見て、単身アメリカまで来てしまうほどの熱意と集中力があればこそか。

「大丈夫です。ピザのほうが好きですし。気にしないでください」
「そんな丁寧に話さなくてもいいよ。たぶん、私が君と一番、年も近いしね」とケイトは言ってくれるが、おれには英語の敬語とタメ口の違いなどよくわからない。頭で正しい文法どおりの文章を組み立ててから口に出すもんで、聞くほうにしたら馬鹿丁寧な言葉遣いに思えるんだろう。

 食卓にいた誰もが日本人の知り合いはいなかったようで、日本のことについて料理をつまみながら質問攻めにあう。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件はこちらでも大きなニュースになったらしく、心配されたりもした。カービーたちをカルトだと疑う考えは依然消えないが、オウム真理教を批判的に話す彼らの様子に、やましさは感じられなかった。オウムの話題が出たついでにおれは聞いてみた。

「あの、室内の装飾に驚いたんですけど、これはどういう意味があるんでしょうか……」
「ヤベえと思ったろ。単なるフューチャーの趣味だ。おれらは共感できないんだよな。トニー?」と肌の浅黒い青年が言う。彼の名前はエドゥアルド。
「フューチャーのことは尊敬してるけど、ぶっちゃけ、バッドでマッドだね」トニーと呼ばれた白人男性が返した。他の者も同様のリアクション。邪教を思わせるアイテムはカービーの趣味か。日本にも、オウム真理教の信者でもないのに教団グッズを買い集める〈オウマー〉とか呼ばれる変な大人たちがいたっけ。
「ただの趣味ってわけでもないがな。空間は人の意識を変えて、新しいものの見方を授けてくれる。それに色が感情に及ぼす作用は……」とカービーが小難しいことを語りだす。おれに向けた言葉でもあるらしく、スローペースで話してくれるも、難しい単語はさすがに聴き取れない。食事をしながら辞書を引くのも失礼な気がしたので、「イヤー、イヤー」と適当に相槌を打っていた。

(第5話へ続く)

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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