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『あの映画の幽霊だけは本物だ』第7話「スクリーンやテレビに映るもの」

「さて、そろそろ戻ろうか。皆、心配してるだろうし」とケイトに促され、一緒に裏口から中へ入る。
 
「あれだ、ちょっとタイミングが悪かったな」
 エドゥアルドがバツが悪そうに言う。居間には全員揃っていた。トニーはポリポリと頭を掻く。ソファに座るシルビアは行儀よく両手を膝の上に重ねていた。カービーは何も気にしない様子で、おれのほうを見ずにタバコを吸う。そして、ヒメネスは神妙な顔つきで両腕を組み、話しだす。
「君が来てから始めるつもりだった。これはね……どこから話せばいいのか」
「だいたいのことは私が説明したわ」とケイト。
「そうか、すまない。君が来る前に簡単なリハーサルをしてたんだけど、皆、特に僕が熱を入れてしまって」

 ヒメネスはまるで自分に落ち度があるとでも言いたげだ。少し間を置き、彼は小声で何かを言う。皆が彼のほうを見る。何と言ったのだろう。おれ以外にはわかったようだ。その場の空気の変化についていけない。ヒメネスはそれを察したようだ。

「はっきり口にしないといけなかったね。君は常に意識を集中して僕らの言葉に耳を傾けてくれてたのに。こっちは日本語の一つも学ぼうとしなかった」
「ケイトはスシのことを未だに『スシシ』と呼ぶし」とトニーが毒づいた。おれに自然な笑顔を向けるケイト。
「変なことは言ってないよ。でも、あらためて言い直すことでもないから、気にしないでくれ」とヒメネス。
「君がすべて判断しろ」
 カービーはいつの間にかおれのほうを見つめていた。灰皿の上には消されたタバコ。
「君はゴーストを見た。日本語では〈ユーレイ〉か。そして、私の映画を見てくれた。ゴーストと映画がサダオをここへ導いたんだ。さらに君はこの国で多くのものを目にした」カービーの表情は真剣だ。彼は続ける。
「私は自分をいまでも映画監督だと思っている。映像の仕事を長年続けてきたプライドがある。スクリーンやテレビに映るものについて、私から解説はできない。どう解釈しようと、見た者の自由だ。私が見せたあらゆるものはサダオ、君の好きなように受け取ればいい」

 おれは皆の顔を一人ひとり見渡しながら考える。言うべき言葉が見つからない。日本語ですら何も口にできない。彼らと目を合わすのが辛くなり、視線を窓に向けたとき、人影に気づいた。

 突如、玄関と裏口のドアが勢いよく開かれ、何人もの大男たちが雪崩れ込んできた。全員銃を持っている! おれたちにそれを突きつけ何かを叫ぶ。まったく聴き取れない。

「伏せるんだ!」と近くにいたエドゥアルドに足でこづかれた。彼は自分のマネをしろというように、おれを見ながら両手を頭の後ろに組んで、床に腹ばいになる。状況が理解できないまま、慌てて同じ動作をした。皆、同様のポーズを取る。片足が悪いトニーは動きが遅れ、男たちは彼を無理矢理、組み伏せる。トニーの悲鳴が響く。なんてことを!
「彼らの言うことを聞くんだ! 抵抗するな!」とカービーが吠える。さらに同じことをもう一度言ったが、おれには初めから聴き取れた。二回目はおれに向けてのものだろう。

 おれはパニックにはならず、なぜか冷静だった。というより、理解が追いつかずに自分が事件の渦中にいると思えなかった。コートに立っているのに、外野からバスケの試合を眺める感覚だ。男たちはジーンズにポロシャツやTシャツ姿のラフな格好が多い。どいつもダボついたコーチジャケットを着用し、その背中には〈ATF〉と書いてある。いったい、なんだ? こういうのは〈FBI〉か〈CIA〉くらいしか知らない。
 一番偉そうな白人のハゲ男がカービーの前に仁王立ちする。銃を仕舞い、上着の内ポケットから一枚の紙を取り出す。捜索令状だろうか。

 「お願い、お願い……」
 ケイトが「プリーズ」と何度もつぶやく。彼女の体は小刻みに震えている。シルビアの表情には、観念した逃走犯を思わせる諦めの色が浮かんでいた。エドゥアルドは忌々しそうな顔をし、カービーは憎悪のこもった目つきをATFの連中に向けていた。トニーは頭を抑えられているから顔は見えない。そしてヒメネス。まるでおもちゃを取り上げられた子供みたいに泣きじゃくった。この状況はなんだ? おれたちが何をしたっていうんだ。いきなり踏み込んできて、銃を向けてくるこいつらは何者だ? カービーは見たものを自分で判断しろと言った。ならば、もう何も見ないでやる。おれは瞼を閉じた。視界が暗くなる。
 
「トニー! やめろ!」
 エドゥアルドの声ではっと目を開く。二人がかりで動きを封じられたはずのトニーがどうやったのか、ATFの野郎どもから離れ、壁にピタリと背中をつけている。床に転がったメガネ。垂れ下がった片手には拳銃。ATFから奪ったのか、自分で隠し持っていたのか。
「やめて!」
「トニー!」
「落ち着け!」

 皆、トニーに声を投げかけた。ATFのやつらは彼に銃を向けながら抑揚のない口調でボソボソと何かを言う。
「おれは! おれは!」と叫んでいるのか、「ミー」を繰り返し、拳銃を振り回すトニーの目は焦点が定まっておらず、気が動転したその振る舞いに、冗談好きな彼のユーモラスさは微塵もない。悪いほうの足がガクガクと震え、倒れそうになるたび、踏ん張って立ち上がる。

 膠着状態は感覚では数分あったと思うが、その実、一分にも満たなかったかもしれない。トニーが急に全身を痙攣させた。胸にはワイヤーの付いた金属が打ち込まれている。彼は足を滑らし、床に崩れ落ちた。スタンガンの電極を飛ばす、テーザーガンに違いない。無力になったトニーを今度は四人で拘束するATFども。その中に見覚えのあるやつがいた。ホテルのロビーで、ブラックムービーは見ないと言ってきたあの男だ。こいつらの仲間だったのか。

 おれは首をよじってケイトのほうを向く。彼女の瞳は大きく開かれ、頬には涙が伝う。見るべきものは嫌というほど見せられた。すぐにもこの物語をエンドロールへ暗転させようと、おれは再び、自分の視界を暗くした。

×××
 
「お代わりは? 日本茶のほうがいいなら用意しますよ」
「いえ、コーヒーで大丈夫です」

 物語はまだ続く。これが映画なら途中退場してやるところだが、そうもいかない。おれは取調室にいた。この施設では別の呼び名だったが同じものだろう。目の前にいるのは日本語も話せる、日系アメリカ人の男性職員。黒髪、七三分けの風貌はそれだけで異国の地にいるおれを安心させた。飲み物を勧める彼の隣には、ホテルのロビー、そしてカービー宅にもいたあいつが。

「あなたの話はわかりました。ただ、ホテルでフライ捜査官にウソをついたのはよくない」
「すみません」

 ATFとは、〈BUREAU OF ALCOHOL, TABACCO, FIREARMS AND EXPLOSIVES〉を略したもので、〈アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局〉のことだと説明された。アメリカの財務省内にあるらしい。おれがいるのは、その組織の施設内にある一室だ。
「あの人たちは悪いことをしてたんですか? あるいは何かの計画を?」と単刀直入に質問した。フライにマイクと呼ばれていた日系アメリカ人の通訳で、フライからの答えを聞く。

「全部を話すことはできないけど」と前置きをし、マイクはクセのあるイントネーションの日本語で説明を始めた。カービーが運営するサークル〈グリーンマジック〉は当局からマークされていた。サークルにもカービー個人にもこれまで大それた犯罪歴はないらしいが、過去に別の土地で強引な勧誘や無許可の集会を行い、周辺住民や地元警察とトラブルになったそうだ。あるときはカービーが役所に乗り込んで「地獄に落としてやる」と脅しをかけ、彼は裁判所から罰金刑を食らった。
 また、サークル設立前、シルビアには自宅で栽培した大麻を販売したことで、夫婦揃って逮捕された過去がある。彼女は結婚していたのか。いまも夫婦生活は続いているらしい。

「何かとお騒がせな連中だったわけだ」とフライが言うのを通訳前に理解した。最大の危険人物と見られていたのはトニーだった。彼はパソコン通信を趣味としており、銃乱射や爆弾魔について語るチャットに入り浸っていた。それとあの拳銃。回転式の黒光りしたあれはエドゥアルドのもので、それ自体は許可を得たものだが、よく二人が森の中で射撃をする姿が目撃された。大麻、ピストル、犯罪チャットにオカルト団体……ウォッチしてくれと言っているようなものだ。ヒメネスとケイトはこれらのことを知っていたのだろうか。

「ある筋から有力な情報があり、この数週間は監視を強めてたんです。あなたは悪い時期に来てしまった」とマイクが言う。カービーと空港で出会ったときからおれも監視対象で、素性も調べられていた。特に日本では今年の春に地下鉄サリン事件が起こり、オウム真理教はロシアのモスクワに支部を持つ海外展開もあったせいで、怪しい日本人がカービーに接触したと、他の機関にまで問い合わせをする騒ぎだったという。どこからの情報かは非開示だったが、近日中にカービーたちが何かをしでかすらしいとのことで、今回の踏み込みに至った。
 
「しかし、幽霊ねえ。そういうのが存在しないとは言いませんが」とマイクは困った顔をする。ここでウソをつくわけにはいかない。渡米目的を包み隠さずに話した。狂人と思われても仕方がないだろう。フライは仏頂面でこちらをにらみ続ける。
「貞夫君、あなたに嫌疑はありません。ただ、今日と明日はまだ尋ねたいことがあるから、滞在してもらいたい。そのあとは日本に帰っていい。ご両親と大使館には私から連絡しておきます」
「わかりました」
「フライ捜査官があらためて聞きたいそうですが、カービーの家で違法薬物や銃器、爆発物、あるいはそれらに類するものは見なかったんですね?」
「はい、見てません。でも……」
「何ですか?」
「僕は目にしてないんですが、あの家に何かを大切そうに仕舞った、棺のような箱があるみたいです」と箱のことを伝えた。ケイトの名前は出さなかった。
「ああ、あれですか」マイクとフライは顔を近づけ、ボソボソと何やら言葉を交わす。
「これは言っても大丈夫でしょう。箱の中には、古いカメラ等の撮影機材が入ってました。危険なものはありません」

 それを聞いたおれはついカッとなり、「じゃあ結局、誰も何も悪くなかったってことじゃないですか!」と思わず声を荒らげた。
「落ち着きなさい。日本で警察に疑いを持たれた経験があるから、怒りたくなるのは無理もないでしょうが」
 そんなことまで調査済みなのか。ゾッとした。それから、マイクはフライの考えを伝える。
「あなたに話せる範囲では、現時点のステータスとして、彼らの情報を精査中だ、とだけ言っておきます。疑いが晴れれば、メンバーたちも家に帰されます。さて、続きは明日にしましょう。何か聞きたいことはありますか?」

 一つだけ疑問がある。おれは虚勢を張った、不器用なタメ口英語でマイクを介さず、フライに尋ねた。
「事前におれの素性を調べてたってことは、日本人であることも最初からわかってたんだろ。なぜ『ニーハオ』なんて話しかけてきた?」
「そんなことか。日本人と中国人の区別がつかない、その辺のマヌケなアメリカ白人を装ったんだ。実際、見分けはつかないけどな」とやつは薄ら笑いを浮かべた。 
 
 翌日も同じように聞かれたことを答え続けた。おれから引き出せる情報は打ち止めのようで、夕方には放免となった。迎えにきた大使館の職員と一緒にATFの施設をあとにする。幽霊を写したカメラは証拠物件として押収されてしまった。あのカメラは、せめてフィルムだけは返してくれと懇願したがダメだった。なら何が写っていたのかを立ち合いの下でいいから見せてほしいと必死で食い下がり、フライはいぶかりながらも承諾した。現像された写真は四枚。出国前に成田空港で撮影した滑走路を飛び立つ航空機、カービーと会った日に寄ったダイナー、ATFに踏み込まれる直前、ケイトと撮ったツーショット、そしてニューススタンド。スタンドの隣には何も写っていなかった。何の変哲もないスタンドを食い入るように見つめるおれの姿は、マイクとフライには奇異に感じられていただろう。

 施設を出る前、ケイトとのツーショットを焼き増ししてやろうかとフライに言われたが、おれは断った。

(第8話へ続く)

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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