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『あの映画の幽霊だけは本物だ』第8話「ビデオがおれの青春だった」(最終話)

 二十年後。二〇一五年のいま、おれは三十八歳になり、企業向けの翻訳業務を担っている。学生時代の自分が名づけた愛称でいうところの〈シマモヨウ〉は相変わらず目に入るし、頻度もだいたい同じで、月に一度か二度。仮におれの寿命が七十歳だとしたら、あいつらの仲間入りになる猶予はもう折り返しを過ぎたが、そう考えたからといって死生観に影響があるでなし、深くは考えずに日々の慌ただしさに流される生活だ。今日は秀樹と会う予定があり、こうして渋谷の駅前であいつを待つ。考えれば、秀樹と一緒に映画館で映画を見るのは今回が初かもしれない。一緒に映画を見たこと自体も、例のビデオをあいつの部屋で見たのが最初で最後だった気がする。

 あの年はいろいろなことがあった。アメリカから帰国し、両親からはこっぴどく叱られたが、おれが無事だったことはおやじもおふくろも素直に喜んでいた。日本で報道されるほどの事件ではなかったようで、夏休みが明けたあとはいつもどおりの学校生活が始まった。カービーから便りが来ることはなく、おれも連絡はしなかった。現在のようにインターネットがなかった当時、事件当日のアメリカの新聞を調べ回ることは難しく、国立国会図書館に行けば読めたと知っても、そこまでする気にはなれず、彼らがどうなったのかわからないままおれは高校を卒業した。結局、受験には失敗し、薬剤師への道は諦めた。皮肉にも英語の試験が一番ボロボロだった。その後、人並みに山あり谷ありの人生を歩み、いまに至る。実家には盆と正月に帰る程度で、両親との仲は悪くない。
 
 これまでに出会った、死者が見える人間はカービーとサークルのメンバーを除けば二人だ。一人目は二十代後半に沖縄旅行をした際、石垣島で会った、初老のタクシー運転手。走行中、彼は出し抜けに幽霊の話を始め、夏だったし怪談話かと思い、なんとはなしに聞いていると霊の特徴が本物。自分も見えることを伝えたが、意外や向こうは驚かない。そのあと、すぐに目的地に着いてしまい、運転手とはそれきり。沖縄には以来、訪れていないが、あそこの土地には見える人が多くいるのだろうか。カービーとの邂逅を経て、他にも見える人間がいることを知ったし、ニュージャージーの夏のことを思い出したら、特に仲間を探す気は起きなかった。
 
 三十歳のときに出会った、もう一人の見える者。友人の紹介で知り合った、瑛子という同い年の女性で、美容師だった。瑛子とは付き合うようになり、あるとき、彼女から幽霊が見えることを告白された。瑛子が打ち明けたことを信じると言ったおれはしかし、自分も同じ秘密を持つことはなぜか黙っていた。ケイトは霊が見えないヒメネスを気遣い、ウソをついたが、おれの場合は……。

 四年近く続いた瑛子との関係は、結婚を目前にして終わりを迎えた。結婚を切り出そうかと思案する頃、告白と合わせて、自分も死人が見えることを伝えようと思った。その矢先、おれは死んだ人間が見えるのは遺伝するんじゃないかという考えに取り憑かれ、両親が見えるなら、子供も見える可能性が高くなると、何の根拠もないのに恐怖した。幽霊について、根拠も科学的もあったもんじゃないが。

 幽霊が見えて得することはない。おれは身を持って知ったし、瑛子も見えることで苦労したとよく嘆いた。子供の将来を憂慮すれば、別れるほうが正しいと、あのときは本心からそう思ってしまったのだ。見えることは最後まで言わずに、それらしい理由をつけて別れた。バカなことをしたもんだ。瑛子には本当に申し訳ない。彼女はどれだけ傷ついたことだろう。いまでは連絡先もわからず、近況を知ることもできない。いつか再会する日があったなら、きちんと謝ろう。そして、霊が見えることも伝えたい。
 
 瑛子と別れてから数ヶ月後、あれは二〇一一年七月二十四日だった。東日本大震災で被災した東北三県を除く全国でのアナログ放送終了日。カービーのことがNHKのニュースで流れた。彼は自らが組織した武装集団〈ザ・ヒア・アフター〉のメンバー十数名を率いて、テネシー州ナッシュビルの映画館に立て篭もり、地元警察との激しい銃撃戦の末に射殺された。おれはそのニュースを当時勤めていた印刷会社の飲み会で目にした。労働者向けの格安居酒屋にあるテレビモニターを一心に見つめていたおれは、酔って絡んでくる上司に「うるせえ! いまテレビ見てるんだよ!」と一喝し、そのまま店を出た。
 
 カービーと共に射殺されたメンバーは八人。他も全員逮捕。テレビではジョン・カービー以外の名前は出されなかったため、帰宅後すぐに海外のニュースサイトで関係者の名前を探した。ノエル・ヒメネスは? トニー・ディラハントは? エドゥアルド・サントス・ドゥモンはいるか? シルビア・キャロウェイはどうだ? そして、ケイト・ラーターは……。
 知った名前は逮捕者の中に一人だけいた。ヒメネスだった。立て篭もりにはメンバー全員が参加したらしい。つまり、おれが知るメンバーで最後まで残ったのはヒメネス一人。一番聡明に見えた彼がなぜ? あの夏休み、共に過ごしたメンバーたちの名前を検索サイトで調べようと思うも、踏み留まった。特にケイトのことは、あの笑顔とヘンテコ日本語「コニニチ!」が唐突に思い出されて胸が詰まった。彼女はどうしているのか? キーボードのKのキーを何度も打ちそうになったが、こらえた。そんなことをして何になる? ケイトのことも含め、事件について、それ以上調べることはやめた。

 高校生の頃、トレントンで会った時点からそうだったのか、あるいはATFに痛めつけられたことで思想が破滅に傾いたのかはわからない。カービーに恨みつらみはなく、貴重な話から学んだことも多い。それなのに、自分の心が冷たいのか、彼が死んだと知っても悲しいとは思えなかった。自分が知るメンバーたちの安否さえわかればそれでよかった。逮捕されたとしても、ヒメネスの命があったことには安堵した。『サイキック・ストレンジャー 邪』は多くの人々の人生に影響を与えた。かくいうおれもその一人。大人になってからもカービー映画の呪縛は続く。酒席で上司を怒鳴りつけたことが問題になり、会社を退職せざるをえなくなったのも辿っていけば、あのお粗末なホラー映画に行き着く。いつまで経っても「STARTLE!(驚き!)」な映画だ。
 
 無職になったことと、カービーの末路を知ったことがきっかけとなり、自身の生き方を見つめなおした。高校最後の夏から数えて十六年ぶりに英語を真剣に勉強し始め、苦労しながらも四年後の現在、フリーの翻訳者としてなんとか食っていけるまでになった。主な依頼は企業のビジネス文書の翻訳だ。映画やドラマの映像翻訳の分野は避けた。いまでも映画は見る。しかし、生業として付き合うことには抵抗があったのだ。
 
 カービーの死に悲しみを感じなかったが、牧野タンジェリンの死には涙した。彼女は、しぶとく芸能界を生き抜いたけれど、知らずに友人の詐欺行為に加担したり、薬物に手を出したりと転落してしまった。二年前に、自宅の浴室で不審死しているのが見つかった。別にファンだったわけじゃない。生で見たことすらない。それでも、なぜか義務感にかられ、お別れの会には参加した。カラーの遺影は、トレードマークのレインボーヘアが鮮やかなタンジェリンの微笑。それを見ていたら、思いがけずに涙があふれ落ちた。両親も健在なおれにとって、初めて悲しみを覚える、人の死だった。

×××
 
「遅れてすまん。校正に時間を食っちまって。配給会社は土壇場で宣材を使うなと言ってきやがるし」
「気にすんな。仕事が不規則なのは知ってるよ」
「上映開始がもう近いよな。急ごうぜ」

 秀樹は映画監督になれなかったが、映画雑誌のライターとして奮闘している。映画業界の荒波に揉まれたからか、言葉遣いと目つきが悪くなった。スキンヘッドも威圧的だ。元気ならそれでいい。あいつとの仲は続いており、いまでもたまに会う。たいていは飲みに行くのに、今日は珍しく映画の誘い。なんでも、最近になって『サイキック・ストレンジャー 邪』がフランスでリメイクされたという。これからそれを二人で見届ける。

 言うまでもなくカービーは故人だから、本人とは無関係にリメイクされたものだ。ひょっとしたら、彼の組織〈ザ・ヒア・アフター〉はまだ解散しておらず、残党の手によるものか? まさかヒメネスが……それは違うと思いたい。立て篭もり事件後、カービーの手掛けた作品はカルト化し、一部で再評価の機運が高まっていると、チラシには書いてあった。そのチラシに掲載されたクレジットにヒメネスの名はない。今回のリメイクは、カネになると嗅ぎつけたフランスのゲスなプロデューサーの企みだろう。
 
 渋谷にある中規模の映画館で、メジャーではない映画ばかりを集めた特集上映が企画され、『サイキック・ストレンジャー 邪』のリメイクもその一本としての選出。フランス語の原題は『Ne bouge pas』といい、「動かないで」だとかいう意味だ。洒落ている。それなのに、邦題は『ブラッド・サイキッカーZ』だと。オリジナルの邦題もたいがいだったが、リメイクはそれに輪をかけるひどいセンスで参ってしまう。

 おれが注目するのはもちろん心霊描写。出し惜しみなくスクリーンに何度も現われたゴーストはCGで処理され、まるで光沢のある半漁人のような姿だった。確かなことは、このリメイクの作り手は真の幽霊を知らない。全体として映画は凡庸で、途中飽きてしまうほどだったが、主役を演じる俳優はジョシュア・ネルソンより遥かに存在感があり、そこはよかった。ネルソンはいまもウェストバージニアで暮らしているのだろうか。
 カービーの信者たちとは、少なくともヒメネスとは関係ないだろうと思いつつ、オープニング、そしてエンドロールに彼の名を探したが、どこにもなかった。かつてのメンバー、エドゥアルドたちの名前も。
 
「オリジナル版は怨霊の造型が奇抜で、そこが評価対象だったのに、リメイクのあれはダメだな。最近はフランスのホラーもパワーが落ちてる。もっと、恐怖映画を復興させないと」
 駅までの帰り道、秀樹はホラー映画の現状を憂いた。
「……なあ、秀樹」
「なんだ?」
「高校生の頃、さっきの映画のオリジナル版をおれが見たいと言ったときにさ、おれにだけ見える幽霊が映ってるって話をしたろ」
「覚えてるよ。それで?」
「あのとき、お前は深く突っ込んでくることはなかったよな。内心どう思ってたのか、教えてくれないか」

 ビデオを見たあの日から、おれと秀樹は幽霊に関する話をしていない。秀樹はおれがカービーに会いに行くことを知った際、余計なことは何も言わずにただ、空港まで見送りに来てくれた。帰国後もそっとしておいてくれたのにはいまも感謝している。おれに気を使ったのか、カービーが殺されたときにも連絡はなかった。だから今日のこの誘いには驚いた。

「貞夫、おれが言ったことを覚えてるか」
「え、それは……」
「おれはこう言ったんだ。『答えはビデオの中にある』」
「……」
「おれが監督になったら、使おうと思ってた台詞なんだけどね」
「なんだ、パクリじゃなかったのか」
「はは! 見くびられたもんだな」
「悪かった」
「で、どうだった? 答えは見つかったのか?」
 
 いつの間にか、秀樹の肩越しの向こうにシマモヨウがいた。明らかにおれのほうを見ている。瞬間、そのシマモヨウがケイトに思えた。彼女の生死すらわからないというのに。

「どうした?」と秀樹が戸惑った表情を見せる。
 おれは秀樹とケイト、いや、シマモヨウを見ながら言った。
「……そうだな、何かは見つけたよ。何かは」
「なら、それでいいじゃないか」
 
 家に帰ってから、ネットで『サイキック・ストレンジャー 邪』のことを検索してみる。DVDや動画配信はなく、VHSしか出ていない。オークションサイトで調べると、ちょうど出品中で、現在価格は五千円。ビデオデッキは秀樹が持っているから使わせてもらうとして、C級映画に五千円か。さらに競り上がるかもしれないし、やめておこうと思ったが、気づくとおれは〈入札〉を押していた。

(完)

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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