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『あの映画の幽霊だけは本物だ』第6話「女学生与流氓鬼」

 滞在三日目。昨日の帰り際、カービーからは午後三時頃に来てくれと言われている。ホテル近くのダイナーで信じられない不味さのサンドイッチを食ってしまい(それでもトラブルはごめんだとチップは払う)、部屋で一旦休もうとホテルのロビーに戻ったとき、白人の男に「ニーハオ」と声をかけられた。やれやれ、今度はチャイニーズに間違われたのか。自分が日本人であることと、日本語以外はまともに喋れないことを伝えた。綺麗に刈り揃えた短髪にノーネクタイのスーツ姿という身なりをした四十代くらいの男は、おれと同じホテルに泊まっていると話した。男はカービーたちと同様、おれが理解できるように滑舌よく話してきたが、その口調はまるで幼稚園児に対する先生のようなもので、バカにされている気になった。そのことから、サークル〈グリーンマジック〉の面々がどれほどおれに対等な関係で向き合ってくれているのかを思い知った。

「昨日の夜、君を車でこのホテルに送ってきた二人組は知り合いかい?」
「ええ、知り合ったのはここに来てからですけど」
「立ち入ったことを聞くが、君は未成年の旅行者だね? どういう事情でこの国に来たのかな」

 こいつは信用するな。直感でわかった。日本でおれを苦しめた刑事と同じ目つき。警察関係者かは定かでないが、安全圏で暴力を振るう側の人間に違いない。おれは両親についたのと同じウソを述べた。
「バスケファンか。なら、昨日のあの試合をどう評価する?」と男は言う。かまをかけてきた! なめてやがる。こっちは数々の自白強要にも屈しなかったんだぞ。下手に知ったかぶりで返すと揚げ足を取られると思い、「昨日は朝、ホテルを出たあとに財布を落としてしまって。困ってたところを、通りがかったあの二人に助けてもらったんです。結局、財布も見つかって、そのまま一緒に映画を見たりして過ごしました。『バッドボーイズ』はご覧になりましたか?」と話題を逸らしつつ言ってやった。虚実を混ぜると説得力が増す。

「そんなことがあったんだね。助けてくれる人がいてよかった」と男は穏やかに言うが、やつの眉間に一瞬皺が寄ったのを見逃さなかった。こっちの言うことを信じてはいないな。
「あの二人は私の古い知り合いでね。久しぶりにこの街に戻ってきたから、訪ねようと思ってたんだ。驚かせたいから、私と会ったことは内緒にしておいてほしい。あと映画のことだけど、私はブラックムービーが好きじゃない」

 差別野郎はおれに十ドル札を渡してから、外に出て行った。謎の男の不快な詰問と、水に浸す前の乾燥餅みたいなサンドイッチの不味さとで気分の悪さは最高潮に達し、部屋に戻ったおれは洗面所に食った物をブチまけた。
 
 カービー宅に着いたのは午後三時過ぎ。ホテルのベッドでしばらく横になったあと、ランチを取ることもなく直接向かった。胃のむかつきが残る腹をさすりながら、玄関の鈴を鳴らす。一瞬、パレスに迎え入れてくれるケイトの姿が頭をよぎる。が、ドアは閉まったままで何の反応もない。ドアノブを回してみる。鍵はかかっていなかった。「ハロー」と声をかけつつ足を踏み入れる。誰もいない。照明と窓から差し込む明かりがあるとはいえ、カービー趣味全開の黒い空間に自分独りは薄気味悪い。皆の私物や食べかけのスナック類があることから集まってはいるようだ。ならどこに? 巨漢のカービーがいつも座るからだろう、シートにめり込んだ跡が残るソファに腰掛け、ぼんやりと考え事をする。

 思えば、大人とこんなにも腹を割って話をしたことはこれまでにない。教師や両親との間には不信のカーテンが引かれているし(引いたのはおれだが)、バイト先も一人作業が多い仕事だったこともあり、先輩と口を利く機会も少なかった。異国の地で、不完全な言語のコミュニケーションにも関わらず、しかも会ってまだ三日と経っていない、それなのにおれは彼らと友というのか、同志のようなつながりを感じ始めている。
 
「……ワー」
「ゴー……ワー」

 何か聞こえる。テレビの音声か? 違う。近くで誰かが発する声だ。カービーたちなのか? 声はアウェイク・ルームのほうからだ。恐る恐るドアを開けると、室内には誰もいない。それでいて、声はより大きく耳に入ってきた。

「ゴー……パワー」

 同じ言葉を連呼しているようだ。いったいどこから? 耳をすませばわかるかもしれない。目を閉じ、意識を聴覚に集中させる。

「……スト…ワー!」

 地下だ! ここから地下室へ行けるんだ。床のカーペットをめくり、入り口を探すが見つからない。この狭い小部屋のどこにあるのか。アウェイク・ルームだけに自分で気づけってことか? まったく悪い冗談だ。

「ワー! ……パワー!」
「ゴースト!」

 見つけた。壁に掛かった、黒地に白抜き文字の大きなカレンダー。それを外すと今度は映画のポスターが目に入った。アジアの作品らしく、『女学生与流氓鬼』と書いてあるが意味はわからない。漫画のアラレちゃんみたいな黒縁メガネ、シャツをジーンズにインするダサイファッションの少女が写っている。コメディ映画のようで、いまの気分には相応しくない。ポスターを丁寧に剥がすと、小さな引き戸とその先に階段があり、そこから地下に降りられた。
 
「なんだこりゃ」
 おれの第一声はそれだった。もちろん日本語だ。地下室は広く、学校の教室くらいはある。黒く塗り潰された地上とは異なり、地下は一面緑色。〈グリーンマジック〉はそこからか。そんなことはどうでもいい。地下室の壁にはプロジェクターで映像が流されている。CNNか何かのニュース映像だろうか、犯罪車両とパトカーのカーチェイスに政治家の演説、市民デモやどこかの火山の爆発などの映像がランダムに流れる。と思えば突如、子供向けアニメのドタバタ劇が挿入され、環境ビデオから持ってきたのか雄大な砂漠の風景が流れたりもする。まるでテレビのチャンネルを無作為に切り替えるように。ジャンルの異なる映像への転換時には、『サイキック・ストレンジャー 邪』のゴースト出現シーンがサブリミナル的に、ギリギリ視認できるレベルで差し込まれていた。これは〈MADビデオ〉ってやつだろう。以前、秀樹が手に入れた物をあいつや真治ら男友達だけで集まって見たことがある。既存の映像を好き勝手に編集してつなぎ合わせた、作品などとは呼べない代物だ。

「ゴーストパワー! ゴーストパワー!」
「ゴースト! ゴースト!」

 カービーをはじめ、サークルメンバー全員が起立している。皆、拳を頭上に突き上げながら映像に向かって叫ぶ。背中しか見えないから、彼らの顔つきはわからない。見たくなかった。落胆したおれは呆然と立ち尽くしたまま、メンバーたちの後ろ姿を眺めた。おれの気配に最初に気づいたのはケイト。振り向いた彼女は笑っていた。狂信的な笑みではなく、音楽ライブで盛り上がる若者と変わらぬ表情。彼女と目が合ったおれはどうリアクションをとればいいかわからず、階段をかけ上がり、その場から逃げた。
 
 裏庭のポーチに座り、額に両手を当てて考え込む。やっぱり、あいつらはカルトじゃないか。テレビのドキュメンタリーで、白人至上主義者が「ホワイトパワー」と吠える様子を見たことがある。あれと変わらない。ヒメネスらメンバー個々人は理性的でまともかもしれないが、人間、世間に理解されない同じ目的で集まるとろくなことをしでかさない。ゴールデン・パレスを初めて見たときの直感は正しかったのだ。
 
「……サダオ! 返事して!」
「え?」

 何度か呼びかけられていたらしい。顔を上げると、心配そうな表情をこちらに向けるケイトの姿があった。今日は少し肌寒いこともあり、デニムジャケットを着た彼女はおれの隣に腰を下ろして話し始めた。

「ビックリするよね。いきなりあれを見たら……」
「……とても驚きました」
「だから、もっとフランクに話そうよ! 少なくとも私に対してはね」
 ケイトからそう言われ、なるべくくだけた表現になるよう務めて話した。
「地下室で皆は何をやってたの? あの映像は? それに『ゴーストパワー』って……」
「何て言ったらいいのかな。簡単には説明できなくて」と彼女は口ごもり、言葉を選びながら話を続ける。
「まず、これは信じてほしいんだけど、私たちは〈マンソン・ファミリー〉でも、〈ピープルズ・テンプル〉でもないから」
「ごめん、どっちも知らない」
「えっと、そうだ、君の国だったら、地下鉄で毒ガスを撒いた集団がいたでしょ。ああいうヤバイ集まりではないってこと」
「そこまでは思ってないよ。ただ、何かちょっと恐かったんだ」
「クレイジー、に見えたんだよね」
「うん……」

 ケイトは少しの間、裏庭にある物置のほうを見やり、それからこう言った。「実は私も死んだ人が見えるの」と。
「ヒメネスだけは本当に見えないみたい。彼とはフューチャー……いまはカービーって呼ぶね。カービーが同人誌に掲載した、自主映画のスタッフ募集の説明会で一緒だった。君がどう聞かされたのかはわからないけど、あの募集も騙しじゃなくて、スタッフ集めと、その中から同志になりそうな人をサークルに勧誘してたんだよ。結局、映画のほうは中止になっちゃったけど。私はあのオカルト刑事映画のことは知らなくて、サークルに誘われてから、ゴーストが見える人だって知ったの」
「そうだったんだ」と単純な相槌しか打てない。
「私も君と同じで、自分にしか見えないと思ってた。サークルには同じ人たちがいることを知ってうれしかったわ。でも、自分も見えることを言おうとしたとき、ヒメネスが目に涙を浮かべて……」
「何があったの?」と続きを促す。
「彼が言ったことは忘れられない。『僕はここでも除け者だ』」
「それはどういう……」
「なんかね、ヒメネスは子供の頃からずっと孤独だったみたい。サークルに誘われたとき、すごく喜んでた。でも、死者が見える人の集まりであることを知ってショックを受けてたわ。過去にはヒメネスと同じように見えない人もメンバーにいたらしいんだけど、そのときは彼だけで」

 誰よりも有望な未来ある青年に思えたヒメネスが、そんなに苦しんでいたのか。おれはつくづく人を見る目がない。
「ここで私も見えると言ったら、さらに彼を追い込んでしまいそうだった。だから、見えないフリをしたわけ。それから、ずっとウソをつき続けてる。一度、皆と一緒のときにゴーストが出てきて、実は見えてることがバレるんじゃないかって焦ったわ」
「彼のことを大切に想ってるんだね」
「別に恋愛感情はないわよ」とケイトは笑いながら言う。それを聞いて、安心してしまう自分がいた。そうか、おれは彼女に惹かれている。単身渡米やら幽霊やらカルト疑惑やらで頭の中はごちゃ混ぜだが、彼女に他の皆とは違う感情を抱いていることは疑いようもなく認識できた。でも、いまは……。
「サークルの活動はね、皆で集まって遊んだり、いろんななテーマで話し合うのが中心。アウェイク・ルームで瞑想することもあるわ。それから、月に二、三回のペースかな、地下室で〈ビジョン・タイム〉をやってる」
「それがさっきの?」
「そう。カービーが作った映像を流しながら、皆で意識を統一させるの。それだけよ。『ゴーストパワー』というのは、私が参加したときにはもう定着したスローガンだったわ。前に在籍してたメンバーの誰かが言い出した言葉らしいけど」
「映像にはどういう意味があるんだろう。関係ない映像を継ぎ足してるだけにしか見えなくて」
「私にもわかんない。この前は、赤と緑のボーダーラインが画面いっぱいに映る映像をひたすら一時間に渡って見せられた。言えるのは、どの映像も見る人を一種の催眠に近い状態にすること。そのほうが意識を統一させやすいからって」
「それって洗脳なんじゃ……危ないよ」
「どうなんだろ、別にカービーから危険なことをさせられるわけでもないし、お金だって取られない。皆、学校や仕事なんかの自分の生活も持ってるしね。ただ……」
「どうしたの?」
「ヒメネスがね。ビジョン・タイムに参加し続ければ、自分にもゴーストが見えるようになるって信じてて」
「まさか!」
「もちろん、なるわけない。ヒメネスが勝手にそう思ってるだけ。なのに、誰も彼を正そうとしないのよ」
「カービーたちの優しさなのかも。本当のことを言って、傷つけないように」
「ならいいんだけどね。私はあの人たちのことが好きよ。でも、たまに距離を感じることがあって。私とヒメネスに内緒で、何かをしてる気がするの。先月、地下室に棺みたいな箱があったから興味本位で開けようとしたら、飛んできたシルビアに手をはたかれたわ。彼女が怒るのを見たのはあれが初めて。トニーとエドゥアルドが箱をどこかに運び出すとき、中からガチャガチャと音がしてたから、流石に死体ってことはないと思うけど。いまのは冗談よ」

 このエピソードを聞いて、朝に会った、いけ好かない男のことを思い出し、迷ったものの、ホテルのロビーでの出来事をケイトに話した。彼女は自分の後頭部を手のひらで何度か叩く。考えを巡らすときのクセなんだろうか。表情は険しい。

「エドゥアルドはピストルを持ってるけど、ちゃんと手続きを取ったはずよ。昔、強盗に襲われたことがあるから護身用に」
「彼のことだけじゃなく、カービーたちは何かを企んでるのかもしれない。棺だっけ? その中には例えば、武器とか……」
「ちょっとやめて。考えたくない」
「ごめん」

 自分の配慮のなさを嫌悪する。彼女は不安になっているというのに。死体の冗談だって彼女なりの強がりに決まっているじゃないか。おれにはわずか数日の仲だが、ケイトにとっては一年以上も共に過ごした友人たちだ。おれ如きが介入などできない絆が彼らの間にはあるのだろう。

 ケイトは俯いたまま沈黙する。いたたまれない気分だ。自分の人生には怒りと疑心とシラけしかないと時折思っていたが、そんな考えは自惚れで格好悪く、恥ずかしいことだと、いま気づいた。大人に対し被害者ぶっていただけに過ぎない。自分のことしか見えなかった。その証拠に、隣で身を震わす女性一人、慰めることもできない。
 
「スノーモンキーマウンテン」
「え?」

 ケイトが急に何を言い出したのかわからず戸惑う。
「日本では、モンキーが自然のお風呂に入ってるんでしょ。そういう山があるんだよね?」
「ああ、うん。ナガノという場所にあるよ。幼い頃、家族で行った」
「うらやましいな。私、本物のモンキーを見たことがないから。しかも野生のを目にできるなんて」
「日本は山のほうに行けば普通にいるけど、アメリカじゃあ珍しいみたいだね」
「こっちでは毎年、モンキーやゴリラの映画が作られてるんだよ。『PLANET OF THE APES』は見た?」と訪ねてくる。『猿の惑星』のことか。なんでケイトはこんな話を続けるんだろう。
「僕も見たよ。テレビでシリーズ全部を。好きなのは確か四作目、人間に散々いじめられたモンキーたちが反抗して、銃を手に政府と戦うストーリー……また余計なことを言っちゃった。バカだよね。怒っていいよ」
「謝らないで。私も四作目が好き」とケイトは微かに笑みを浮かべる。
「サークルのメンバーは多いときで二十人近くいたそうよ。その頃は短編映画を作ったり、他にもショーみたいなこととか。でも、どんどん人が離れて、いまは私を入れてたったの六人。最近はビジョン・タイム以外、これといったこともしてない。皆、変化を求めてたの。だから、君が来てくれてよかった」

 それを聞いて、なぜか胸が痛む。おれには何もできないよ。
「そういえば、カメラは持ってきた?」とケイトに言われ、リュックから使い捨てカメラを取り出す。
「友達の家がカメラショップをやっててさ。頼めば安く現像してくれるわ。ここから近いし。そうだ、せっかくだから一緒に撮ろうよ!」そう言うなり、彼女はおれの手からカメラを取り上げ、それを掲げて、おれたち二人がフレームインするよう狙いを定める。肩を寄せ合う形になり、気恥ずかしい。
「観光客らしく笑いなさいよ!」

 シャッターの音を聞いた瞬間、様々なことが脳裏をかすめた。冤罪、幽霊、映画、カービー、ビデオテープ、図書館、両親、ロッドマン、ダイナー、なんとかスミス、そしてケイト……。

(第7話へ続く)

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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