見出し画像

『あの映画の幽霊だけは本物だ』第2話「『サスペリア』と『サンゲリア』と『サランドラ』」

「それは、ジョン・カービー監督の『サイキック・ストレンジャー 邪』だね」と即答する秀樹。土曜深夜のホラー特番の放送から明けた日曜日、おれは秀樹と会い、映画の情報を聞き出した。あいつは特番を見逃したと悔しがったが、番組内で紹介されたホラー映画の一本について、おれの説明を聞いてすぐに答えることができた。本物の亡霊を描写した作品は、一九八六年に作られたアメリカ映画だった。
 
 『サイキック・ストレンジャー 邪』の内容はこうだ。主人公はニューヨークで警察官になったばかりの若い男。追跡中の犯人に撃たれ、生死を彷徨う大ケガを負って以来、男はゴーストが見えるようになる。それをきっかけに黒魔術を使った殺人集団に目をつけられ、闇の組織との戦いへ身を投じていく物語。ホラー特番では、映画の中で描かれた幽霊たちという特集が組まれていた。『サイキック・ストレンジャー 邪』は変わり種として、バカにする紹介のされ方だった。
 番組ゲストで呼ばれた、元野球場のビール売りで、いまは芸人なのかアイドルなのかどっちつかずの牧野タンジェリンとかいう女が「オバケが縞模様とか、バカみたいで笑えるんですけど」とレインボーカラーのロングヘアをいじりながらのたまう。おれはタンジェリンを殴りたくなったが、そんなことより気にするべきは、自分の他にも本物の幽霊を見る人間がいたこと。幽霊のデザインをした人物は絶対におれと同じ目を持つ。この事実には興奮した。
 
 秀樹も映画雑誌で存在は知っていたが、実際に見たことはないという。とにかくその映画を見なければ。ビデオは出ているらしく、おれはそのまま秀樹を連れて、近所のレンタルビデオ屋〈ブロックバスター〉へ直行。なぜそんなマイナーな映画を見たがるのか秀樹は不思議がる。幽霊が見えることをあいつに話した際、細かい造型には触れなかった。変に誤魔化すのも面倒だったので、これを機会に亡霊がどう見えるのか、そして同じ描写をその映画の紹介映像で見たことを話した。

「なるほど。理解した」
「何を理解したんだよ。まあいいけど」
「とにかく、答えはビデオの中にある」

 おそらくは何かの映画か漫画で仕入れたであろう、決め台詞のようなフレーズを芝居がかった口調で言う秀樹におれは苦笑した。
 マイナーな作品のようで、なかなか見つからない。さ行のホラー映画はやたらとあり、パッケージを指差し確認しながらの探索は骨が折れる。〈サイキック〉が付くタイトルの多いこと! 『サイキック・バンパイア』だの『サイキック・ゾーン』だの勘弁してくれ。秀樹の情報では『サイキック・ストレンジャー 邪』の本来の英語タイトルは『THE GHOST IN 42 STREET』というそうだ。〈サイキック〉なんてありきたりなワードを付けた日本のビデオ会社のやつらを恨む。
 もしかしたらホラーではなく、サスペンスやSFのコーナーにあるかもしれないと秀樹から助言を受け、そっちも探した。見つけられず、店の人にも聞いたが、取り扱いはないとのこと。おれたちは別の店に行った。
 
 二軒目、三軒目と回るも収穫なし。
「どこに行っても、『サスペリア』と『サンゲリア』と『サランドラ』はあるんだな」
「むしろ、無い店があったら、そっちのほうが問題だよ」
「似たようなタイトルでおれには区別がつかないや」
「全部、ホラーの中でも違う系統なんだけどね。説明してもいいけど、興味ないでしょ」
「語感が気に入ったから、ちょっと見てみようかな。あとで聞くよ。でも、いまは『サイキック・ストレンジャー 邪』だ」
 四軒目も空振り。一瞬、見つけた気がしたが、よく見ると『人蛇大戦・蛇』だった。字の配置が似ているから、惑わされてしまった。パッケージの裏には無数の蛇が暴れ回る写真が載っており、宣伝文句には「十万匹の蛇が絡みつき、むしゃぶる!」と書いてある。なんて気色の悪い。
 
「あと、『サイコ』は店によって、ホラーコーナーにあったり、サスペンスの場所にあったりするんだな。しかも、続編の二作目以降だけ置いてたりするし」
「一作目は監督コーナーにあるんだよ。ヒッチコックだからね」
「ヒッチコックならおれも知ってるよ。テレビで『鳥』を見た。ヒステリックなババアにムカついたのをよく覚えてる」
 普段、そんなに映画を見ないので、秀樹と映画談義をすることもあまりない。あいつに付き合ってレンタルビデオ屋に行くことは何度かあったが、こんな風に同じ目的でビデオ屋めぐりをするのは初めてかもしれない。目当てのビデオを探しながら、気になるタイトルのパッケージを手に取り、そっちも見たくなる。それが楽しいから、すぐには店員に聞かないで、自分で店内をうろうろ探し回る。ビデオ屋めぐりの面白さがおれにもわかってきた。
 
「秀樹、あったぞ。これだな。ただ、背景にゴールデン・ゲート・ブリッジのイラストが描いてあるけど、確か映画の舞台はニューヨークじゃなかったか? ゴールデン・ゲート・ブリッジがあるのはサンフランシスコのはず」
「映画でそういうのは、よくあるんだよ」
「普通にウソじゃないのか。ウソついたらダメだろ」
「へへっ」

 なぜか秀樹は自慢げにうれしそうな顔を見せる。意味不明だが、映画好きだけが笑える話なんだろう。
 電車で隣町まで行ったのが五軒目の〈アコム〉だ。金貸しの企業が運営する、このレンタルビデオ屋で遂にお目当ての映画に辿り着いた。パッケージ表面のジャケットには、主人公と思しき白人の警察官。右手に拳銃、左手に十字架を手にし、両手をクロスさせている。背景はなぜかゴールデン・ゲート・ブリッジ。裏面には、あらすじ紹介と出演者、スタッフの名前が書いてあった。「原案・監督・脚本・ゴーストデザイン ジョン・カービー」と。これだ!
 監督のみならず、ストーリーを考え、さらにゴーストのデザインまで手掛けたこのジョン・カービーこそ、おれと同じ、幽霊が見える者に違いない。残念ながらパッケージではゴースト登場シーンは確認できないが、この映画の中には、あの特番で見た幽霊がいるはず。
 すぐに会員登録を行い、ビデオをレンタル。ついでに『サンゲリア』も借りたかったが、貸出中だったので、代わりにタイトルを見間違えた縁で『人蛇大戦・蛇』を借りてやった。
 
 おれの家には居間にしかテレビがなく、集中して見るため、自室にテレビデオがある秀樹の家で鑑賞することにした。
 精彩を欠く主人公の寝ぼけ顔から始まった時点で嫌な予感がしたとおり、映画は退屈極まりない。特撮のことは詳しくないが、発砲シーンも「パッ」とおもちゃのピストルを撃つような気の抜けた感じだし、警察署も途中まで、ただの事務所にしか見えなかった。秀樹に言わせれば、まごうことなきC級映画だ。主人公の名前がマイケル・スミスというのも地味すぎる。真面目にやれ。

 三十分ほどして、マイケルが撃たれ、昏睡状態から回復。そろそろ幽霊の登場かと期待した自分がバカだった。その後、延々と主人公のリハビリやおれでも演技が最低レベルだとわかるヒロインとのベッドシーンやらが続いて辟易した。映画が始まって一時間ほど経ってもゴーストが出てこず、もしかしたら借りるビデオを間違えたのかと心配になった直後、待望のシーンはやってきた。

 殺人事件の被害者が眠る墓地を訪れたマイケル。墓石の前で腰を屈めていた彼が立ち上がる。すると、目の前にいたのはシマモヨウ! 自分にだけ見えると思っていた大仏面の怪人、その正体は死んだ人間の姿。つまり幽霊。そして、初めて亡者を見たマイケルのリアクションに思わず膝を打つ。なんと全力疾走して逃げたのだ。それはおれが怪人を幽霊だと認識した直後の行動と同じ。おそらく監督の演技指導によるものだろうが、マイケルを演じる役者がようやくまともに見えた。

 次にゴーストが登場したのは、ホラー特番で紹介された場面。駐車場で銃を構えるマイケルの背後にいつの間にか、幽霊が佇んでいる。タンジェリンが「笑えるんですけど」とバカにしたシーンだ。
 結局、幽霊は劇中に六回登場。どれもじっとしているだけで、言葉を発したり、具体的な動作はない。おれが見るやつらと同じだ。マイケルはゴーストたちから直感で何らかのひらめきを得ながら事件を追う。謎の黒魔術組織は最後まで謎のままで、続編を匂わす終わり方をしたくせに、秀樹の調べでは現在までに続きはない。
 幽霊描写を別にすれば、注目すべき点のないクズ映画だった。秀樹にはそれなりに気づきのある作品だったようで、映画ノートに何か書き込みをしていた。
 それと、ついでに借りた『人蛇大戦・蛇』は別の意味でひどい作品だった。凶暴な蛇の大群と蛇退治の達人が戦う香港映画で、きっと本物であろう大量の蛇を実際に殺しまくる悪趣味さ。完全に引いたが、横にいた秀樹は事ある毎に手を叩いての大はしゃぎ。こいつの将来が心配だ。
 
 『サイキック・ストレンジャー 邪』を撮った、ジョン・カービーという人物は絶対に幽霊が見えている。彼のことをもっと知りたいと思い、調査を始めた。まずは秀樹が所有する映画雑誌や書籍を当たるも、『サイキック・ストレンジャー 邪』の簡単な紹介程度で、カービーに関するより深い情報は得られなかった。

 次の週末、神田神保町に行った。映画関係の書籍が充実する書店を回り、海外の輸入雑誌も隈なく調べた。本当は秀樹にも来てほしかったが、なにやら北海道の夕張市で開催される映画祭へ取材と称して泊まりで行ってしまったため、一人での調査となる。主に海外のマニア向け映画雑誌に実りがあった。辞書とつき合わせての翻訳作業は苦労したが、その甲斐あって、いくつかの情報をつかんだ。ジョン・カービー。一九五〇年生まれの白人男性。アメリカのケンタッキー州ジョージタウンで生まれ育ち、撮影所のメールボーイから業界入り。詳しい経緯は不明だが、助監督として修行を積み、脚本やテレビドラマの演出を経て、一九八二年に『JOURNEY TO THE SILENT STAR』で長編デビュー。
 これは宇宙が舞台のSFもののようで、日本では公開されておらず、ビデオやテレビ放送もないらしい。長編二作目の『サイキック・ストレンジャー 邪』以降の情報はなく、少なくとも発表された映画作品はなさそうだ。まあ、あんなしょうもない映画を世に出した後では無理もない。『サイキック・ストレンジャー 邪』に関する製作経緯はつかめなかったが、プロデューサーのイエルク・ハルトマンの手掛けた作品群は、SF、ホラー、カンフー、果てはニンジャまで、俗に言うゲテモノ映画ばかり。タイトルからして『THE KARATE FIGHTERS IN SPACE』だのカス臭さがプンプンだ。ジョン・カービーの映画も、ハルトマンプロデュースによって粗製乱造された安物映画の一本と思われる。

 カービーがいつから死者を見るようになったのかは知る由もないが、与えられたゴースト映画という枠組みでの作品発表の場を利用し、真の幽霊の姿かたちを世に訴えたかったのだろうか。彼に確かな演出力があったなら、あの映画はもっと評価されて、多くの人の目に触れ、続編だってありえたかもしれない。しかし、現実にはカービーにその機会は訪れず、おそらくは正真正銘の幽霊が拝める映画も他には存在しない。
 以上が、おれが調べ上げたすべてだ。

×××
 
「お前みたいなボウズ、簡単に潰せっぞ」
「だから、いや、ですから、僕はやってないんですって」
「ウソついたら、いかんな。いっぺんシメるか?」
「……まただ」
「あ? こいつ何か言ったか?」

 まただ。おまわりを目の前にして、つい、ひとりごちてしまった。新しいバイト先の小さな清掃会社で事件が起こった。社長が帰り際、会社の前で何者かにバットで後頭部を殴打され、財布を奪われたのだ。命に別状はなく、いまでは意識もはっきりしているが、事件から二日経っても入院中だ。社長は相手の顔を見ておらず、犯人に関する有力な情報は得られない。通常、会社の営業が終わった夜、社長はたいてい最後まで残り、一人でオフィスを出る。そのことを知る人間が疑われ、よりによって、おれが警察に目をつけられてしまった。

 前のバイト先での爆発事故で疑われた経験から、おれはおまわりの容赦ないやり口を知っていた。明確な物証がなければ、あとは状況証拠で怪しいとにらんだ人間を徹底的に追い詰め、自白させればいい。向こうもおれが爆発事故の件で一度、犯人にされかけたことは先刻承知だろう。
 社長が襲撃された土曜の晩はバイト帰りに寄ったゲームセンターにいた。不運なことに、目撃者はおらず、監視カメラもなかったせいで信じてもらえなかった。ガラガラの場末のゲーセンだったのが災いした。

「『ビーストバスターズ』というゲームをプレイしてたんです。筐体に僕の指紋が残ってるかもしれません」
「どんなゲームだ?」
「ゾンビを銃で撃ち殺すゲームです……」
「お前、危ねえやつだな」

 言ってからしまったと後悔したがもう遅い。あの晩に限って、普段は遊ばないバイオレントなゲームをプレイしてしまうとは! いつもなら『テトリス』や『コラムス』なんかのパズルゲームを遊ぶのに。『ビーストバスターズ』はグラフィックが凝っており、体中が腐敗してボロボロのゾンビが撃たれると、スイカのように頭を弾けさせる過激描写がウリのゲーム。リリースから数年経ったいまも好評稼働中だ。おれをじっと見据える、ごま塩頭の汗臭い刑事も、その後ろで腕を組み、こちらを見下ろす肥満体の刑事も、ゲームなどやらないであろうオッサンたち。暴力ゲームをやるやつは犯罪者予備軍だと偏見を持っていそうだ。『ドンキーコング』すら、猿への加虐嗜好があるとか言いだすのでは。
「指紋なんて、その日のうちに掃除で消されたに決まってるだろ。残ってたところで、お前のアリバイの証明にはならんからな。お前みたいなガキ、キレたら何をするかわかったもんじゃない。どっかにナイフでも隠し持ってるんじゃないのか。なんにせよ、おれはガキが嫌いなんだ! ムカつくんだよ!」と刑事は癇癪を起こしてわめき散らした。なんだこいつは。
 
 参考人だが容疑者ではないため、帰宅を許された。幽霊の存在を認識するようになってから、不愉快な相手に出会うたび、どうせ死んだらこいつも、大仏野郎になるんだと思うことで平静を保ってきた。今度ばかりは我慢ならん。腹の虫が治まらない。
 ジョン・カービー調査も手詰まりのタイミングで、今回の濡れ衣。受験勉強も手につかず、精神状態はかなりヤバかった。おやじとおふくろは何も言ってこなかったが、態度はよそよそしく、爆発事故のときでも息子を信用しきれなかったくらいだ。刑事と同じく、おれを犯人と決めつけているのかもしれない。
 
 警察にマークされてから一週間経つ。その間、二度、事情聴取を受けた。こちらは無実を訴え続けるが、向こうはおれを詰めて自白させようとする。もう夏休みに入っていたので、登校には影響がなかった。学校側に連絡がいっていたのかはわからない。家にいても居心地が悪く、バイト先からもシフトを外され、やることがない。誰かに会いたいとも思わず、この一週間、毎日のように映画館へ通った。ゲーセンは事件のことを思い出させるからダメだ。映画館なら、誰かの目を気にせず時間が潰せる。同じ日に何本もハシゴするカネはないため、基本的に一日中、同じ劇場に居座り、同じ映画をリピート鑑賞。映画館は入替制じゃないのがいい。

 『ダイ・ハード3』『若草物語』『新・悲しきヒットマン』『ポカホンタス』……洋の東西もジャンルも問わずに見まくった。アメリカ映画『ハイヤー・ラーニング』は大学生たちが厳しい現実に打ちのめされる物語。最後はネオナチ思想に染まった学生が精神的に追い詰められた挙句に校内で銃乱射事件を起こす。思想や凶行には同意できなくても、テンパった学生がブチ切れる様には何らか共鳴するものがあるのは事実だ。これは刑事には言えないな。
 
 久しぶりにシマモヨウを見たのは映画館でのこと。『キャスパー』の上映中、尿意を催し、トイレから戻ると、劇場内の中央通路に誰かが直立している。邪魔だなと思ったが、客席はまばらとはいえ、誰からも文句は飛ばない。どうもおかしい。暗くて気づくのに時間を要したが、立っているのは亡霊だった。たぶん女の霊だろう、なんとなくわかった。そいつはおれではなく、スクリーンのほうを向いている。幽霊も映画を見るのか? しかも、ゴースト映画を。あいつは映画の中で見当違いの描かれ方をする自分の姿を見て、どう思ったのだろう。近づきたくはないから、かなり距離を置いた席に移動したが、死人と一緒の映画鑑賞には違いない。その日、幽霊に対して奇妙な親近感を覚えた。

 映画は面白くなく、途中で寝てしまった。ゴーストの子供と人間の少女の友情を描くファミリームービーはいまの気分にはキツイ。目が覚めたとき、まだ上映は続いていたが、もう女の霊はどこにもいなかった。途中退場したのか……。

(第3話へ続く)

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?