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『あの映画の幽霊だけは本物だ』第3話「デニス・ロッドマン」

 犯人が捕まった。当然、おれではない。会社とは何の関係もない、行きずりの強盗だった。教えてくれた刑事によれば、一昨日、野球場でビールの売り子の腕を咬んだとかで逮捕された男が、強盗の件を自分から白状したそうだ。
 おれは無罪放免となった。刑事どもからは一切の謝罪はない。爆発事故のときもそうだったので、何とも思わなかった。それより、もう刑事にいびられないことの安堵感のほうが強い。すべての元凶は犯人の野郎にあるが、あいつがビールの売り子を咬んで逮捕されたことが結果として、おれの解放につながった。そう思うと、何の関係もないのに、不思議と元ビール売りの牧野タンジェリンへの印象が変わった。以前、テレビで真の幽霊描写をバカにした際は殴りたくなったが、いまでは許せる。今度、出演番組を見てみようか。
 
 安心はすぐに慣れる。解放感は三日も経てば消えてしまい、おまわりへの怒りと、ギクシャクした両親との関係性からくるストレスで煮詰まっていた。バイト先に戻る気にもなれず、退院した社長への挨拶を兼ねた退職手続きで一度、会社へ行っただけだ。映画も上映中のものはほぼ見てしまったので、カービー情報の再調査に乗り出した。まだつかめていない情報があるかもしれない。高円寺に洋画や洋楽の輸入誌を扱う店があり、しかもそこでは現地で発刊された同人誌まであるという。
 
 店は狭いながらも、床から天井近くまで店内のあらゆる場所に棚やマガジンラック、開いたダンボールがあり、書籍や雑誌が敷き詰められていた。時間はある。おれは無心で調べた。
 『STARTLE!』はアメリカで刊行されている、映画マニアたちによる同人誌。「ビックリさせる」という意味の誌名どおり、ジャンルに関係なく、刺激的な作品を紹介。それでも、やはりというかホラー系の作品が多い。わら半紙のようなザラついた表面を触りつつ、海外にもわら半紙はあるのだろうかと疑問に思った。バックナンバーは九号分あり、ページをめくりながら〈JOHN KIRBY〉や『THE GHOST IN 42 STREET』の記載がないか目で追う。
 第八号のゴースト映画特集は、古今東西の心霊もののレビューが盛り沢山。『PSYCHIC VISION JAGANREI』なる日本の作品まで拾っている。おれも知らないのに凄いな。レビューの中で、珍作の扱いとして『THE GHOST IN 42 STREET』、つまり『サイキック・ストレンジャー 邪』はあった。しかも二ページも割いているではないか。表紙に印字された発行年月は一九九四年の二月。一年半前だ。最新情報も期待できそうじゃないか。すぐにレジへ向かった。

「高校生? まだ若いのにマニアックなのを買うね」
「ええ、まあ。ちょっと興味があって」
「英語はわかるの?」
「子供の頃、英会話の教室に通わされたけど、読み書きは全然。辞書で調べながら読み解きます」
「熱心だね。これ、オマケするよ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 『STARTLE!』の第八号を買う際、四十代くらいの店主から、コアな映画ファン向けの洋雑誌『FANGORIA』を何冊かもらった。悪いが、そこまで興味はないから、これらは秀樹にやろう。
 店を出るとき、店主に声をかけられた。

「そういや、君が買った『STARTLE!』のその号で紹介されてる、『PSYCHIC VISION JAGANREI』は見た?」
「見てないです。というか、存在も知りませんでした」
「マジで『STARTLE!』だよ。数年前のビデオ作品なんだけど、おれが見てきた中で唯一、声を上げるほどに恐怖した幽霊もの。黒髪の女の霊が遠くにぼんやり立ってるだけなのに、とにかく恐い。こういう幽霊描写は最近増えてて、たぶん近いうちに世界的なスタンダードになるんじゃないかな」
 
 店からそう遠くない場所に立つ、杉並区立図書館。自習机に辞書と同人誌を並べ、記事を真剣に読み進める。レビュー内容は日本のホラー特番と同様、珍しい幽霊登場シーンにフォーカス。異なる視点として、同人誌のほうではバカにするわけではなく、他の作品にはないユニークな点をこそ評価していた。映画全体では、お世辞にも褒められたものではなくても、決して作品を愚弄せず、愛のある紹介の仕方だったことは、辞書を片手の拙い英語力でも理解できる。
 
 執筆者の作品論としては読ませる内容で、『サイキック・ストレンジャー 邪』への理解はより深まった。主役のマイケル・スミスを演じたジョシュア・ネルソンはその後、何本かの低予算映画に出演し、自らの才能のなさを知ったのか、俳優を引退。いまでは、地元のウェストバージニア州ポイントプレザントで観光業を営んでいるらしい。

 肝心のジョン・カービーについては、近況が記されておらず、次回作が待たれると書いてあるのみ。落胆しながら八〇ページほどの同人誌をパラパラめくっていると、編集後記で目が留まった。『サイキック・ストレンジャー 邪』のレビューを執筆したライター兼編集者がレビュー記事への追記として、カービーのことを書いていた。なんと、カービーが次回作となる自主制作映画のスタッフを募集中とのこと。そして、カービーの個人事務所の住所まで載っていた。

 おれはふっと顔を上げた。目線の先、三メートルと離れていない場所にシマモヨウがいた。映画を見る幽霊がいるなら、本を読むやつだっていてもおかしくない。本を手に持つこともページをめくることもできないだろうが。
 やつの横顔を数秒眺めるうち、おれは映画の中のオカルト刑事マイケル・スミスさながら、直感を得た。そうだ、カービーに会おう。なぜ今日まで、この考えに至らなかったのか。おれは図書館にいる幽霊を見つめ、心の中で「ありがとう」と礼を言った。
 
「夜遊びするなら、西新宿が穴場なんだよお。歌舞伎町のある東側に比べて、西側はポリ公が少ないから、補導されにくいんだよなあ。二十四時間営業のマクドナルドもあるしよ。おれなんか一回も捕まったことないぜ」
 以前、同じクラスの眉毛抜きを趣味とする真治がラリった様子で豪語したことを思い出し、高円寺から西新宿へ向かった。夜通し開いているマクドナルドを見つけたときには、もう夜の十時をまわっていた。フィッシュバーガーとコーラを載せたトレイを持ち、他の客や店員の目につきにくい席を探す。二階の柱でうまく隠れる、奥のテーブル席を陣取り、カービーへの手紙を書き始めた。

 なんて書いたらいいのだろうか。おれは高校生だし、英語もろくに喋れない。スタッフへの応募は無理だ。それにこの号が出たのは、もう一年半前。悩んだ末、正直に書くことに決めた。自分には幽霊が見える。その姿かたちは、あなたの映画に出てきたものとそっくりだ。他には見たことがない。きっと、あなたはおれと同じく、死者が見えるはず。会って話がしたい……。
 
 なかなか筆が進まなかった。本気で英語の手紙を書いた経験などない、時間がかかるのは当然。信用してもらうために、幽霊の描写については細かく書くよう務めた。映画では描き切れなかった、本物が見える者だけが知るディティールなんかを書けば、カービーもわかってくれるはずだ。
 深夜二時過ぎ、警察官がやってきて、見回りか何かであろうか、店内を歩き回る。クソッ。真治に騙された! あの眉毛抜き野郎! 次に会ったら剃り上げてやる!

 おれは顔を伏せ、警官が早く去ってくれることを願った。もっとも、補導されたとして家に帰されるだけだが、いまのこの高揚した気持ちを止めたくなかった。ここで水を差されたら、もう手紙を書く気もカービーに会おうという気もなくなってしまいそうだった。そうなれば、自分には何も残らない。単なる腑抜けと化すだろう。そうなるのは嫌だ。おれの手は、足は、震えた。何も悪いことはしていないのに、逃亡中の指名手配犯よろしく、胃がむかついてきて、吐き気が込み上げる。

 体感では十分も経ったように思う。もういいだろうと顔を上げると、警官は目の前にいた。三十代後半くらい、青年ともオッサンともいえる顔が無言でおれを見る。めまいがした。瞬間、おれの頭の中には、路上で拾った雑誌を売る自分の姿があった。これが未来か……。

「頑張れよ」
「え?」

 警官は微笑んだ表情でそう言うと、去っていった。どういうことだ? 必死で英語の勉強をする苦学生にでも見えたのだろうか。自分はどちらかといえば、フケて見られることがあり、大学生に間違われたことも少なくない。それでもじっと顔を見れば、高校生かそこらの未成年だとわかるだろう。警察官なら気づくに決まっている。少なくとも年齢を聞くはずだ。哀れな少年の姿に何らかの事情を読み取り、見逃してくれたのか? 公務員としては失格かもしれないその警察官におれは感謝した。二度の疑いをかけられたことにより、おまわり全体を憎むようになった心が和らいでいく。
 
 英語で手紙を書き終えたのは朝の五時前。腹が減ったので、朝食メニューのセットを買いにレジへ向かう。入店時と比べ、店員が皆、入れ替わっていた。そんなに長居したのかと変に恥ずかしい気持ちになった。
 公園で寝転がり、時間を潰してから、開いてすぐの郵便局で国際郵便を出す。無断外泊は初めてだったが、家に帰っても両親からは何も言われず、おれも「ただいま」すら言わなかった。気まずいのは胃が痛むからどうにも嫌だ。自室に戻ると、泥のように眠った。
 
 返事が来たのは、手紙を出してから二週間ほどたった頃。この二週間は見事に何もしなかった。一度、真治から西新宿の公園で花火大会をしようと誘われたが、断った。その夜、真治と何名かのクラスメイトはロケット花火を互いに向けて撃ち合うバカな遊びをして、警察に速攻で捕まった。なんでも映画を見てマネしたらしい。あきれるくらいに大バカだが、高校生最後の夏休み、そんな過ごし方もありだと思う。

 カービーからの手紙は短かった。同志がいてうれしい、自分も会いたい、滞在中の面倒はこちらで見るからいつでも来てほしいと書いてある。事務所兼自宅があるのは、ニュージャージー州中央部の都市トレントン。夏休みはまだ半月ある。パスポートも中学生の頃、カナダに住む親戚の結婚式に家族で出席するために取得しており、いまも有効期限内だ。行けと言わんばかりにお膳立ては整っている。あとはカネだな。バイトで貯めた貯金を崩しても足りない。それに未成年者が一人で渡米するには、親の承諾書なんかも必要だろう。腹を括らねば。
 
「去年、爆発事故があってからこっち、これまでずっとこの家は空気が悪いよね。おれももう嫌になっちゃったよ。おまけに今度は強盗だと疑われたし。うんざりなんだ。でも、最近の態度がよくないのはわかってるよ。この前の無断外泊だってそう。それに、いまは受験に向けて打ち込む時期だってことも理解してる。ただ、これだけは本当にお願いなんだ。一週間でいい、アメリカに一人で旅行に行きたい……黙ってたけど、実はバスケ選手のデニス・ロッドマンの大ファンなんだ。彼はニュージャージー州トレントンの出身で、トレントンはアメリカで最初にバスケの試合が行われた聖地でもあるんだよ。今月、その街でロッドマンがアジア人を対象にしたチャリティーイベントを開くんだ。アジア人だったら、誰でも入れるって。ひと目でいいから、この目でロッドマンを見たい。そうすれば、いまの状況や、おやじとおふくろとの関係もよくなりそうな気がするんだ、本当に。おれの最初で最後のわがまま、聞いてくれよ。頼む、このとおり」
 
 最終的に両親は承諾してくれたが、話を切り出したときは猛反対だった。さすがに幽霊やカービーのことを言うわけにはいかず、これといった言いわけも用意しなかったので、このまま、ただ旅に出たいという理由だけでは説得できないと感じた。そのとき、テーブルにあったスポーツ新聞に載っているデニス・ロッドマンの記事が目に入った。途端に脳がフル回転し、そこから出まかせをまくし立てた。清掃会社でバイトしていた頃、休憩室のテレビでロッドマンの半生を特集したスポーツ番組を見たことがあり、ニュージャージーのトレントン出身ということと、その街がバスケ発祥の地であることを覚えていた。一緒に見た、先輩の中年女性がバスケに詳しく、ロッドマンのことを熱く語っていたから、印象に残ったのかもしれない。チャリティーイベント云々は完全に大ウソだ。アジア人向けってなんだよ、と我ながら思う。それでも、両親への複雑な気持ちや旅に出ることで現状を打破したいのは本音だ。そこまでウソだったら、絶対に見透かされていただろう。
 
 清掃会社に勤めたことで、強盗傷害事件に巻き込まれたが、もし休憩室でロッドマンの番組を見なかったら、もし先輩がバスケのことを熱く語ってこなかったら、両親を説得できず、アメリカ行きは断念せざるをえなかったかもしれない。ろくな思い出のないバイト先だったと切って捨てるのは容易い。過去の出来事はすべてが未来への礎、そう考えれば、嫌な経験もいつかは将来の何かに昇華される。真治はアホだが、あいつの言うことを真に受けたから、冷や冷やする思いを経て、警察への憎しみも少しは和らいだし、別の場所だったら補導されていたかもしれないじゃないか。なんだか旅に出る前から多くを学び、もう成長した感があると言えなくもないが、本来の目的はカービーに会うこと。さて、出発の準備にかかろう。

(第4話へ続く)

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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