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すべてうまくはいかなくても

人が不安になる理由は何故でしょう…
概して‘分からない’事に心が覆われているからだと考えられます。
例えば、
・様々なパターンにおける人間関係
・仕事について、プロジェクトの行方
・新しい取り組みについて、その理解

他にも何かしらの不安を覚える事象はこの他にも存在すると思われます。
この言ってみれば、先行きが見えない点の解消方法は知識の注入に尽きます。
単純に不安を通り越す瞬間こそ、経験からくる知識への変換作業なのですが、一般的には経験は良い結果を伴うものであって欲しいと願うものです。
つまりその結果を導くためにも事前準備の積み重ねが大事だという事が自明の理と云われる所以です。知識の注入と事前準備はイコールと考えます。分からない点を潰していく行為と言えます。過去の事例や該当分野と周辺分野について調べていくことで、結果、それなりに納得できる経験に繋がれば幸いなのですが、不測の事態も起こり得るのが現実であり、受け止めるだけの心の修練の場が必要と覚らせるケースも登場するのも、これまたこの世の真理なのでしょう。

不安を溜め込むと当然ストレスと化す訳で、予防の意味合いでも事前準備は怠らないことがベターであっても、すべてうまくはいかなくても良しと思えるかどうか、此処が私はある種の思想だと思います。故に思想の根拠を古今東西から多種多様の人物、ジャンルを問わない先達からの言葉の煌めきに触れる時間をどれだけ過ごしてきたか、費やしたかで、考え方の差が違ってくるのではないかと感じるのです。

“安心理論“という哲学がありますが、これは各人オリジナリティがあるはずで、私は共通項として思うのは、完全主義でなくても良いという点ではないかと捉えます。70点で良しとするということです。70点はあくまでも結果なので、プロセスに不満や準備不足が否めなければ問題ではありますが、そうでなければ残りの30点を更なる成長の機会と捉えられる見方もできるのではないでしょうか。
私は最初から結果への完全主義を目指す事の潜在的過度なプレッシャーが不安に起因する大きな理由と見ています。

そうしてみると、世の中、完全主義に基づく行動には必ず無理が伴う事が多く、悲劇を生じる展開もあると覚ります。
不安に陥ってしまった瞬間、自分の事ではなく、誰かの役に立つために何ができるかと、今やらなければいけない事の優先順位を改めて整理して、補わなければいけない部分の知識を深めていく事に努めます。ちょっとの時間、緑に近いエリアを散策し公園のベンチに腰掛けてリラックスを心掛ける具合等、集中力を高めるための充電を意識してみる事をオススメします。

どこか集中力が緩慢になるのは、疲れに依るものだと思います。不安の影にはもしかすると疲労が災いしている可能性もあります。
ここにきて、やはり‘生活習慣’これがいつも肝要なのだと気づくのです。

今回、タイトルで引用しました
「すべてうまくはいかなくても」
1996年に発表された佐野元春のアルバム『フルーツ』に収録された曲のタイトルからになります。
間奏のブルースハープの鳴きのソロに、当時20代半ばのアシスタント時代、疲れ果てた体が癒やされるかのように止めどなく涙を流した時間に包まれた事がありました。
ボブ・ディランを彷彿させるミディアムフォークロックタッチで胸に来る詞もシンクロした素晴らしい楽曲です。
私は間奏のブルースハープの表現力に得も言われぬ感動を覚えたのです。
表現の凄みとは、その時において受け止める側それぞれなのかもしれませんが、説明的でなく心に寄り添えるもの、この体感がすべてなのだという理解が私の中にはあるのです。


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