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小説題材について、考えてみます。
物語を現代において構築するに、身近な人たちとの関係性や主人公の生活感、そこに何らかの仕事についてと、非常に狭いコミュニティで登場人物たちが描かれるケースが間々多いような感覚があります。
こうした私小説的な趣きは当然、現実主義を克明に描き切る経験則が活かされる利点はあります。後は構成の振り幅に書き手の裁量が図られるのです。願望=ファンタジーの度合い、その見方です。
現代系ドラマを作る一連の普遍性として、友情、信頼、孤独、刹那、それらが織りなす解釈それぞれと一転、2名以上の複数人、集団が同じ方向を向いてある目的へと、といった共同作業は魅力的な方法論と言われています。

なぜ今回の論考テーマに‘小説題材’を挙げたかと言いますと、ある機関誌を購入して様々作品を読むにつけて、評論や詩のカテゴリーを除いて、作り出されるフィクション、ストーリー諸々の書き手の卓越した技術力とテーマが妙にアンバランスな気がした所為なのです。

ストーリーに真実味を与える上で主人公の身近な問題のみにクローズアップすることへの溜飲のみで成立しなければいけないとまでは決めつけられませんが、事実は小説よりも奇なりという諺を覆すのは容易ではないと考えました。
巷に溢れる想像の範疇が突飛すぎるか、私小説過ぎるものか、流通的に多分にパッケージされた物語には、何か血流が悪い生体のようにも思えて、何処かクリエイティブの行き詰まりを感じます。

題材の一つとしての自らの体験が若くなるごとに失敗しない手堅さを求める現代人のあり様とリンクしているように捉えられるのかもしれません。
今どきの体験なりが、インターネットを介して予防線がある程度張れたとしても、決断の根拠はその時、自らの意志に委ねられる筈なのですが、それも統計通りを提示したITに依拠するのは全くダイナミズムを生み出すものではありません。
失われた30年と云われて久しい平成時代を、漫然と過ごしてきた現代人視点のフィクション、創作のアプローチからは未来を描けないストーリーと目の当たりにされるデフレ経済に甘んじるしかない、脈絡の無いアナーキズムが格好の素材のように映ります。

故に過去の名作群を現代風にリメイク、掘り起こしに余念がないメジャー映画の企画開発はそこに総じています。
古典を識るのではなく、如何に現代にマッチできるかを探す虚しさとも言えるでしょう。
言い換えると想像し尽くした向きも考察の余地があります。

一つ言えるのは物質的安定社会において、社会問題を解決する手段としての渇望するクリエイティブはなかなか生まれにくいものだと覚ります。
裏返すとその状況下でプロダクトされ、評価を得るに至る様々な媒体から発出された作品については耐性が優れている可能性はかなり高いと思われます。

下記の小説について、現在読書中ですが、かなり惹き込まれております。
どうぞ手に取ってみていただけたらと思います。

佐々木想著 言視社刊(2024.5.1発刊)


【漁港口の映画館 シネマポスト 次回公開作品のご案内】
『ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ』
上映期間:6月1日(土)ー7日(金)迄

2022年 第72回ベルリン国際映画祭 銀熊賞(主演俳優賞 / 脚本賞)
ドイツ映画賞 作品賞〈銀賞〉 主演女優賞 助演男優賞受賞

アメリカ大統領を訴えるんだ 
誰が?わたしが?
そうだ。君だ

2001 年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロのひと月後。ドイツのブレーメンに暮らすトルコ移民のクルナス一家の長男ムラートが、旅先のパキスタンで“タリバン”の嫌疑をかけられ、キューバのグアンタナモ湾にある米軍基地の収容所に収監されてしまう。母ラビエは息子を救うため奔走するが、警察も行政も動いてくれない。藁にもすがる思いで、電話帳で見つけた人権派弁護士ベルンハルトの元を訪れたラビエは、アドバイスを受けアメリカ合衆国最高裁判所でブッシュ大統領を相手に訴訟を起こすことになる……。

2022年製作/119分/G/ドイツ・フランス合作
原題:Rabiye Kurnaz gegen George W. Bush
配給:ザジフィルムズ

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