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誰しも思い出の年、懐かしい年があるかと思います。
私にとって1982年、昭和57年は一際印象深いものがあります。
この年、私は小学6年生でした。
印象的に挙げるとすれば、町内のソフトボール活動に加え、誰に頼まれたか役回りなのか、もはや記憶が定かではない謄写版による日本では俗にガリ版刷りの学級新聞作りに邁進していた記憶があります。
その新聞づくりに影響を与えていた当時のテレビ番組の存在…大河ドラマに土曜ワイド劇場、人形劇三国志のスタート、更にアイドル全盛時代のピークスタート年とも言え、中森明菜に小泉今日子、松本伊代のデビューがこの年で、TBS『ザ・ベストテン』が華やいでいました。
また中日ドラゴンズのファンクラブに入ったこの年、8年ぶりのリーグ優勝を果たし感極まって滂沱の涙を流した事は忘れていません。

時代が間違いなく日本の上昇気流を押し上げていた、そうした空気にあった小学6年生時分に様々な目に映るもの、町から聴こえる音楽、会話の音、行き交う走行車さえも、すべてが情報吸収の対象だったのです。

今年はあれから40年という歳月が経ち、一様に今をどのような気持ちで向かい合っていけば良いのか、単なるノスタルジーの共有に共通言語を見出だし、世代を地域を生きる糧に結び付けるだけでいいのか、私が事業の幹に掲げる‘つくる’と‘つたえる’の推し量り方についてふと考える時期にあるのではと感じています。

いつかの稿で‘オマージュ’について述べたことがありましたが、自分自身にとってのオマージュにあたる様式や形を真似ることでリスペクトを表す作り方を私は基本的にオリジナルの一つと考えるのです。
その証左としてポップミュージックに息づく系譜にはオリジナリティと称される作品は、マトリョーシカの如く幾重もの同じ型で覆われた構造を見るようでもあります。

私はノスタルジーに浸ることを否定はしませんが、その続きを提示できる現在進行形こそプロダクションの使命であり信条だと捉えています。

例えば、古くならない普遍性が存在するとして、普遍性だと気づき知らせる手段として、どのような方法論を採るべきか考えます。

・普遍性だと文字で説明する
・普遍性だと言葉で説明する
・普遍性だと現状を2次元で記録媒体に顕す
・普遍性だと伝える為の創作技術等活かした現代ツールを用いて伝える

クリエイティブな発想や視点を如何に用いて普遍性を考えられるか、そして伝えることは可能か、これは難しくもあり、やりがいもある事だと思います。
その上で映画製作にはある意味での一目を置かれる故の敷居の高さがあるからこその、先ほどの伝え方における創作技術の粋を集めた媒体に他ならないものである事実があります。

「つくること、つたえること」

その時々、折々に生きた人たちの感情や表現に瑞々しいものを共有できる気づきを捉えることができたならば、そこに不思議と古さやノスタルジーは皆無なのだと理解できます。
単に消費されるためのものづくりとはそうした気づきには一線を画す形が確かにあるのです。

いろいろな局面に只今の現在はあります。
改めてこれまでの時間と自分に向き合い、誰しも次なる一手を打つタイミングではないかと思います。

『ドライブ・マイ・カー』
多層的な構成でドラマツルギーが構築された濱口竜介監督による或るエンターテイメントの提示だったと受け取りました。
このセンスを解析するに1990年代に起こった大学教育に映画論を取り入れてきた流れの集積、蓄積効果の賜物ではないかと感じるところがあります。
映画史の系譜を蔑ろに傑作はできないと私は実証的好例だと捉えています。

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