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こちらの記事から考えてみます。https://toyokeizai.net/articles/-/759412

真剣に取り組めるものに出会えるか否か、その後の仕事に繋がる上で興味の無いものに人はなかなか集中する難しさがあります。
仕事と呼ばれる多種他媒体の中から何らかの縁で繋がっていくにしても、概ねは生活の為にが殆どにして、結果を出すために義務的に‘覚える’と‘こなす’にまずは辿り着く必要に迫られます。
この時点で脱落してしまう人も大いにいるでしょう。これは生きる事が目的ならば出来るだけ苦労をせずに禄を食みたいという生理的な流れに拠るからです。
なので、仕事を生き甲斐に出来るのは勿論カスミで食いつなぐ訳にもいかないので経済志向も大切ではあるにせよ、損得勘定や合理主義だけでは捉えられない、自身の大袈裟に言えば存在意義を問われて答えられるものになっているか、扱えているかだと、思います。

つまり、それが成立するのは自分の興味のあるものを追いかけてきた一つの成果だと感じるのです。
その点でやはり人の縁が肝要となります。理解者である人とのめぐり逢いをどのように考えるか、これは不可思議ですが、とどのつまり再三過去のnoteでもお話ししているように他者への関心と、そして自身の情の厚さ…それらの点は他者と接していく上で案外、素地にあれば越したことは無いと思います。一方で圧倒的な秀でた特徴が自身にあれば、それを活かす方向性で人を訴求していくことも可能ですが、それでも人において傲慢か謙虚かはその人次第と言えます。

興味の追求とは言い換えると続けられる力なのです。これは人によって対象は千差万別なので、道程は長いはずで答えが無いものが、実はいずれの対象媒体に共通する魅力になっていることは間違いないのではと見ます。
これこそ、時代と反比例する逆説的な見方に他なりません。
スマホに検索エンジン、宅配といった、答えが簡単に手元に入る日常を過ごしながら、興味の追求をこの際‘人生’に置き換えると、答えが無いものに最も人が傾注しているという軸が浮き彫りになります。これは明らかに答えが容易に見出だせるものに魅力は乏しいという根拠だと私には思えてなりません。
答えを直ぐに出したい理屈は簡単です。
時間の短縮を得るためです。
文明史が証明しています。
しかしながら、自分自身を合理化する意味が何なのかを良く考えると、スタンダードなレールが必ずしも生き甲斐に直結するとは限らないと、まさに巷に溢れ過ぎている事例からも覚れます。

興味を深掘りする、加えて様々な知識を得て客観的視点を持つ…好奇心の範囲を広げる事を意味します。
そのための時間を費やす事を一義とするならば社会ももう少し違うものになっているのではと、ふと思えてならないのです。

【漁港口の映画館 シネマポスト 次回公開作品のご案内】

『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』
上映期間:6月15日(土)ー21日(金)迄

1858年イタリアのポローニャ、ユダヤ人街で暮らしていた、7歳を迎えるエドガルド・モルターラが教皇領の警察により連れ去られた「エドガルド・モルターラ誘拐事件」。
スティーヴン・スピルバーグが魅了され、映像化に向けて書籍の原作権を押さえたことでも知られているが、映画化を実現したのはイタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ。
エンドロールを迎えるその直前まで、エドガルドが迎える数奇な運命とその選択を、固唾をのんで迎えることになるだろう。

2023年/イタリア・フランス・ドイツ/イタリア語/134分 G
監督:マルコ・ベロッキオ
脚本:マルコ・ベロッキオ、スザンナ・ニッキャレッリ
製作:ベッペ・カスケット、パオロ・デル・ブロッコ
出演:パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッソ・アレジ、バルバラ・ロンキ、エネア・サラ、レオナルド・マルテーゼ
原題:Rapito
配給:ファインフィルムズ 
© IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)

◎2023年カンヌ国際映画祭 コンペティション部門出品
◎2023年ナストロ・ダルジェント賞 7部門受賞(作品賞/監督賞/脚本賞/主演女優賞/助演男優賞/編集賞/グリエルモ・ビラーギ賞)
◎2023年金鶏奨監督賞/主演男優賞


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