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雨の北鎌倉で聴きたい音楽 アンビエントを聴けば、境内はインスタレーションアートに変わる

 毎年6月末、夏越の祓の時期に合わせて鎌倉に行くようにしている。雨と紫陽花の季節は、鎌倉の景色が最も輝く時だと思う。そんな鎌倉の魅力を音楽の紹介とともに書くことで、一味違ったエッセイであり新しい音楽との出会いも得られるような記事にしていきたい。曲の紹介は適宜行っていくが、先にSpotifyプレイリストのリンクを貼っておくので流しながら聴くと雰囲気を味わえるかもしれない。

 鶴岡八幡宮の参拝を終えた時、時計は2時を指していた。昼過ぎまで吹き付けていた風と大雨のせいで、まだ食事をとっていない。参道の蕎麦屋に入ると、2組の客が食後の雑談しているだけだった。

 冷えた身体を温めようと鴨南蛮を注文しつつ、これから行く先を考える。地図をみると、先程までいた鶴岡はちょうど鎌倉駅と北鎌倉駅の中間地点にある。今から海のほうへ戻ったとしても、いつまた風が強くなるかわからない。今日は北鎌倉の寺院をめぐるほうがいい経験ができるのではないか。そう考えて簡単に周囲の地図を頭に入れていると、頼んでいた蕎麦が来た。

 食べ終えて店を出ると、雨は降っていなかった。北鎌倉の駅を目指し、神社の横を回って歩いていく。

 道沿いには思った以上に飲食店があることに気づく。小さな建物は地中海料理の店で、メニューを見ると創作料理もある。ランチなら、手頃な値段で食べられそうだ。さらに進むと、レトロなカフェのような建物もみえる。近づくと、これまたスペイン料理の店であった。もう少し早い時間についていたら、歩きながら気が向いた店に入るといい出会いになったかもしれない。

 道の傾斜がきつくなってきて、鎌倉を囲む山を歩いていることを実感する。さらに進むと両脇は切り立った崖になり、半分トンネルのようなコンクリートの構造物が現れた。旧道は別にあるかもしれないが、もともと切通しがあって道が作られていた場所なのだろう。

 坂を登りきると、開けた観光地のらしさはなくなり山中の閑かさに包まれる。少し行ったところに寺があった。円応寺というそうだ。

 門をくぐると、こぢんまりとした境内には瑞々しい木々と優美な紫陽花の青が溢れていた。拝観料の300円を払って奥へ進むと、暗い本堂の中がぼんやりと温かい光に照らされている。

 本堂には、正面に本尊である閻魔大王像が大きく鎮座していて、左右の壁沿いには死者の罪を裁く十王の像が並んでいる。どれもなかなかいかつい顔が多いが、閻魔大王は他で見るものより表情がきつくない気がする。どうやらここのは笑い閻魔と呼ばれているらしい。十王はそれぞれが十善戒と呼ばれる仏教における十悪のいずれかを担当しており(一対一対応ではなく、担当領域を十善戒に当てはめて説明していた)、初七日、四十九日、百ヶ日、一周忌、三周忌といった節目ごとに生前の素行に合わせた裁きを行う、という話が書いてある。解説が充実していて学びになるのと同時に、仏教系の高校で形だけとはいえ毎朝唱えていたのに、背景を全く知らないまま今に至っているのを少しばかり後悔する。知ると世界が豊かになるだろうと思う。

 先に参拝していた二人が出ていって、本堂に一人残された。雨上がりの涼しさと心地よい匂いが名残惜しく、椅子に座って境内を眺めると、鶯の声が響き渡っていた。

 表通りの交通量は少なくないはずだが、車の音は木々に吸い込まれて聞こえない。耳を澄ますと、鶯以外にもヤマガラの声がする。時折風でわずかに葉が擦れる。時間が過ぎるにつれて様々な音が判るようになってきて、世界の解像度が上がっていく。あちこちで立ち上がっては消える音の重なりは複雑で、音楽的な響きになる。

 ブライアン・イーノという音楽家がいる。彼はアンビエント・ミュージック(環境音楽)の創始者の一人である。最も有名なアルバム『Ambient 1: Music for Airports』の制作について、こんなエピソードがある。

 イーノが交通事故に遭い入院していた際、友人がレコードプレイヤーとステレオを持ってきた。友人が音楽を再生してくれたが、音量は非常に小さくほとんど聴き取れない状態になっていた。怪我で思うように身体が動かせないので直すこともできずそのままにしていると、次第にその音楽が周囲の状況に溶け込み、環境音の一部として聴こえてきたという。この体験に着想を得ながら、機械や人の声と混ざった状態で成立する空港のBGMとしてこの音楽を作ったのである。

 だからこそ、アンビエント・ミュージックは世界に対して開かれた音楽である。なんとなく聴き流してもよく、むしろそれが想定された聴き方ですらある。イーノに倣って私たちがアンビエントを「聴き流す」時、私たちの意識は音楽と同時に音楽以外の音に向けられる。そうして聴こえてきた音は、周囲の環境を実によく表している。円応寺の境内で聴こえてくる鳥の鳴き声や木々の音は周辺の生態系によって生み出される。それは都市においては車の音や人々の言葉遣いかもしれないし、ある集落では機織りや陶芸の音かもしれない。こうした地域の特性を表す風景のような音は「サウンドスケープ」として概念化されている。近年ではミュージシャンよりもむしろ研究者やまちづくりに関わる行政関係者によって注目されていて、多くの人は意識しないそこにある固有性を「発見」するという点で、いかに人間を自然や社会に開いていくかという問題と密接な関わっている。この視点は、見たいものだけ見たいという今日のSNSに溢れた欲望から脱出するための鍵になるだろう。アンビエントという音楽のあり方は、例えば爆音で聴覚を埋め尽くすオルタナティブロックやクラブミュージックとは真逆であり、音楽が社会を変えていく力を取り戻すための一つの方法になるに違いない。

 円応寺を離れ坂を下ると次第に人通りが増えてくる。踏切の手前で明月院の案内版を見つけたのでそちらへ向かってみる。

 明月院へ向かう道は小さな川と並行しており、道沿いの家は日本家屋も洋館も古そうにみえる。どうやらこのあたりは景観保護地区になっているようだ。交通整理の人が何人も立っているところを見ると、思った以上に観光地化しているらしい。

 境内は広く、紫陽花の道や竹林が整備されている。本堂までそれなりの距離があるが、その間をずっと人間の背丈ほどの紫陽花が埋め尽くしていて、よく見ると花は八重咲きのものや模様のあるものといった様々な品種が植えられていることがわかる。本堂前につくと、枯山水があった。不思議なことに、庭園を見ている人は多いが手を合わせている人はほとんどいない。参拝をして、さらに奥へ進む。少し開けた場所に、開山堂や古い井戸がある。

 明月院の境内は、視覚的には紫陽花の葉の深い緑と花の青が主役だが、聴覚的には水の音が大きな存在感を示している。周囲を取り囲む崖は土ではなく岩肌が剥き出しになっていて、あらゆる場所から水が滴り落ち、次第に集まって小さな川を形成している。開けたお堂の前と紫陽花の間、竹林の音はそれぞれ異なるが、どこにも必ず水がある。雨上がりの川は土を含んでいて見た目には綺麗とは言い難いが、すべてを洗い流していくような心地よさがある。

 一通りのものを観終えて入口へ下ると、何やら茶屋のような建物がある。そういえば、この寺は抹茶や珈琲を出している所があると聴いたことがある。ラストオーダーまであまり時間がないが、せっかくなので入ってみることにする。

 建物は日本らしいつくりをしているが、テーブルや椅子は蚤の市で売っているようなアンティークで、統一されておらずそれぞれ集めてきたもののようだ。使われている茶碗やカップや飾ってある食器は日本のものも西洋のものも趣味がよく、どれもこだわりをもって選んでいるのだろう。抹茶を頼むと、和菓子がついていた。その時々で変わるが、この日は山形の銘菓であった。

 観光客で賑わう寺だが、ややわかりにくい場所にあるからか席は空いている。客の年齢層が高く、会話も穏やかだ。裏手からは絶えず水の流れる音がしていて、時折鳥の声が聴こえる。夕方になりカラスの声がするようになった。ゆったりと時間が過ぎていく。

 現代のアンビエント作曲家の中で私が好きなのはM.Sageというアーティストだ。この映像は、カリフォルニアのJapanese Tea Gardenで行ったライブの様子である。日本人から見るとあまり日本庭園には見えないのだが、小川と池がありメダカや鯉が泳いでいたりする。

 M.Sageはコロナ禍にオンラインで共同制作を行うfuubutsushiというユニットを組んでいる。日本の風景をイメージした曲があるというだけでなく、日本語詞のボーカルや日本人の語りが音楽に組み込まれている。

 アンビエントにおいては海外のアーティストもしばしば日本のモチーフを使う。その理由の一つは、日本が多くの優れたアンビエント作家を輩出しているからだろう。

 例えば、はっぴいえんどやYMOでよく知られている細野晴臣はアンビエントも手掛けていて、「MEDICINE COMPILATION」は有名なアルバムだ。他にもアメリカのLight In The Atticというレーベルが80年代の日本のアンビエントを集めてリリースしたコンピレーション「Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990」(以下「Kankyō Ongaku」)は2020年グラミー賞のヒストリカル・アルバム部門にノミネートされている。

 Audio Technicaが運営するメディア「Always Listening」に、『Kankyō Ongaku』を手掛けた北沢洋祐とPatrick McCarthyへのインタビューが掲載されている。北沢らは、環境音楽とアンビエントの違いについて、環境音楽は特定の場所と結びつくのに対し、アンビエントはイーノの昔の作品のように環境音楽的なものもありつつ頭の中から生まれてきた音楽や実際にはない世界のための音楽という意味を含んでいると述べている。

環境音楽って、英語にすると、エンバイロメンタル(Environmental)・ミュージックってなるんですけど、音楽的に、環境音楽とアンビエントにそんなに違いはないと思う。 でも、コンセプトとして見ると、環境音楽は特定の場所のために作られた音楽で、英語で言うと、サイト・スペシフィック(Site-Specific)なものですよね。

環境音楽はなぜアメリカで受け入れられたのか? 『Kankyō Ongaku』を手掛けたYosuke KitazawaとPatrick McCarthyに訊くレコード・リイシューの極意

 「特定の場所」と結びついた表現というのは、まさに借景的である。日本の庭園はしばしば庭園の外にある山や建物を取り込んで景を構成するように設計される。そのような庭園の形は、位置や向きを変えると機能しなくなる場所に固有のデザインである。

 庭園には、鹿威しや水琴窟といった音響装置が存在することもある。これらは人工的に音を発することを意図して作られているが、庭園内の主役ではない。虫や鳥の声、水の流れの音といった周囲の状況の一部として聴かれる音である。これはまさにイーノが考えたアンビエントのあり方であり、環境音楽の本質的な部分と一致する。日本的な想像力とアンビエントは、おそらくかなり相性がいい。

 私たちを取り巻く周囲の環境は膨大な情報を持っている。しかし、私たちはさして知識のないまま「観光」に行き、ガイドブックやSNSで見た写真と同じであることを確認したりWikipediaで読んだ文章と照らし合わせたりするだけで満足してしまう。だが、それはGoogle Mapのストリートビューで仮想体験する旅行と大して変わらない。アンビエントを聴くように自然や庭園を「聴く」ことは、これまで取り逃していた情報を受け取ることを可能にし、「何もない」「古びた」風景を現代的なインスタレーションアートのように新しい発見に満ちた場所として立ち上がらせる。旅はそのほうがずっと面白いし、音楽の想像力は豊かに世界を感じる自己を構築するためにあるべきだと思う。


Spotify以外のサブスクを契約している方向けに、プレイリストのトラックリストとアーティストの紹介を載せておきます。

Felbm
オランダのプロデューサー。アンビエントやアンビエント的アプローチのジャズインストをリリースしている。

M. Sage
アメリカの実験音楽家。プロデューサーであり、インターメディア・アーティストであり、レコーディング・エンジニア。アンビエントジャズバンドのfuubutsushiにも参加している。

細野晴臣
はっぴいえんどやYMOのメンバーであり、ソロ活動や提供も行ってきたレジェンド。ロックからテクノまでなんでもできる。

小瀬村晶
ピアニストであり作曲家。シンプルで美しいハーモニーの、ピアノ主体のエレクトロニカが多い。

Rei Harakami
Roland SC88Proのエレピサウンドをディレイで見事なエレクトロニカサウンドに昇華した。細野晴臣の「終りの季節」のカバーも有名。

トラックリスト
Monolocale/Felbm
Midori/Felbm
Métaux/Felbm
Release/Felbm
Bladerdek/Felbm
Tandem/Felbm
Still Space/Satoshi Ashikawa
Glass Chattering/Yoshio Ojima
Ear Dreamin'/Yoshiaki Ochi
HONEY MOON/細野晴臣
QUIET LODGE EDIT/細野晴臣
It Is Isn't It/M. Sage, Zander Raymond
Valley Candle/M. Sage, Patrick Shiroishi
To Sleep or Just to Lie There Still/M. Sage, Bed Milligan
The Cat Forgottern in the Moon/M. Sage,畠山地平
The Florist Wears Knee Breeches/M. Sage, Joseph Edward Yonker
Midori/Fuubutsushi
Nora Nora/Fuubutsushi
Niji No Kanata/小瀬村晶
Vega/小瀬村晶
1/1 / Brian Eno
1/2 / Brian Eno
2/1 / Brian Eno
2/2 Brian Eno
Tano / Loris S. Sarid
long time/Rei Harakami
approach/Rei Harakami

参考文献
原雅明,2023,「環境音楽はなぜアメリカで受け入れられたのか? 『Kankyō Ongaku』を手掛けたYosuke KitazawaとPatrick McCarthyに訊くレコード・リイシューの極意」,Always Listening,2024年7月3日閲覧


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