不安や心配、問題意識の正体をしり、味方につける
自分のことでも、
お子さんのことでも、
パートナーのことでも、
会社のことでも、
あらゆる社会問題のことでも、
不安、心配、問題意識は
常にあなたの思考を支配しており、
それにより行動を制限、支配しています。
じゃー、どーしたらいいのよ?
と、
聞こえてきそうですね。
はい。
どーしたらいいの?
と、あなたの頭に浮かんだら、
ぜひ このはなしを読んで見てください。
・・・・
悩み、不安、心配、問題、、
それこそが、思考の罠のようなものです。
どうにもしなくていいです。
どうにもしないでください。
というと、
放置、無視、無関心、問題放棄みたいですね。
少しちがうのです。
愛をもって
どうにもしないことを選択する、というかんじ。
もう少し詳しく説明しますね。
理論的になるので
頭で理解して、それを行動まで落とし込むのは
少し 複雑にはなりますが、
丁寧に日常の場面にそのつど重ねていけば、
必ず体験、体感で掴めてきます。
ぜひやってみて下さい。
では説明します。
どうにかしたくなる、、
というのは、その思考自体が、
既に
本質からズレているということです。
本質からズレているという状態では
あなたのなかにある生命エネルギーが遮断された状態である、ということです。
つまり
そのままでは なにかしらの不調が
現実なり、身体なりに現れるでしょう。
または、
どんなにやっても、成果はあがるどころか、
問題は複雑になり
八方塞がりのような心持ちにもなるかもしれません。
本質からズレているという状態では
そこから生まれる考え方も、
その状態で起こる周りの出来事も
更に、捻じ曲げてしまうようなものであり、
健やかさや、問題解決や、幸せなどとは
真逆へ向かう方向だということです。
問題と感じているものを
より難しく展開しようとしている状態、
より複雑に解釈しようとしている状態、、
なのです。
だから、
一生懸命やっても、裏目に出たり
上手くいかずに落ち込んだり、
それにより誰かとの関係性の軋轢となったり、
苦しい現実であると認識してしまうでしょう。
それを本質的にみると、
すべては
生命エネルギーが滞っていることを、
教えてくれているだけのものです。
本質からズレている、ということです。
もうすこし分かりやすく説明すると、
私たちの生命エネルギーが
内面から潤滑に湧くときが、
本質にズレのない状態です。
そのとき
現実も身体も潤滑に巡ります。
ズレがないとき、、巡る。
そうであるならば、
ズレをなくすことをするのが、
最善であり、最短であるとわかります。
では、
どうすれば
本質にズレなく、いられると思いますか?
本質にズレのない状態でいること。
これがキーワードです。
生命エネルギーを豊かに巡らせたいのなら、
なにかを解決しようとするその思考、行動が
生命エネルギーを滞らせるものだと認識して、
いますぐ思考するのをやめることです。
ただ、やめる、と言っても
無になる、瞑想で今にいる訓練をする、
というよりも、
今心が喜ぶことをする、というほうがいいかもしれせんね。
話したい人と話す。
他の何かに集中する。
方法はいくつか、あるでしょう。
効果的なのは、
リラックスして心地よくすごす、
自然のなかに身を置く
自分の心地よい感覚を中心に置くことです。
ただ、そのとき
ものごとの本質を掴んでいないならば、
またすぐに、その思考にとらわれるでしょう。
はたまた、
ほかの悩みかもしれません。
思考が止まることなく、巡るでしょう。
思考がグルグル巡るとき、
生命エネルギーは巡っておりません。
なので、
どうして思考したくなるのかを分かることが大切です。
どうして、思考したくなるのでしょう。
それは、信じられないからです。
自分を、
そして相手を、
そして現実を、
そして現状を、、。
違いますか?
信じられないのだな、、と
まず自分をわかることをしましょう。
それがファーストステップです。
信じられないと
未来がとても怖くなります。
相手のことが信じられません。
不安や心配が雪だるま式に膨らむかもしれません。
誰かに話すと余計それは増長して、
悲劇のヒロインのように
さらに幻想に囚われてしまいます。
自分のことが、
ちっぽけに感じるかもしれません。
無力であり、現実のほうが力を持ってるように、、
翻弄されているような、
しっかりとした安心安全の土台がなくて、
ぐらぐらと不安定で
どこにも着地できていないような感覚になるかもしれません。
信じることは、、
ひとつ
決意や覚悟のようなものです。
ひとつの決断、、とも言います。
まだ見ぬものを信じるのですから、
不安になるたびに、信じる決意を重ねるようなものです。
この場合の信じるは
今お金が無いから、、、ある!と信じよう!!
とか
今太っているから、、、痩せる!と信じよう!!
とかというものでは、ありません。
その場合の 信じよう!!は
現実の変化を望んでおり、
こうなって欲しい、、がコントロールされているので、
いわば条件つきの信じる、、だからです。
本当の信じる、というのは
力みの全くないようなものです。
どうなっても大丈夫、、という
自分への信頼と安心とセットです。
無条件で信じている、ということ。
どうなってもいい。
流れにおまかせしていたらきっと大丈夫!
というような、、
根拠なく信じているようなもの。
それこそが本質的であり
生命エネルギーが巡り
現実も必ず豊かに巡ります。
必ず、
現実があなたに夢のような現実を
想像を超えたルートで与えてくれるでしょう。
根拠なく、
無条件に、信じておく、、。
理想はしっかりと
自分の中に大切に持っておくこと♡
その理想は、
想像するだけで、
心が温かくなるようなものでしょう。
そうであれば、ズレてません。
よし!信じる!!
というより
お任せしよう、委ねよう、
握りしめていた手をそこから離そう、、
そろそろ私も楽になろう
というような、
本当の意味の信頼、
本当の意味の信じる、とでもいいましょうか。
心がどこか、ほっとするような
信じる、、
なのです。
信じる、、というのは、
そうやって、
不安心配の思考回路より、
信じるほうの思考回路を太くしていくような
筋トレのような、
忍耐強い着実なステップが必要です。
一朝一夕に、
はい!スッキリ!解決!
というようなものではありません。
そうやって、
内面のごちゃごちゃしたものを整頓し、
不安になりながらも
その葛藤を越えて
自分の目の前に起こることを信じたときに
想像を越えた流れが生まれることを
何度となく
自分の身体で体験していくからこそ、
このはなしを
頭だけではなく、
身体で腑に落として、
自分のものとすることが出来ます。
黒が白!というような変化ではなくて、
黒がじわーわーわーーーーと黒い灰色になり
少しずつ淡くなり、、
グレーになり、、
本当に微細な変化を重ねながら、
自分の内面と出来事の繋がり、
自分の安心と信頼の具合と
現実の流れの具合との
相関関係のようなものが
体験でわかっていくとき、、
迷いや疑いは
どんどん確信、信頼へと変わっていくでしょう。
それが、
揺るぎない自己信頼となり
研鑽であり、学びとなり、
必要な出来事が必要なときに起こり、、
実はいつも自分は導かれているのだと
わかっていくことにより、
真の安寧に寛ぐことが出来ていきます。
それこそが、
あるがままに生きる
自然体で生きる
自然のリズムに生かされて生きている
という
我々、生命の本質であり
内なる生命エネルギーを巡らせて生きる
新時代の調和的な生き方なのです。
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