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好きなものを作れる、というのはとても幸福なことだ

「幸せ」というキーワードは服作りを始める前から、自分の人生の中でとても重要で、cicachanのページの中でも幾度と出しています。

大人になって、たくさんの物事を経験した今、なんの忖度なしに自分の好きなものをつくることが、ひとつの「幸せ」なのではないかと感じています。

小さい頃は「自由に」が苦手だった

小学校の図画工作の時間は典型で、画用紙とか粘土とか渡されて、好きなものを時間内に作ってください、という課題がでると、何を作ればいいんだろうと題材を決めるのにすごく時間がかかっていました。

作るものが決まれば黙々と作業ができるのに、決まらない。それは作りたいものがたくさんあって迷っているのか、作りたいものが何もなくて決まらないのか、もう今は思い出せないけど、とにかく「自由に」というのが苦手だった。。

先生の説明が終わってすぐ楽しそうに作り始める子がいると、「あぁ、あの子は才能があるんだな。」と変に羨ましくなって。自分だってなんでもいいから題材を決めて作りはじめればよかったのに、できなかった。

「好きなもの」を作らなくてもいい社会

たくさんの自由を経験して、大人になって、就職したころに気づいたのは、私はもう、「自由に」何かを作らなくてもいいということ。そしてその機会はとても少ない。

仕事というのは誰かに求められたものを、高いパフォーマンスで実現することに価値があって、そこに自分の作りたいものを反映させるのが本当に難しい。クライアントや上司の意見を綿密にヒアリングして、その意向をくみ取って自分なりに作ることを求められます。

完全に自由に作りたいものを作るためには、作りたくないものも全力で頑張って認められて。それを繰り返してやっと自由に作りたいものに価値を見出してもらえる。

何かを新しく作り出すのは本当にパワーのいることで、誰かに求められたものを高精度で実現するよりも、ずっと難しいです。何を作っても肯定してもらえる小学校の雰囲気は、社会には存在しなかった。

トクベツじゃなくてもいい

才能がなくても、突出した特技がなくても、世の中に物を生み出してもいい、と気づいたのはつい最近です。

きっかけは子供が生まれて、お洋服を作ってあげたいなあと思う母の感情でした。いろいろ洋裁を学んでいくうちに、私の中にある、作りたい大人服のイメージを形にしたくなり、cicachanをはじめました。

作り始めたときは、もちろん自信がなかったです。私は専門学校を出ていないので、パターンは専門のパタンナーさんに、縫製は最初は自分でやりましたが、徐々に専門の職人さんに依頼していきました。

転機になったのは、拙いイメージでも、職人さんたちが私の意見をちゃんと聞いてくれて綿密なアドバイスをくれたこと。自分がイメージしていたものが、他人の力を借りて徐々に形になっていく過程はすばらしく幸せなもので、出来上がったサンプルを試着したときの幸福感は何にも代えがたい感情でした。

ゆっくりでも「好き」なものをつくる

これはブランド立ち上げ当初からある理念なのですが、「普通」の私が作るものは「普通」の誰かがきっと好きになってくれる、ということ。何が普通なのかは議論があるけれど、トクベツな才能をもっていなくても、きっとなんでも作っていいのです。

そしてそれを好きになってくれる人は、きっとどこかにいる。その人のために、そして自分のために、「好きなもの」を作り続けていいし、続けることでその幸福感が連鎖していくといいな。と思います。

私の「好きなもの」づくりを支えてくださっている職人さん方に日々感謝して、「これ好きです」と言ってくれる人のために、これからもゆっくりだけど着実に、作りづつけようと思っています。



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