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ランゲの丘

2年前の今日、私はピエモンテ州のアルバにいた。世界最高級のキノコ、白トリュフの産地として有名な街だ。年に一度の「白トリュフ祭り」の時期には、小さな街全体がトリュフの香りに包まれ、世界中から人々が集まる。狭い石畳の中心通りは歩くのも一苦労なほど混みあい、両脇では張り切った売り子がイタリア語なまりの英語で声を上げる。私は、そんな白トリュフ祭りの横で行われる「バルバレスコ・マラソン」に参加するために、この地に来ていた。

バローロ・バルバレスコと並び称される、押しも押されぬイタリアワインの女王。そのバルバレスコを産するランゲの丘は世界遺産。その秋のブドウ畑を駆け抜けるマラソンコース。終わった後は、ピエモンテの郷土料理のランチ付き、勿論バルバレスコで乾杯。頭の中で想像が成り立ったその瞬間、私はこのマラソンに申し込み、飛行機のチケットを取っていた。主宰する料理会でその話をしたら行きたいという人が現れ、あれよという間に総勢9人となり、半分冗談のように、我々一行は日本からぞろぞろとこの町に到着した。

当日は朝から快晴だった。浮足立ってスタート地点に向かう。とはいえ、他の8名は5㎞のウォーキングコース、私だけハーフマラソンへの参加だった。彼らと分かれ、本格的なマラソンコスチュームに身を包む人々に囲まれ、スタートのピストルが鳴るのを待った。このピストルを待つ数秒の、あの頭のてっぺんまでしびれるようなアドレナリンは、身体反射なのだろうか。ランゲの丘を楽しみ、ワインを飲みに来たのであり、順位を競うわけでもない、そう自分に言い聞かせながら、何故か足が本当にガクガク震えていた。

スタートして飛び出してから30分は、そこがどんな景色だったか覚えていない。恐らくブドウ畑に出るまで普通の道を通ったのだと思う。自分がブドウ畑にいることを思い知らされたのは、目の前に、ブドウ畑に挟まれた小道、それも断崖絶壁の下り坂が現れた時だった。土がぬかるみ、黒く光っている。両脇にブドウの木に手をかけて、お尻を付きながら下る人がいた。後から来た走者に、これは私たちのコースかと聞くと、そうだという。中年のショートヘアの女性は、地元民で毎年このマラソンに出ているらしい。「今年は昨日まで雨だったからね」と言って、何食わぬ顔で私の手を引き、一緒に靴に泥を塗りながら降りてくれた。いつのまにか右手には、これまた地元のおじいさんが手を握ってくれていて、両手に支えを得て、足を滑らせる格好で下まで降りた。そうか、かのランゲの丘は、丘であったのだ。

彼らに礼を言うと「ランチで会おう」と言って先を走っていった。気を取り直すように靴の泥を払い、再び走り出した。すると、今度はずっと上り坂が続いた。肺が悲鳴を上げ、目の前に火花が散り、汗が滴る。周りに走者は誰もおらず、ビリを覚悟して、地面とにらめっこしながら重い足を前に進める。照りつける太陽が恨めしい。ブドウ畑が続いて先が見えず、ようやく頂点かと思うと、角を曲がってまた上り坂が続く。息が上がりきって苦しい。先の見えない道に一層苦しくなり、全てを投げ出したくなった瞬間、目の前がぱっと明るくなった。視線を上げると、眼下に黄金と緑がグラデーションとなって連なる、ランゲの丘が現れた。うねるようにどこまでも続く、黄金と緑の絨毯。青空の下に風が通ると、秋の木々たちは一斉に呼応するように絨毯にウェーブが走る。しんと静まり返るブドウ畑の中心で、一人、息を飲み、呆然と立ち尽くしていた。滴る汗も肺の痛みも忘れ、生涯記憶に残るだろう眼下の丘を見ていた。神は頑張る人を見捨てないのだと、はっきりと心に刻まれたのである。

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ゴールすると、とっくに到着したと思っていたウォーキング組は見当たらない。しばらくして「葵さん!」と満面の笑みで皆が到着した。素晴らしい景色だったと言って大興奮である。どうやら、休憩所にはパニーニが出て、お散歩道を満喫したようだ。こちらは、そういえば給水所にワインが出たが、それどころではなかった。。

マラソン後には、(重厚すぎる)肉とチーズと赤ワインのピエモンテの郷土料理を、(見るだけで肺が痛くなる)バルバレスコワインをお土産にもらい、我々はアグリツーリズモに帰った。その夜、大会運営長から送られてきた写真を見て、思わず笑った。私のゴール写真が、La Stampaという大新聞の一面に載っていたのである。もう一つ、一生忘れないオマケが付いてきた。

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こちらの記事は、2021年秋号「1番近いイタリア」巻頭エッセイの抜粋です。

季刊誌「1番近いイタリア」についてはこちら


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