情熱は儚くて尊い。推せるときに推せ。映画「L'incredibile storia dell'Isola delle Rose」に涙して
映画「L'incredibile storia dell'Isola delle Rose」に涙して
先日、とても良い映画を観た。「L'incredibile storia dell'Isola delle Rose」という映画。
いつもは「Aoiどれが良い?」と委ねてくるアレッサンドロが、Netflixをスクロールしてた時に、直感的に「これ観よう。良い?」というので、二つ返事で同意した。
舞台はイタリア、エミリア・ロマーニャ州のリミニ。
主人公のエンジニアがボローニャ大学物理工学部出身なので、ボローニャもよく出てくる。彼の手作りの車が、夜の私の大学通りを走るシーンなんて美しすぎて、それだけで感動する。
(ちなみに、アレッサンドロはリミニ出身で、ボローニャ大学物理工学部出身なので、なんだそういうことか、可愛いなオイ笑)
話は、リミニの沖合に、頭が良くてクレイジーな若者たちが、人工の島を作るという、1968年の実話が元になっている。
話の内容は省略するとして、島を守るという全くの不合理な目的のために猪突猛進、ドッタバッタな喜劇が繰り返され、だけど、愛と友情に溢れた人間物語がある、どこを取ってもイタリアらしい映画である。
で、不覚にも、こんなコメディ映画の最後、私は涙涙。
いやー、うるうるが止まらない。
アレに「泣けるよ〜」って言ったら、静かに微笑んでヨシヨシしてて、普通なら「うそー、泣く映画じゃないぜ」って笑い飛ばしてくれそうなところ、お陰で本当に泣けてしまった。
何が泣けたかというと、結局、若者たちが命をかけて作り、守ってきた島は破壊されてしまうのだけど、その爆破で火の上がる島を振り返りながら、本土に彼らが戻ってくる時、つまり彼らの人生の一幕が幕を閉じた時、私は「情熱の儚さと尊さ」を思ったのである。
情熱の儚さと尊さ
まず、情熱には終わりが来ること。
それは、自分自身の中に燃えていたものが尽きる時かもしれないし、今回のように、イタリアの海域の外に勝手にイタリア人が島を作っては国際法に反するからイタリア政府としては始末しなくてはならないといった、外的な事情によることもある。
生涯ずっと燃やし続けられると思う情熱も、きっと形は変わる。
だから、情熱は儚い。
でも、今この瞬間、情熱を燃やせるものがあるとするなら、それはとても尊いこと、素晴らしいこと。
映画の最後、彼らが本土に戻ってくる時、私は心の中で「でも、ここまでやってきたことは無駄じゃないから」と声をかけていた。本当に日本語で呟いていたとも思う。
これだけのことをやりきれた彼らは、きっとこの後もユニークで素晴らしい人生を送ることができるよ、と。
何もない海原に、浮力と水の重力を計算し尽くして柱を立てる技術や、
粘り強くあらゆることを試し、大雪の国連本部まで足を運ぶ行動力や、
問題が起こるたびにぶつかり合っても最後は仲間を信じる人情。
きっと人生の宝物になるよ、と。
だから、情熱は儚いけれど、人生の糧になる尊さを持つ。
推しは推せる時に推せ
そして、もう1つ思ったこと。
推しは推せる時に推せ。
たまたま、このような記事を見つけた。
私は、残念ながら、オタクと呼べる世界とはほど遠い世界で生きてきてしまったので、推し活というのでしたっけ、彼らの熱狂には疎いのですが、でも、記事の最後の言葉が刺さった。
情熱は情が熱い時に。これは本当にそうだと思った。
とても同意だし、背中を押された。
私は推しのキャラに課金したことはないけれど、例えばイタリアへの情熱は、ロジックがなくて、好きって気持ちだけで、不合理に見えることを沢山した。
まだ移住する前の社会人時代、少しでもイタリアの空気を吸いたくて、イタリアの生の文化をこの目でもっと見たくて、食べてみたい料理がたくさんあって、2−3ヶ月に1度のペースでイタリアに来たり、イタリア語スピーチコンテストに出たり、なんとかツテを作って家庭にお邪魔したり。
高い航空費かけて5日だけの滞在なんて勿体無いとか、今はイタリア語の勉強よりも仕事で成果を出すのが優先とか、将来またいくらでもチャンスあるとか、いくらでも「やらない」理由は考えられたし、周りも冷静にそう思ってた人沢山いると思う。が、
私は推しに推した。
あの時、推しに推して良かった。今になって心からそう思う。
あの時に新卒なのに有給100%消化して旅をしてきたから、イタリアの奥深さに気付いた。そうこうしてるうちにコロナ。旅行で行けなくなった時に、留学して移住するという決断ができた。
あの時に一生懸命イタリア語勉強したから今がある。
あの時にホストファミリーとの絆を築いたから今がある。
本当に、そうなのよ。
人生は巻き戻しできない。
今の私は、あの時の私とは違う。
「好き」って情熱も同じ種類の情熱ではないし、積み重ねてきたものもあるし、背負うものもあって、人も、社会も変わる。
だから、声を大にして言いたい。
推せる時に推せ。推しに推せ。
誰がなんと言おうと推すのだ。
その「好き」って思いはとても尊いから。