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「何を書こうかな」というぐるぐる思考

 ちょっと極論かもしれないんだけど。

 僕の場合、「何を書こうかな」という思考は、書きたいことが見つかってないというサインな気がしてきた。
〈どうして?〉
 書きたいことがある場合、すでに書き始めているはずだから。
 もはや書き終わってるかもしれない。
 「何を書こうかな」って考えてる隙もなく。


 僕はメモ魔だ。メモ大魔王だ。
 ほんと、なんでも、メモを取る。
 考えたこと、感じたこと。
 空想、妄想。
 日誌、記録。
 お気に入りの名言、名前。
 なーんでも。

 せっかく考えたことが消えていくのがもったいなくて、記録に残そうとしたのが始まりだったと思う。

 そんなメモを書くときは、「何を書こうかな」なんて考えてない。
 まず「残したい内容」があって、それを記録する手段として「書く」。
 「書くこと」は手段であって、目的じゃない。

 そして、僕は、自分のnoteもそうありたいと思ってる。
 まず、「書きたいこと」がある。
 それを、ただ、素直に「書く」。

 それがうまくいってるとき、「何を書こうかな」と考える隙間はない。
 逆に、「何を書こうかな」と考えてるときは「書きたいこと」がないときなんだ。


〈でも……それって理想論すぎない?〉
 そうなの。

 定期定刻発信をしている今、タイミングぴったりに書きたいことが浮かぶなんて、めったにない。

 だから、なんとかする。
 書き溜めたメモを漁ったり、その日あった出来事を思い返したり。
 自然に、ではなく、ちょっとがんばって、書き出す。

 そのやり方は否定できない。
 自分もやってるんだもの。

 だから、結局、どっちでもいいと思う。
 書きたいことが思い浮かんだときに書いて発信するのも。
 時刻を決めて、ちょっとがんばり気味に書いて発信するのも。

 もちろん、発信しないのも。

 自分が満足できるなら、なんでもいい。


 ただひとつ。

 「何を書こうかな」と考えてるってことは、書きたいことが見つかってないというサイン。
 そう気づくことで、避けられるものがある。

 それは、思考のループ。

 今日は何を書こうかな?
 ……………………。
 今日は何を書こうかな??
 ……………………………。
 今日は何を書こうかな???

 みたいな。
 中身がない、思考の無限ループ。

 それに気がつけたら、メモを漁るなり、思い切って他のことを考えるなり、対応ができる。
 「何を書こうかな」というぐるぐるループから脱出できる。

 これは、書き続けるための、ひとつのコツになるんじゃないかな。

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