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昭和の記者のしごと⑦減反10年

第1部第6章 減反10年―「何を取材」の重要性、連続企画ニュースの新手法


 

「国境のトンネル」を抜けて、ひらめいた「減反10年」のタイトル


 1981年夏、NHK新潟放送局のニュースデスクとなり、家族とともに特急ときで新潟に向かっていた時のことです。新潟は新人時代以来10年ぶりの勤務で、デスクとしてどんな仕事をすべきでしょうか。国境のトンネルを抜けた時、「減反10年」というタイトルがひらめきました。
 私が新潟を離れて東京へ転勤した前の年の1970年(昭和45年)から、米の過剰で国の減反政策=米の生産調整が始まっていました。新潟は日本一の米どころであり、米以外のものは作れないのに米作りを制限するとは何事か、と大変な騒ぎになりました。その後10年間実施された減反政策の下で、新潟県の農業と農家はどう変わったのでしょうか。これを足で稼ぐさまざまなエピソードで表現してみようと考えました。
 「減反10年」はその年の10月から11月にかけ、1話読切り原則4分のリポートを連続6週29回(毎週月ー金、日、土、祝日は休み)、朝のローカルTVのニュースで放送、夕方のニュース番組の中で再放送しました。連続29回というのは異例の長期シリーズで、当初は無謀とまで言われました。このため企画を進めるために知恵を絞り、まず、講師を呼んで勉強会を5回開き、ローカルニュースのメンバー全員の新潟の農業についての基礎知識を広げました。

「米作りにかける」「転作さまざま」「後継者・過疎・出稼ぎ」・・・


秀吉の割り普請ではありませんが、放送する各週に小テーマを設け、ニュースのメンバーから提案を募りました。石田研一、高野宏、赤羽勉、中島國臣、秋山栄二、仲村等・・・積極的に提案をしてくれた若い記者たちの顔が浮かびます。
小テーマは第1週が「米作りにかける」。減反と言われても新潟の農業の中心が米作りであることは変わりません。減反政策が進められる中、農家は米作りをめぐってどんな気持で、どんな行動に出ようとしているのでしょうか。第2週と第3週が「転作さまざま」。米に代わって畑作物などを作れ、米作りを休むだけ(休耕)より余計に奨励金を出す、というのが転作です。果たして米以外何を作るか、作れるか。第4週が「後継者・過疎・出稼ぎ」、第5週が「開田その後」。ついこの間まで米の増産が奨励され、沼や湖を埋め立てるなどの方法で田んぼを新しく開いていました。そして最後の第6週は「論争編」とし、減反政策のこの時点での評価など6つのテーマをめぐる13人の有識者によるインタビューをまとめました。
 
▽「米作りにかける」の中の1本。新潟市の北、新発田市で3ヘクタールの水田で米を作って得る収入は経費を引くと100万円程度なのに対し、タクシー会社からの収入は手取り250万円と2倍以上の兼業農家を取り上げました。担当記者に、この兼業農家に、農業とタクシー運転手とどちらが本業か聞くように、と指示しました。兼業農家の答は、農業が本業、というものでした。タクシーの方が収入があるのになぜですか、と聞くと、「やはり土地があるからではないですか。タクシー会社からは、農作業のために会社を休むな,と言われていますが、農業専業でやりたいという気がある」という。
農業に未練を残し、揺れる兼業農家の心情がよく出ていたと思います。
 
転作成功のインゲン豆づくりなど、何故広げられないか
▽「転作さまざま」の中の「加治川村のいんげん豆作り」は、土地が平坦で水がたまりやすく、畑作に向かないところでの転作問題です。県の勧めるメロン、スイカ、里芋などはつゆ時に水をかぶってことごとく失敗。アメリカ産の種を使ったいんげん豆だけが、比較的水に強かったことなどからこの土地に根付いて10年続いており、東京への流通ルートにも乗っています。農協の計算では10アールあたりの収入は諸経費を引いて20万円あまりと米の倍以上になります。
 しかし、その年初めていんげん作りに取り組んだ農家は、「家中夜なべしてパック詰めなどの作業をしなければならず、手間を売るようなもので簡単には広げられない」と言っています。そしていんげんに取り組んだのはよそに預けた自分の水田が牧草地にされ、荒れていくのを見て、「これでは米が作れなくなるので自分の土地は自分で管理しようと思った。米を作るのが許されたらいつでも米作りに戻りたい」と話しています。新潟県では転作問題の裏には、ほとんど米問題があることを明らかにしたニュースとなりました。

▽背後に山を控えた佐渡の羽茂町西片地区で1ヘクタールの水田と1.6ヘクタールの柿畑をもつ専業農家の転作問題。佐渡特産のおけさ柿の栽培をもっと広げるよう求められ、悩んでいました。ここでは、おけさ柿に向いた土地、栽培技術、販路など条件はそろっていますが、おけさ柿の栽培は手間がかかり、サラリーマンの兼業農家の手には負えません。この農家には会社勤めの2人の娘さんがいますが、どちらかの結婚相手が果たして専業農家になっておけさ柿の栽培に取り組んでくれるかどうか、今の時点では誰にも分りません。このためおけさ柿の転作拡大に踏み切れないのです。おけさ柿の転作問題の向こうに、後継者問題という日本農業の構造問題が見えてきます。
 

テーマがニュースを生み出す・・・反響の大きさに驚く


こうした取材を重ねる中で、テーマがニュースを生み出す、というかニュースを掘り出すことを痛感しました。その典型例。その夏の甲子園で、新潟県代表の新発田農業が活躍、新潟県代表として初めて2勝しました。そこで私は「新発農ナインの後継者問題」というタイトルを思いつき、紙に書きました。これを見て、秋山記者と嶋田カメラマンが私に何も聞かずにすぐロケに出かけ、エースの3年生を主人公に企画を1本作ってきたのです。
 新発農ナインの3年生全員の進路を調査し、専業農家になるのは一人だけ、という内容でした。当時の農家を取り巻く状況と若者の心情がよく出ており、ローカル放送だけでなく、全国放送のスポーツ番組と一般ニュース番組で放送されました。
 「減反10年」は放送局内部でも好評でしたが、びっくりしたのは外からの反響の多さです。手紙、電話、新聞への投書、それから講演の依頼、とうとう私も講師となって新潟県内の10ヶ所ほど回りました。新潟県での米の経済的比重は大分下がってきていましたが、農家出身の人が多いので、米がどうなる、農家がどうなるということへの関心はきわめて高いわけです。減反10年はまさに新潟県人の知りたいことに応える企画でした。
 こうした反響で私は、ニュースはまず何を取材するかが大事だと感じるとともに、逆に我々は普段、視聴者つまり国民が求めているものを取材しているのだろうか、と反省させられました。

タイトルの力と“量は質を変える”


 「減反10年」の取材・放送は、放送記者人生の折り返し点にあった私の、その後の仕事のやり方に決定的な影響を与えました。まず、「減反10年」というタイトルの力。たった
4文字の中に、「減反」=米の生産調整が「10年」の時の経過でどのような問題を引き起こしたか追求する、というテーマが明解に示されています。そのことが取材に参加した記者やカメラマンの問題意識を明確にし、新たなニュースを掘り出す原動力となりました。
その後の連続企画に取り組む際、私はまず、テーマを短い言葉で表すことに腐心しました。この後紹介するテーマですが、「先端技術と岩手」「一極集中・光と影」などはすぐれたタイトルだと思いますし,「信濃川」「北上川」は時代の位置付けが不明で、やや甘いネーミングだと思います。先端技術とは、最近では言われなくなりましたが、主にコンピューター技術をさしています。外国人労働者問題のシリーズのタイトルを時代感覚に優れた先輩ディレクターの助言を入れて、「多民族共住時代」としました。問題を幅広く捉え、魅力的なタイトルですが、外国人労働者問題がまさに「労働」の問題だということの本質をややぼやけさせた、とも言えます。タイトルは恐ろしいものです。 
タイトルの次は、回数(量)の問題。これまでTVのシリーズといえばせいぜい3回か4回だったのに対し、この連続企画ニュースは20回、30回と数多くのシリーズとし、取材対象に広く迫っていくのが特徴です。このことは単に量が増えるというだけではなく、問題をさまざまな面から捉える、という取材・放送姿勢を示しています。盛岡のデスク時代、ニュース班に示した、手書きの私のメモが残っています。それによると、連続企画ニュースの狙いは(1)量は質を変える(2)テーマを立てることで、ニュースが生まれてくる(3)ニュース班全員が参加し、企画力、構成力がアップする、と端的に説明しています。
 連続企画ニュースとして取り上げたテーマは新潟デスク時代が「減反10年」に続いて「信濃川」「鳥屋野潟研究」(田中金脈問題)「新幹線」。1984年(昭和59年)、盛岡のデスクになって取り上げたのが「先端技術と岩手」「北上川」、そして「農家負債シリーズ」です。

「先端技術と岩手」「北上川」


「先端技術と岩手」(連続18回)は岩手のような地方においても、生活と産業の各分野でコンピューター技術が如何に急ピッチで浸透し始めているか、その実態をリポートしたものです。新潟で新潟鉄工をニュース班で見学に行き、工場のコンピューター化が進んでいるのにびっくりしたのがきっかけになっています。
 社会へのコンピューター技術の浸透振りを全体としてとらえるという発想は当時としては珍しかったらしく、放送後、デスクの私が地元中小メーカーの業界団体が開いた先端技術をめぐるシンポジウムのパネラーとして招かれました。また、シリーズをもとに、1時間半のローカル番組を作りました。
 「北上川」シリーズは岩手県を貫流する大河・北上川の流れに沿って話題を拾っていくもの。11回の比較的短いシリーズ(その他に仙台の放送局が下流について3本制作)でした。タイトルと中身を紹介してみましょう。
 
    タイトル  放送  内容             長さ(正味)  
1、源流の謎  8/5  源流に諸説、2つの町で張り合う 3分-40秒  
2、清流化対策 6   松尾鉱山の排水で死の川になった 4-10  
3、盛岡城   7   かつての河床がいまは繁華街   3-10  
4、川のある街 8   支流中津川を市民はこよなく愛す 2-40  
5、河川敷物語 9   〃雫石川河川敷150haは私有地  3-20  
6、野鳥    12  渡り鳥の大事なルート      2-45  
7、川下り調査 13  建設省がゴムボートで環境調査  2-55
8、イギリス海岸14  宮沢賢治が命名!花巻の北上川        
9、テクノポリス15  水利権と工業用水        3-15  
10,石淵ダム   16 北上川総合開発第1号      3-10  
11,水位観測人  19  43人の観測人が北上川を監視  3-30  

 半分以上がシリーズでなかったらニュースで取り上げない話題です。しかしシリーズ全体を見ると、岩手の風土とそれを愛する岩手の人々の気質が浮かび上がってきます。 日々のニュースが生まれてくる基盤を探ったニュース、と言えましょうか。

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