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借りパク奇譚(22)


「ええ、もちろん」

クールに返事をするも、おれは自分の胸の鼓動が大きくなっていくのを感じた。これは私服の彼女が、さっきまでにも増して魅力的に見えるからか? いや、違う。たぶん彼女がこれから話そうとしている何かに、おれは反応し、緊張し始めている。

おれたちは少し歩き、待合室と塔の間、本堂の前あたりまでやってきた。

どうやら彼女はわざわざおれの『旅立ちの儀』が終わるのを待っていたようだった。おれがイケメンで、青春まっしぐらの中高生なら、まさか告白!? なんて、呑気に考えたかもしれない。

「ちゃんとご挨拶する機会もなく、私、本名、夏目といいます」

そう言って彼女は笑顔を浮かべる。

「ご丁寧に。私は竹中です」

「あっ、やっぱり。カンバルさんがリストで読み上げた、"たけなか たかし" って "たけし" さんのことだったんですね」

嬉しそうに微笑む夏目さん。バレていたのか。まあ、当然か。あの時おれは思わず立ち上がったから。

「ええ。困ったやつです。あいつは」

おれは苦笑する。

「……実は、『智慧の儀』の時に、言いそびれてしまった事があるんです」

そう言いながら、彼女は自分のハンドバックからブックカバーをつけた本を取り出す。

ふむ。見覚えがある。確か『懺悔の門』が始まる前、彼女が待合室で読んでいた本である。

次に彼女はブックカバーを外し、「見てください」と言って本を差し出した。

カバーを取り始めたあたりから、多少予想はしていたが、それでもびっくりする。表紙が濃い緑色の薄い文庫本。そのタイトルには、『地下街の人びと』と書いてあった。

これは一体どういうことなのか? おれは無言で考え込む。遠くで聞こえる鳥たちの声が、2人の間の沈黙を埋めていた。

「ちょうど3日前、タイトルに惹かれてこの本を買ったんです」

しばらくあって、彼女は言った。

「……なるほど。だからあの時反応したんですね。すごい偶然、いや……これは偶然という名の必然なのでしょうか」

彼女の場合は? とおれは思う。亮潤様と一体何を話したのだろうか。

「ええ。でも、そもそも私がこの本のタイトルに惹かれたのには、ちゃんとした理由があるんです」

重要なのはここからです。彼女はそう言いたげだった。

「なるほど」

「先ほど話した私のバイトの話ですが、私が雇われていた組織の名前、『地下街の人びと』という名前だったんです」

「……」

なんてことはない。組織の主催者が、たまたまケルアックを好きだった。それだけのことだろう。それ以上でもそれ以下でもない。しかし─────そもそも、あの小説に出てくる人びとは、なぜ、「地下街の人びと」と呼ばれていたんだっけ?─────おれは主題から逃げ、どうでもいいことを考える。何度目か、ひどく頭がクラクラするのは、絶対に酸欠のせいではない。

「先ほども言いましたが、私、文学には疎くて。だからその名前が、小説のタイトルからとってつけた名前だって知らなかったんです……」

「名前をつけた人がケルアックを好きだったのかな……」

自分でもつまらないこと言うものだと思いながらも、おれはそう口にする。

「ええ、そうかもしれません……ただ、もう一つ……『地下街の人びと』の代表を務めていた人物の名前なんですが……」

そこで彼女は一呼吸置いた。

心の準備などはできていなかったが、おれはうなずく。

「 "トオル" という名前だったんです」

鈍器で殴られたような衝撃と最初に表現した人は、実際に鈍器で殴られたことがあったのだろうか? おれは当然そんな経験はないが、まさにそんな感覚が襲う。ただでさえ頭がクラクラ、ピヨっていたのに、おれが『火曜サスペンス劇場』の被害者なら、今ので確実にやられていただろう。

大学時代の記憶、亮潤様の話、そして今聞いた夏目さんの話。ついに3つ目のトオルが出て、スロットの絵柄が全て揃ってしまった、そんな感覚だった。ただ、少なくともボーナスとして出てくるのは、メダルというわけにはいかなそうである。

いつの間にかおれは真顔になっていた。口がひどく乾いている。
意識して表情を緩め、なんとか口を開く。

「まあ、トオルなんて名前の人は、いくらでもいますからね」

おれの口は、なおもくだらない一般論を口走る。

「ええ……もちろんそうなんですが……」

おれのつれない反応に、夏目さんは表情を曇らせる。

「……いえ、すみません。そのトオルというのが、私が大学時代に本を借りた男と同一人物であるかもしれない、夏目さんはそう言いたいんですね?」

口にしてしまった。おれは思った。

「……はい。単なる偶然かもしれませんが」

「……いや、残念ながら偶然ではないかもしれません。『旅立ちの儀』で亮潤様から言われました。私が大学時代に出会ったトオル、本名、西村トオルには、人から時間を奪う特殊能力があったらしいんです。西村は私に例の文庫本を貸しつけ、その文庫本が鍵として作用し、私の扉を開け、私から時間を奪っていたらしいんです。つまり………2人が同一人物であることは、十分にありえます。あっ、すみません。鍵といって意味わかりますか?」

「ええ、私も亮潤様から『鍵』と『鍵穴』の話を聞きました、私は───」

ナパシさーん! 竹中ナパシさーん!

ここぞという場面で突然挟まれるYoutubeのCMみたいに、おれの後方から現れたのは────『コマーシャルジャン』山田だった。

面談終わったなら呼びにこいやぁー!

山田はおれの耳元でそうささやき、腹に軽くパンチした後、プイっと塔の方へと歩き去っていく。

そうだ、次は山田の番。声をかけなくてはならなかったのだ。おれの帰りがあまりにも遅いから、痺れを切らして様子を見に来たのだろう。

「ナパシ?」

流してくれればいいものを、拾う夏目さん。

山田の言葉を翻訳すれば。『タカシ』ではなく『ナンパ師』。なにクロエちゃんに声かけてんだてめぇは! という意味だろう。

「いえ、意味不明な発言が多いやつなんで、気にしないでください」

「おふたりは仲がいいんですね」

そういって夏目さんは微笑む。

「……いや、ただの腐れ縁です」

「すみません、話が途中でした。『鍵』と『鍵穴』の話でしたね。亮潤様が言うには、私はバイトを通して、鍵としての役割を負わされていたようです。私が鍵となって、自分では無意識のうちに誰かの鍵を開けていた、そして、鍵を開けられた人から時間を奪うことに加担していた………」

「クロエさんが鍵ですか……」

「ええ、仕組み自体は全くわかりませんが」

「……人すらも鍵になり得るんですね」

山田のフィアンセが山田にとっての鍵ではないかと疑っていたおれには知りたくない事実だった。

「はい、亮潤様の話では、場合によっては『音』や『匂い』ですらも、鍵になり得るらしいです」

「音や匂いも!?……」

おれはただただびっくりして、言葉を失う。

「ええ、私も全く理解できませんが、そういうことのようです」

「なるほど………」

「……すみません……実は、儀式の時に言えなかったことが、もう一つあるんです」

そう言う彼女の表情が、今日一で重くなったような気がした。
 
 おれはうなずき、覚悟して、彼女の次の言葉を待つ。おそらく今から言おうとしていることが、彼女が一番伝えたいことなのだ。

「先程、『智慧の儀』の時に伏せた私のバイトの内容、カンバルさんの話を聞いた直後だったので、どうしても言えなかったんです……」

「……なるほど」

「話そうか随分迷ったのですが、やはり竹中さんにはお伝えしておいたほうが良いかと……」

「ええ、大丈夫です。話してください」

どんな内容でも受け止める。
今一度自分に言い聞かせて、おれはそう言った。

ただ、それでも彼女は話をしばらくためらって、それからようやく口を開いた。

「……私がしていたバイトは……『地下街の人びと』の担当者に同伴し、クライアントの方と一緒に、 "音楽のコンサートに行く" というものでした。

私はただ、機嫌よく、その場所にいるだけで良かったんです。バイトの内容はそれだけ、本当にそれだけでした。

バイトを通して私は大勢のクライアントの方と色々な種類のコンサートに行きました。つまり……私の場合は "コンサート" が専門だったという事です。私の知人はそれが "ゴルフ" であり……他の人の中には……一緒に "スポーツ観戦" に行くのが専門だった人もいたようでした」

おれは沈黙した。黙ろうと思ったわけじゃない。ただ、頭を整理するに時間が必要だった。 "クライアントとスポーツ観戦"。いやでも山田の話を思い出す。つまり、成田千佳は、夏目さんと同じバイトをしていたということなのか? そしてやはり彼女は山田にとっての『鍵』だったのか?  物語の断片が少しずつ集まって、全体のアークがぼんやりと浮き上がりつつあった。胸がチクチクと痛んだ。亮潤様は、このことを山田に話すのだろうか?

「なんとも胸くそわるい話ですね」

おれはつい本音を口にした。

「はい……ごめんなさい」

「す、すみません。夏目さんが謝ることではないです」

「ええ、でも」

「……このことは亮潤様には?」

「はい。ただバイトや組織のことはもうなるべく考えないように努めなさいと。少なくとも私の力の及ぶ範囲ではないと」

「……確かに、賢明な意見ですね」

あたまが痛かった。おれ達は今、不思議な形をした窓の前に立っている。そこから外を見ると、何やら得体の知れない世界が広がっている。一体、なんの因果でこんな窓の前に来てしまったのか? おれ達はただ、時間が欲しかったり、タイヤが必要だったり、ドラムが好きだったり、野球が好きだったりしただけの、しがない一般ピーポーなのだ。しかし、その身に起こったことは、明らかにその範疇を超えている。おれ達はなるべく直ぐに、この窓の前から立ち去るべきなのだろう。

「一方的に話してしまってすみません。……ただ、やはり伝えておいた方が良いかと……」

苦しそうな顔で夏目さんが言う。

彼女の気持ちはわかった。できることなら黙っていたい。ただかと言ってこの話をおれや山田に伝えないわけにもいかない。おれが彼女の立場でも、おそらくそうしただろう。話すことで分かち合う。つまりはそういうことなのだ。

「いえ、教えていただきありがとうございました。大丈夫です。必然的に今日みんながここへ集まり、亮潤様のおかげで、我々はみそぎができた、変なものは全て取り除かれたんです。とりあえず今日のところは、これでよしとしましょう」

多少無理矢理だが、おれはそうまとめた。若干なりとも彼女の表情も和らいだので、おれもそれでよしとした。

自分も車で来たという彼女を「安全運転で」と見送り、おれは待合室に戻った。

時刻は5時を回っていた。山田の面談が始まってからおよそ30分は経ったか、そろそろ面談も終わる頃だろうか。

家に帰ったら、とりあえずは本棚の整理。いや、さすがに疲れたから、明日になるだろうか。そして、もしあの本が出てきたら、速やかに処分する。それで全てがしまいだ。しかし、山田の場合は?────わからない。

山田さんをよろしくお願いします。

亮潤の言葉が頭で響く。ちくしょう、めんどくせえなと、おれは心の中でため息をつく。まあ、おれにできることはなんでもやろうか、喜びも痛みも、借りパクしてやろうじゃないか。

ほどなくして山田が控室に戻ってくる。

心なしか、やはりその表情は堅い。どうだったよ? と軽く聞く勇気は今はない。

「遅いぞ、オソバルジャン。帰路は長い、はよ帰ろう。あ、安全運転で頼むぞ」

ところが山田、「ああ」とだけ返事をして、荷物を持ち、さっさと部屋を出て行ってしまう。

おいおい。『そうだな "ナパシ"、いや "たけし"』とか言ってくれよ。と思いつつ、急いでおれは山田の後を追う。

帰りの山道、おれたちは一言も言葉を交わさなかった。助手席に座るおれも、運転する山田も、ただただエンジン音を聞いていた。

ようやく市道に出て、腹ペコだったおれ達は、コンビニに寄ることにする。

酒売り場の前、お疲れの一杯を! と思ったが、やはりどうしても飲む気にはなれなかった。

コンビニで買った焼き鳥に、うまそうにかぶりつく山田を見ていると、少し幸せな気分になった。まったく、こいつはなんだかんだ人たらしである。

「アレっ、お前、酒飲まないのか?」

気がついた山田が意外そうに声を上げる。

「まあな」

「ふーん。あっ、ホラよ」

今度はおれがびっくりする。

コンビニのATMでおろしてきたのか、山田が急に3万円を差し出す。

動揺しつつもおれは言う。 「足りん、足りん、10万円だぞ、カリパクジャン」

「……まあ、そのうちな」

「……」

「結婚式来てくれよ」

山田は恥ずかしそうに言う。

「……ああ。"借りパク" したフィアンセ、いや、お前が生涯をかけて守ると誓ったフィアンセ、絶対に見にいくよ」

そういって、おれはしっかりとうなずいた。

(完)

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