見出し画像

【座談会】ごく最近研究書を出版された、または出版予定の若手研究者による座談会|今、研究者が書籍を出版する意義とは? 経営学系若手研究者による研究書の出版に関する研究会レポート②

2023年3月6日14時〜17時に、京都大学吉田キャンパス・オンラインにて「経営学系若手研究者による研究書の出版に関する研究会」が開催されました。研究書の執筆や出版についての包括的な知識を共有するために、「研究書にまつわるエトセトラを大いに語る場」として実施された研究会です。
2つのテーマごとにセクションが設けられました。

テーマ1 研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化
 発 表:研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化
 座談会:ごく最近研究書を出版された、または出版予定の若手研究者による座談会
テーマ2 研究者コミュニティを超えた社会との架け橋としての著書
 
座談会:研究者コミュニティを超えた社会との架け橋としての著書

この連載では、研究会の様子を3回にわけて紹介していきます。本記事は、テーマ1「研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化」より、5名の研究者による座談会を記録したものです。

※登壇者の所属は、すべて2023年4月時点のものです。

若手研究者が出版することの意味

【司会】山田仁一郎(京都大学):
この話をいただいた時には、単著の出版を、インフォーマル、インディペンデントに自分たちで祝おうという催しだと伺い、こういった文化が経営学界でまだ生きているんだなと(笑)。それにかかわるのは喜ばしくよいことだな、と思ってお受けしました(笑)。
若手にとっての学術出版の意味づけを考える場として、先ほどの各人のご発表でもいくつか論点出しをしていただきましたが、改めてひとつずつお聞きしていきますね。
はじめに、昨今の研究者には、大学からの「英語論文を出せよ」というプレッシャーが強まっており、それが(単著の)本を書くこととのコンフリクトを起こす面があると思います。アーリーキャリアで出版することの意義やキャリア上の意味づけをどう考えているかお聞かせください。

舟津昌平(京都産業大学):
本を出したことによって、自分の足りなかったところを省みることができました。
自分でも読み返しますし、さまざまな反応をいただけるので、事後的ではありますけども査読のようなことが結果的になされる。特にアカデミック以外の方々だと、「論文を出した」と言っても反応は素っ気ないのですけれど、本を出した時の反響はすごい。それだけ効果があるのだと思います。
つまり、一種のシグナリング効果として、名刺代わりになるということ。本を出していること自体に大きな社会的インパクトがあると思うんです。
その一方で、自分はとんでもないものを世の中に出しちゃった、アカデミアから消されるのでは、とも感じました(笑)。自分の考えを晒してしまったという思いが強かったです。2週間に1回ぐらいの頻度で、不安が突然襲ってくるような、そういう感覚がありました。
出版は、どちらの意味でも、インパクトがあるものだと思いますね。

舟津昌平氏(京都産業大学)

山田仁一郎(京都大学):
なるほど。今、論文と書籍の違いについて舟津さんが言及されましたが、他の皆さんはその重さやインパクトをどのように感じていらっしゃいますか。

中原翔(大阪産業大学):
テーマがテーマなので、(『社会問題化する組織不祥事―構築主義と調査可能性の行方』(中央経済社))ギリギリアウトな部分も載せていることから、毎日責任の重さはひしひしと感じています。ただ、この調査をした時に、協力してくださる企業はなかったのですが、出版したことで変わるとよいなと考えています。本を出すということには、自分に対する権威づけのような効果もあると思いますから、今後、協力者が増えて、それが次の論文に繋がるということもあるでしょう。キャリアの上では、論文と本がそれぞれ別のものではなく、つながっていると思います。

山田仁一郎(京都大学):
出版と論文には研究プログラムとしての補完性があるということですね。
本にしたほうが、研究の利害関係者からのフィードバックの量も増えますし、何より研究者自身の中での振り返りや反省がしやすいと考えています。あ、ここは研究のアウトプットとして失敗したな、という具合に長い間引きずってしまう自分がいたりするんですけれど、皆さんは、いかがですか。研究は重ねていくものなので、何より次につながるよい機会になりますよね。

園田薫(日本学術振興会・法政大学):
僕は、元々社会学のディシプリンで論文を書いていて、PDになってから経営学の先生について、コロナ禍に入った頃から経営学の分野にコミットし始めました。自分のフィールドを変えたわけですが、オーディエンスが違うと、受け取られ方や前提に大きな違いがあると感じていたんですね。
その違いは、論文を書く過程でも実感してきました。端的にいうと、僕は論文を書くという作業のなかでは、うまくパブリッシュができていないと感じていて。もちろん論文自体の内容など、いくつか理由はあるのだと思いますが、その点をさておいても、やはり感じるのは、そもそも学問の看板が違うことで、意識すべきところや「ここまで書くべき」みたいな線引きが、かなり違うということです。何がどう違うのかもまだわからないなかで戦わなくてはならない状況で、今は、「負け」という結果だけを受けている状態です。
このような現状で、それでも、自分はこういう研究をしていますっていうことを、経営学界に向けてアピールするために、出版するという選択肢を取りました。
そして、出版での反省を踏まえて、論文をジャーナルにも出していくという、よい連鎖になればと考えています。

園田薫氏(日本学術振興会・法政大学)

山田仁一郎(京都大学):
園田さんには、ぜひ伺いたいことがございまして、よろしいでしょうか。
組織社会学等、近隣領域の研究者たちがビジネス系に転身するという世界のトレンドから20年遅れぐらいで、日本でもやっと馴染んできたなというタイミングだと感じています。そのような状況で、園田さんは、キャリア戦略として、今回のご出版のタイトルを経営学のディシプリンにされたという理解でよいですか。

園田薫(日本学術振興会・法政大学):
産業社会学を背負いつつですね。とはいえ、産業社会学は斜陽産業なので、メインのオーディエンスをそこに設定しないように意識しました。産業社会学の分野にいる人向けに書くということは、すなわち数名しか読み手がいないということになってしまいますので。とても嬉しかったこととして、有斐閣が本書の紹介のページで、「組織論・人的資源マネジメント・社会学」とタグづけをしてくれていたことがあります。自分の意図が伝わったのかな、と。

山田仁一郎(京都大学):
自分の出自となる学問分野を越えていくことによって、元いた場所への恩恵もめぐるでしょうね。応用領域たる経営学の面目躍如です。
では、田原さんのケースはいかがですか?

田原慎介(公立諏訪東京理科大学):
僕が最も気にしたのは、リアクションです。2つのタイプのリアクションに恐怖を感じていました。
まずは、学術コミュニティからのリアクション。そして、介護に焦点を当てているので、介護業界にいる人たちからのリアクションです。出版から1年経った今でも気になるというのが正直な気持ちです。
出版助成が採択されたことで、相当数の献本をしています。 そのうちの半分が学術コミュニティへ、残りを介護業界へ献本しましたが、正直、どちらからも思ったより反応がもらえていません。静かであることが逆に怖いと感じていて、本当にあの内容でよかったのかと自問自答を繰り返しています。
また、出版から1年経っておりますが、今回このような会に参加することになって、あらためて反応にビビっているという感じです(笑)。
僕がこんなにビビるのは、先ほどの発表でお伝えした本のタイトルの懸念が大きいからです。僕の場合、舟津さんのように、明確で理論的なタイトルを本につけられなかったんですね。いろんな理論を組み合わせて現象を説明するところに焦点を当てたことによって、タイトルをつけるのがすごく大変だったし、最終的にうまく落とし込めなかったというのが正直な実感なんですよ。
博士論文が書き終わった後、公開審査会の時に審査員の先生に加えて指導教員だった若林先生からもコメントをいただいたので、その反省を生かそうという気持ちは強かったものの、出版までの期間があっという間に過ぎていき、深く考える余裕がありませんでした。
勢いに乗った状況で出版助成が採択されて、「本当にこれでいいの?」と思いながら出版したという経緯があるので、そういった意味で、2つのコミュニティからのリアクションが不安でしたし、反応が少なかったことで、いっそう気になっているところです。

田原慎介氏(公立諏訪東京理科大学)

研究者の出版戦略

山田仁一郎(京都大学):
ここで少し海外の出版事情と比較してみると、わが国の学術書出版とは、そもそも体制が異なるように思います。僕の知っている限りだと、欧米ではエントリーの出版プロポーザルの段階で、匿名の研究者によるピアレビュー(査読)がしっかり機能しています。品質保証と学問としての価値づけとしてのピアレビューをきっちりしているし、出版後のプロモーションも込みで企画構想されています。
今、実は1冊企画をレビューされておりまして。一方、日本だと、出版企画段階での社内評価のみで、外部の研究者による査読はほとんどなされていないように思うし、出版後についても、たいていの場合出すので精一杯で、欧米のように出版後のマーケティング戦略まで立てることは少ないのではと思います。みなさんは、内容のクオリティを磨くことと、出版後のことを、どこまで考えていらっしゃるのでしょうか?
日本の経営学の学術出版の現状として、クオリティを上げることや出版すること自体に注力して、マーケティングやプロモーションがうまくできているケースはあまり多くないと思います。学会賞であれ、書評であれ、本研究会のような関連のテーマセッションであれ、テニュア評価の材料の道をねらうであれ、うまく活用できる場合もあれば、そうはいかないこともありますよね。これは個人の研究者の研究戦略だけではない、学術界と出版会の制度面での共進化の不十分さかもしれませんが。

木川大輔(明治学院大学):
ちなみに、ちょうど参加者の方から「クラウドファンディングは考えましたか」という質問がきています。今のトピックと通じる内容かと思いますので、共有します。

中原翔(大阪産業大学):
僕は、学内助成で採択されると見込んでいたので、クラウドファンディングは考えませんでした。ただ、本をもっと多くの方にご覧いただきたいと思い、日本人材マネジメント協会など、イベントを開催してもらえるようなところへコンタクトを取るようにしていました。

園田薫(日本学術振興会・法政大学):
出版助成を取る意義として、お金をもらうだけじゃなく、審査を通って品質が担保されると捉えています。なので、クラファンなどは考えていませんでした。
有斐閣からも、出版助成を得ることは一種のクオリティの証明でもあると言われていましたし、自分としても無名の人間が勝手に出した本だと思われることを避けたかったです。

山田仁一郎(京都大学):
なるほど、よくわかります。
大学院におけるパブリケーション戦略の指導の一環として、学術出版を計画させるような、キャリア指導のようなものって一体、現状ではどこまであるんでしょうか。神戸大学や東京大学ではどうですか(参加者へ向けて呼びかける)。90年代の北大はほぼ皆無でしたが。

清水剛(東京大学):
確かに、私の指導教員からは「本を出せ」という指導はありましたね。

山田仁一郎(京都大学):
出版にかかわらず、研究のプロジェクトって、いくつかのポートフォリオに沿っていろいろと企画プロジェクトが動いていくじゃないですか。戦略的に、出版するタイミングを検討しましたか。また、皆さん問題なく希望した時期にサッと出せたんでしょうか。

舟津昌平(京都産業大学):
指導教員である椙山先生からは、早めに出したほうがよい、だんだん書けなくなってくるから、とアドバイスをいただいていました。今回はテニュアが取れたので、時間的にも精神的にも余裕があったものの、僕自身が本を出せた理由っていうのは、田原さんとか、仲良くしてもらっている方々も本を出していたことが大きいです。いろいろと経験談を聞けたことで、出版することへのリアリティが増しました。自分も出さないといけないな、出せるなって思えたんですね。
何のアドバイスにもなっていないとは思うのですが、私が本を書けたロジックは「みんな出したら出す」「出そうと思ったら出る」。創発的で行為遂行的ですね。
ポートフォリオを組んで、リソースの配分を考えて、と、計画を練り始めてしまうと、実現が遠のくような気がしています。研究もあるし、論文も書きたいし、資源を割くべき対象はいろいろと無限にありますからね。

山田仁一郎(京都大学):
「出せば出る」っていう制度ロジック(笑)。
でも確かに、本を出すことってエンプロイアビリティの観点からも重要だと考えています。採用側の人間として何を求めるか、僕はいろんな大学を渡り歩くキャリアになってしまったことで思ったことですが、当然、査読付論文がとても重要でありつつも、ちゃんとした「単著がある」というのも現状において強力な判断材料になっていると思います。採用委員会や教授会を通す時に説得力の大きさが違うので、ここは声を大にして改めて言っておきたいです。

園田薫(日本学術振興会・法政大学):
舟津さんのように、自分の持っているネットワークのなかで出版をしている人がいた場合は、見通しが立てやすいと思うのですが、僕の場合はそういうつながりがありませんでした。
他の指導教官のなかには、しっかりと出版やキャリアの指導をしているタイプの方もいましたが、僕の指導教官は、そういうのは自分で見つけてくるもんだよ、というスタンスでした。ただ、そうやって、自分のやっていることが誰にでもわかるように、A4用紙1枚の企画書をまとめて、売り込んでいくという経験にもまた、価値があると思っています。
自分のネットワーク外に入っていって、批判の目に晒されてみることも、それもまたよい経験だったなと振り返って感じています。

山田仁一郎(京都大学):
ネットワーキングに基づく越境ですよね。シンプルに本が売れる、売れないという視点からいうと、経営学の出版・学術を医学・福祉系の業界と比べると、研究者と現場の実務家とのアライアンスがまだまだ弱いんですよね。そもそも、組織学会・経営学会は、会員ベースで2,000数百人ぐらいしかいないということを考えると、研究活動の価値連鎖におけるアウトリーチ越境というのは、自身のプロモーションや本を売っていくという観点からだけではない主題だけれども、今回の研究会の延長線上にあるテーマとして考えられるのだろうと思いますね。
たとえば、田原さん。対組織論や経営学の読者ではなくて介護業界からの反応について話をされていましたが、対話する市場に対して越境していくことについてはどうお考えですか。

田原慎介(公立諏訪東京理科大学):
必要なんだと思います。ただ、どうやってプロモーションをしていけばよいのかなと。コロナ禍の影響もあり、ネットワークをつくりづらいなかで、どうアプローチをかけていけばよいのか、正直よくわからないっていうのもあります。

山田仁一郎(京都大学):
田原さんは、論文を書く調査段階から、医療系・福祉系の先生と関わっているわけだから、その先生たちと協力するのはどうですか。関連する研究トピックは絶対たくさんあるから、その分売れるよね。
僕も自分の出した本については、どう売っていけるかはずいぶん試行錯誤しましたよ。毎日のように、Amazonの売上ランキングを見て、順位が上がった、下がったと報告をくれる編集者もいますよね。

田原慎介(公立諏訪東京理科大学):
自分が産み落としたもの、自分の責任のもとで出版したんだから、残りの在庫がどれくらいあるのかを確認しながら、売っていく責任がありますよね。Amazonのランキングはとても気にしていますよ。更新ボタンを連打して(笑)。

舟津昌平(京都産業大学):
そこが、論文と圧倒的に違うところですよね。自分の出したものの売れ行きが成績として返ってくるし、かつ、出版社さんの力を借りているわけですから、自分だけの問題ではない。
実は、制度ロジックのThornton & Ocasio(Institutional Logics and the Historical Contingency of Power in Organizations. American Journal of Sociology,1999)の題材は高等教育出版業界で、まさに今回の話なんですよ。学術的に意味があることは当然重要視されると同時に、あくまでもビジネスだから、売らなければならない。
なんとなくアカデミックっぽく振る舞っていると、「売れるために書いてんじゃない」ですとか、「研究的意義があれば」みたいに思いがちですけれど、そういうこと言っていられないなとも思っています。なので、皆さんぜひ、拙著を買ってください(笑)。

中原翔(大阪産業大学):
先生方にご指導いただいた時に教わったこととして、売るための工夫としてキーワードを入れてみたら、ということがありました。今回、「不祥事」はもちろんですが、「構築主義」も入れてみて。本当は、構築主義って入れたくないんですよ、専門家が多くて怖いので。だけど、構築主義に関心ある人が検索した時に出てくることをねらって、タイトルをつけました。また、装丁も、ちょっと尖ったものにしていただいて、視覚的に、バチっとはまるかどうかはすごく意識しました。

中原翔氏(大阪産業大学)

山田仁一郎(京都大学):
正直、『社会問題化する組織不祥事―構築主義と調査可能性の行方』を見た時に、「やられたな」と思いました。学術的な意義・理論の本質的な部分を見せることと、実務に刺さるワーディングを両立させることが重要ですよね。

学術出版だからこそ表現できるもの

山田仁一郎(京都大学):
続いて、学術出版じゃないと表現できないもの、伝えられない社会的な意義って何があると思うかお聞きします。
私は、『大学発ベンチャーの組織化と出口戦略』(中央経済社)の前に『プロデューサーのキャリア連帯』(白桃書房)という本を出していただいているのですが、昨日のコンファランスで、その本をきっかけに博士論文を書きましたという方に会ったんです。そういうきっかけになることって、単発の学術論文ではなかなか起きないなと感じます。
書籍は、小さなレベルではもちろん、人生や企業の経営に大きく影響を与えるものだと評価できます。明らかに上梓後、政策担当者などとの出会いが増えました。
この辺りも含めて、それぞれご著書のアピールポイントを一言ずついただいて、本セッションを締められればと思います。

座談会の様子

舟津昌平(京都産業大学):
まさに今山田先生がおっしゃったことを、実はさっき園田さんと話していました。論文と本が違うものだと考えたときに何が違うのかについて、伊丹敬之先生の『創造的論文の書き方』(有斐閣)という本のことを思い出しました。経営学を学ぶ人の必読書ですよね。
そのなかで、執筆動機をエッセイ的に論文内に書きたがる人がいるが、研究論文には動機はいらないから書くな、と言及されています。

山田仁一郎(京都大学):
「舞台裏を見せるな」ってやつだよね。あの書籍のアウトラインパートは、前前職の職場のゼミでよく学部ゼミのレベルでも配布して使っていました。

舟津昌平(京都産業大学):
それです。
で、論文はもちろんそうだと思うのですが、本の場合は、舞台裏を見せるからこそ意味が理解されやすくなる、魅力的に見えるという側面があると思っています。
ですから今回書籍を執筆する際には、舞台裏を見せることを意識しました。
制度論の研究をしていると、制度論はわかりにくいとよく言われます。その意見を理解できると同時にやっぱり悔しい気持ちもあって、それが僕の問題意識の出発点です。制度論のわかりにくさを解消するために、ある程度丁寧にストーリーを伝えていきたいけれど、それは研究論文では許されないといいますか、特に査読過程では受け入れられにくい。
ですから、たとえば先ほどの発表時にお伝えした椙山先生とのエピソードのように、半分ギャグのようではあれど舞台裏を描くことができるのは、本ならではだと思っています。
つまり、論文だとそぎ落とすような、園田さんの言葉を借りると「雑味」が、本だからこそ盛り込めるのだと思います。

園田薫(日本学術振興会・法政大学):
出版する意義については、今の舟津さんからの話に付け足すところはないので、僕は自分の本の話をしたいと思います。
僕が書いた本は、すぐ誰かに届いて、面白いなと思われるものではないかもしれないです。ただ、すごく心がけたのは、個人・組織・社会が連動しているということを描くことです。扱っているのは、組織の現状なのだけれども、組織は個人があるから成り立っていて、でも組織を超えた社会があるから、組織があると。それらは連動しているんですよね。
しかし、自分が今書ける限りだと、その一部分しか描くことができていません。それでも今面白いと思ってもらえるのなら、10年先に書いたものも、面白いと思ってもらえるでしょって考えていて。そういった途中経過を見せることができたのであれば、今の段階では十分だと思っています。

田原慎介(公立諏訪東京理科大学):
舟津さんと園田さんの話も含めていうと、僕、学術書って究極の自己満足・自己表現であって、それでよいと思っているんです。少しでも「社会のために」ですとか、「世の中何を求めてるのか」を考え始めた瞬間にテーマがぶれてくる。そこは自問自答だろうと思うんですね。
僕は、社会人経験があるので、理論と実務の橋渡しをしたいという思いを持って学術の世界に飛び込んではきたのですが、なかなかに難しさを感じていました。今回、学術書を執筆してみて、これもひとつの橋渡しだと、思うことができたんです。理論と向き合って、自分が伝えたいことを伝えていく。これがすごく大事なことだなと思っています。
学術書を出そうと思ったら、対話する時間を1年くらい持つことができますが、論文ですと、短い期間で書き上げなくてはならないですし、査読に通ることが遥かに重要になりますよね。論文では査読のコメントと向き合い、それとはまた別のところで、自分のキャリアや思いと対話できるのは、学術書であると考えています。

中原翔(大阪産業大学):
僕が本を書いた経緯のひとつは、自分を指導してくださった先生方に対しての感謝の気持ちを表現することにありました。感謝を示しつつ、後輩たちに受け継げればよいかなと思っています。また、こういう変な研究をやってるやつがいるっていうことを、知っておいてほしいという意味もあります。もうひとつは、Twitterを見ていると、内部統制や経理をやっている方々が面白がってくれている反応があるので、同じような問題関心がある人と、この本を介して、いろいろと話ができればという考えもありました。

山田仁一郎(京都大学):
ありがとうございました。残念ですが、もうそろそろお時間のようです。

舟津昌平(京都産業大学):
最後にひとつだけ。山田先生が先ほど言及された、英語圏での査読付の本について、後でディスカッションしたいです。日本ではそういう文化自体がないですよね。本づくりについてはプロである編集者さんにお任せできる部分もありつつも、研究者に何らかの形でそういう機能を付与していただくことは、日本の学術出版において可能なのかということや、もし事例があればそのお話を聞いてみたいと思いました。

山田仁一郎(京都大学):
そう、英語圏ではなんにせよ、外部評価としての査読付中心ですね。
とある国内出版社の経営層に聞いたら、そういう慣行がなくて、とぼそっと言われたことがあります。ですから、ないという自覚があるというか、意識されている学術出版業界の人はいるはずです。
ただ、実現には、出版社サイドに丸投げでは難しいでしょうから、研究者側のコミットメントや学会サポートなどの委員会等の立ち上げなどが必要になってくるのでしょうか。
最後に重要な問題を提起いただいたところで、本セッションを終了したいと思います。 

座談会を終えて

英語圏での査読付研究書に関して|中園宏幸(広島修道大学)

舟津さんからの問いかけに応答する時間がないまま次のセッションへと移りました。せっかくですから、ここで少し触れておきたいと思います。英語圏での査読付研究書の件です。ナカゾノの経験をもとに少しだけ。
企画がどのように進んだかというと、学会からの情報にて、Call for Papersのようなカタチで呼びかけがありました。その呼びかけに対してプロポーザルを提出しました。すると幸運にも、編著者の先生からプロポーザルを採用する旨とフルペーパーを送るように指示がきました。掲載は内々定のようなカタチから、厳しい査読が始まりました。われわれの研究の独自性が際立つようにするためのコメントから、一冊の一貫した研究書とするための整合性を求めるようなコメントまで、かなり厳しいコメントがありました。同時に、出版社の編集者からも、英語の表現や引用情報のチェックなど丁寧なコメントがありました。対応はかなり大変でした、かなり。数往復のやり取りの後に、正式なアクセプトを編著者の先生からいただきました。
流れはそのようなカタチでした。やはり、山田先生がおっしゃるように、出版社サイドに丸投げするのは難しいと思います。プロセスを模倣するならば、企画を学会経由で学会員に公募することでしょう。あれ? 勘のいいみなさまであれば、お気づきかもしれません。それって、組織学会にて企画された『組織論レビュー』(白桃書房)では?!!??!
蛇足を書いていくと、このような査読付研究書の論文をどのように評価するのかについて統一されたルールがあまりないように思えます。ナカゾノの経験では、書籍業績としてカウントされたこともあれば、査読付き論文としてカウントされたこともあります。SCOPUSに登録されていることを重視してカウントしてもらったこともあります。(『組織論レビュー』に執筆されたみなさまはどうなっているのだろうかと気になってきました。)
話を戻しましょう。舟津さんの問いは、「日本の学術出版において査読付の研究書は可能なのか」です。これは『組織論レビュー』を事例として、可能であると解答できるのではないかと思います。そこへの注釈としては、山田先生がご指摘くださったように「委員会の立ち上げ」が必要になるのだろうと思います。
さてさて、ということで、ここまでお読みいただきありがとうございます。座談会参加者の熱量が伝わってきたのではないかと思います。この熱量あふれるやり取りを、テキストのカタチで残すための文字起こしと編集の作業をご担当いただいた中央経済社のおふたかたには改めて感謝を申し上げます。「同情するならなんとやら」という名言がありますが、気概を感じ取ったそこの、あなた!ぜひ書籍をお買い求めください!!(中園宏幸)

総括|山田仁一郎(京都大学)

まず、お忙しい年度末に、わざわざ本学(京都大学)を研究会に選んでいただき、司会まで務めさせていただき、とっても愉しい時間であったことの謝礼をまず、企画者や協力者・登壇者、参加者の方々へ、お伝えしたいです。学問のあり方を考えてみると、これまでの経営学の研究者のポジショニングは、少し窮屈な(リーン、やせっぽっちなビジネスと科学志向)スタイルに偏り始めていたと正直に思います。それに対して、今回のような登壇者たちは、国際学界への探究心も、自国の研究のエコシステムを健全にするための意思も満ち溢れている印象があって、愉快な空気が流れ込んでいました。
現場では、その後の夜の部の懇親会において、アカデミック・キャピタリズムも「経営学の危機」も所与の共通条件のように語り合いながら、「であればこそ、どんな学問に取り組んでいけるのか」というエネルギーがありました。引いた目線でみれば、大学の研究・教育現場も共生関係にある学術出版もまた、衰退局面にみえるかもしれません。こういうときこそ「経営学的創造力」が問われるのだと、少し語気を強めてお伝えしたいです。
私たちの恩師、そのまた恩師の世代の先生方は、「人間を行動へ導く学問」として経営学や組織論を標榜し、発展を推し進め、私たちはその恩恵に預かっています。是々非々として、改めるべき課題も多いですが、ビジネス書と接続される経営学・組織論の立ち位置は、諸刃の剣でありながら、近隣分野(社会学、経済学、社会心理学、文化人類学、哲学や社会工学など)よりも恵まれています。素敵な学問としての土壌も培われてきたと思います。そもそも母国語で(も)自由闊達に学問や科学が(ある程度)できる(できちゃう)という基礎条件が奇跡なのです。そのことは忘れないでほしいです。日本語による学術出版文化と制度の分厚さ、豊かさは、人類の歴史のなかでの稀有なレガシーではないでしょうか。
この場の対話で生まれた話題の一つひとつは、ジャーナル至上主義に偏りがちな近年の表層的な研究・教育・科学・学問を巡る動きに対する健全な反応であると考え、共鳴しています。一方で、これまでの研究書・テキストの出版によって成り立ってきたエコシステムがそのままでは「持続可能ではない不都合な事実」も胸襟を開いて、編集者と研究者が語り合うべき時期も来ているのではないでしょうか。
学術出版という科学コミュニケーションのアウトリーチと生産体制というレイヤーの問題を越えて、私たちの言論の基盤や土壌は一報で脆弱なリスクにされされてもいる状態にあることを指摘しなければならないでしょう。そんな難所のこともずっと頭の中で気になりながらも、野心あふれるオーラをまとった研究者たちとのひとときの楽しい時間でした。この<気分>は、改めて自分自身も抱え、引きずっている次の単著の原稿のファイルやアウトラインを見直すモーメンタムもくれました。どうもありがとうございました。また会う日まで。(山田仁一郎)

登壇者略歴


【司会】山田仁一郎(やまだ・じんいちろう)

2000年北海道大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経営学)。2021年10月より京都大学経営管理研究部・教育部教授 。専門は経営学、アントレプレナーシップ論、組織論。
researchmap:https://researchmap.jp/J.Yamada

中原 翔(なかはら・しょう)

2016年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。大阪産業大学経営学部講師を経て、2019年より同学部准教授。現在に至る。
専攻:経営管理論、経営組織論。
Twitter:https://twitter.com/ShoNakahara
researchmap:https://researchmap.jp/7000023037

田原 慎介(たはら・しんすけ)

2021年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。関西学院大学人間福祉学部助教、京都大学大学院経済学研究科ジュニアリサーチャーなどを経て、2021年より公立諏訪東京理科大学共通・マネジメント教育センター講師。現在に至る。
researchmap:https://researchmap.jp/shinsuke_tahara

園田 薫(そのだ・かおる)

2021年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。2021年より日本学術振興会特別研究員(PD)として、法政大学に所属。現在に至る。
専攻:産業社会学、人的資源管理論、組織論。
Twitter:https://twitter.com/kaoru_sonoda
researchmap:https://researchmap.jp/kaoru_sonoda

舟津 昌平(ふなつ・しょうへい)

2019年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。京都産業大学経営学部助教を経て、2022年より同学部准教授。現在に至る。
専攻:経営組織論、イノベーションマネジメント論。
researchmap:https://researchmap.jp/sfunatsu

運 営

中園 宏幸(なかぞの・ひろゆき)
2015年同志社大学大学院商学研究科博士後期課程修了。博士(商学)。 同志社大学助教、広島修道大学助教を経て、2019年より広島修道大学商学部准教授。
専攻:イノベーション・マネジメント
Twitter:https://twitter.com/nakazonolab
researchmap:https://researchmap.jp/hnakazono

木川 大輔(きかわ・だいすけ)
2017年首都大学東京(現東京都立大学)大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。東洋学園大学専任講師、同准教授を経て、2023年より明治学院大学経済学部国際経営学科准教授。専門は経営戦略論、イノベーション論。
Twitter:https://twitter.com/dicekk
researchmap:https://researchmap.jp/dicek-kik

この記事が参加している募集

イベントレポ

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!