映画批評#2『戦場のメリークリスマス』〜罪悪感による絆〜
『戦場のメリークリスマス』
あらすじ
役者について
ビートたけし、坂本龍一、デヴィッド・ボウイという超豪華キャストが出演していることが今作の売りの一つだが、前の二人はお世辞にも演技が上手かったとは言えない。Wikipediaによると、坂本龍一はほぼ練習無しで撮影に挑み、ビートたけしは自分の演技の酷さに出演を後悔していたという。監督の大島渚も二人に配慮して、セリフのミスなどがあっても二人の代わりに周りのスタッフを非難していたらしい。撮影現場に色々と忖度が働いていたのだろうと想像する。
ジョン・ロレンスを演じるトム・コンティはいい味を出していたと思うが、日本語で喋るシーンではあまりにもイントネーションがずれているため、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。調べてみると案の定、トム・コンティは一切日本語を理解出来ておらず、音だけを記憶して役を演じていたという。ないものねだりだが、もう少し何か工夫が無かったのかと感じてしまう。デヴィッド・ボウイのカリスマ性と坂本龍一の音楽に大部分支えられた作品だと言わざるを得ない。
罪悪感による絆
ただ、物語の構成は全体的に素晴らしかったと思う。この作品は作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストの『種子と蒔く者』を原作としており、作者人身のインドネシアのジャワ島における日本軍俘虜収容所体験を描いたものである。日本兵とイギリス軍捕虜との同性愛に近い絆、また太平洋戦争における日本軍の捕虜虐待を描いているセンセーショナルな作品だ。
今作の1番の名シーンはやはり、デヴィッド・ボウイの演じるジャック・セリアズが、坂本龍一の演じるヨノイ大尉に二度キスをするシーンだろう。このシーンでは画面の揺れ動く演出があるのだが、実は撮影ミスによりカメラが動いてしまったところ、たまたまヨノイ大尉の揺れ動く心情にピッタリと合うため採用されたのだという。この二度のキスはいわゆるチークキスというものだが、イギリスでは基本的に家族や親しい友人にだけ行うものであり、それ以外の人間との挨拶ではただ握手をするのが作法らしい。
セリアズとヨノイ大尉の間には同性愛的な絆が生まれるが、そもそもなぜ二人は互いに惹かれあったのか。それは、二人とも「罪悪感」を抱えて戦場に参加したからだろう。
ヨノイ大尉は、1936年の二・二六事件において処刑された青年将校たちの同志だった。同世代の人間が命を賭して行動を起こしたにも関わらず、自分は安全地帯で生き延びてしまったという罪悪感が彼を戦場へと駆り立てたのだろう。(余談になるが、戦争で死んでいった仲間達への後ろめたさと、それを打ち消すための肉体の鍛錬といったキャラクター造形は、どうしても三島由紀夫を想起させる)。ちょうどそれは、弟へのやましさから逃れるために戦場に居場所を求めたセリアズと同じである。二人は言葉を交わさずとも自分達が似た者同士であることを直観的に悟り、敵同士とはいえ親密感を覚えてしまったのだろう。
正しい者はいない
また、原作がイギリス兵によって描かれたものにも関わらず、映画では単純な一方通行の戦争体験として語られていないところも評価出来る。日本兵の慣習や、日本人の宗教観がかなり戯画的に描かれているが、イギリス軍捕虜たちの視点が絶対化されているわけでもない。日本兵は体重が軽いとジャークを飛ばし合ったり、剣道の光景に薄気味悪く反応していたりと、日本人や日本文化に対するイギリス人の差別意識や優越感の表れのようなものも、さりげなく描写されている。全体として振り返ると、極めて多角的に描かれた戦争映画であるとこに気づく。
絶対的な正義など存在せず、ただ戦争の勝敗によってのみ、何が正しいか、どちらが進歩的か、といった価値観が決定されてしまうことをこの作品は示しているのだろう。実際に、敗戦前まではイギリス軍捕虜に対して横柄に振る舞っていた原軍曹(ビートたけし)は、日本が降伏した後に「戦犯者」として処刑されることになる。
評価
観終わった後に不思議な余韻を感じさせる作品だった。ただ最初に述べた通り、やはり演技の荒さがどうしても目立つため、同時にもったいない作品だとも思う。「伝説の名作」と謳われているがやや過大評価であると言わざるを得ない。
★★★★★☆☆☆☆☆ 5/10
(飯野広)
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