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巡礼路、大地を踏みしめて歩いたことの確かな記憶。

今日、NHK BSプレミアムで「聖なる巡礼路を行く 〜カミーノ・デ・サンティアゴ 1500km〜」という番組が放送されていた。

全三回放送のこのシリーズは、1ヶ月ほど前すでにBS8Kの高画質でヨーロッパの大地、青空、草花、石垣、教会、巡礼路を美しい色合いそのままに視聴者に届けていたらしい。反響があったことからBSプレミアムで放送、初回が本日だった。フランス国内のLe Puy-en-Velay(ルピュイオンバレー)からSaint-Jean-Pied-de-Port(サンジャンピエドポー)のいわゆるルピュイの道が第一回目。フランスSaint-Jean-Pied-de-Portからピレネー山脈を超えてスペインに入境し北スペインの都市を経てSantiago de compostela(サンティアゴデコンポステラ)へたどり着くフランス人の道が第二回、三回と続く。

「なぜあなたは巡礼をするのですか?」

この質問はたびたび巡礼者に問いかけられる。番組冒頭でも同様の光景は映し出された。なぜ、どうして、そんな大変なことを。バスや電車を使えばサンティアゴデコンポステラにすぐにたどり着くものを、歩くことで達成しようとする動機はなんなのか。道の存在意義、あなたの歩く意味はなにか。逐一言葉で確認する。価値をひとに代弁させる。

わたしもその質問は他の巡礼者にたくさん尋ねられたし、何度も同じことを問われるわけで回答は簡潔かつシンプルになり、上手いこと単純化されることとなった。だから番組の撮影クルーにインタビューをされてもきっと、採用されないくらいつまらないものだっただろう。

「ただ単純に歩くのが好きだったから。次の予定まで1ヶ月近く時間が空いていたから。楽しい経験をしたかったから。いつかは歩いてみたいと思っていたから。」

クリスチャンでも信心深い人間でもない。それでも様々な国から訪れ、たまたま同じ日に同じ時間顔を合わせて、話をするという奇跡を体感する日々。偶然性の面白さは歩いて徐々に気づき始める。

実際、歩く理由はもっと奥深く底の、自分自身でも知らないところにあったのだろう。なにか人生のなかで損ねたものがあり、それを取り戻すための必要な過程、あるいはこの先の人生の伏線をあえて作っていたとか。この先、生き続けることで結論に出会えるかもわからないし、出会わないまま命を終えるのかもしれない。今の時点ではなにひとつ歩いたことの意義や意味の核心に触れたと断言できない。答えを知るのはこれからね、とも思っている。そう言えるほど曖昧で不明瞭だ。サンジャンピエドポーからサンティアゴまで800kmを歩いた動機。

失くしてしまったのです。 何をどこで失くしたのかも知らないまま/両手がポケットをまさぐり/道へと出向いていったのです。 石と石と石とが果てしなくつらなり/道は石垣をたばさんで延びていきます。 垣根は鉄の扉を堅く閉ざし/道の上に長い影を垂らして 道は朝から夕暮れへと/夕暮れから明けがたへと通じています。 石垣を手さぐっては涙ぐみ/見上げれば空は気恥ずかしいぐらい青いのです。 ひと株の草もないこの道を歩いていくのは/垣根の向こうに私が居残っているためであり、 私が生きているのは、ただ、/失くしたものを 探さねばならないからです。 (「道」 尹東柱著・金時鐘編訳)

道の途中の些細な記憶を思い返すと、幸せな出来事、自然の美しさ、あたたかなひととの出会い、美味しかった食事が脳内にあふれんばかりに浮かび、幸福はしっかりと明確にかつ手に取るように感じられる。できることなら再び経験したい、サンティアゴへ向かうあの時間をもう一度感じたい。

巡礼はなにも遠い世界のはなしではなく、特別なひとにしかできないことではなくて、すぐそばにある道。誰にでも門扉は開かれている。今日の放送でサンティアゴへの道を歩いたときのことを思い出したので、ここにしたためておく。「聖なる巡礼路を行く 〜カミーノ・デ・サンティアゴ 1500km〜」第二回の放送日は6月2日(火)午後8時から。


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