丸い心でいたいと願った、ご先祖様の話。

私の実家は、まぁまぁ田舎にあります。

昔から百姓をしていた家が多いため、各家の裏には、小さなお稲荷様の社(やしろ)が祀ってあります。もちろん家の中には、神棚もあります。

神社に行かずとも、神様が身近に存在していました。

さらに、

私の実家は、左隣の家と右隣の家と3軒で、裏の山に1つの小さな神様を祀っていました。

それは、昔に3軒で助け合う約束して作った神社のなのだそうです。

機械化が進んだ現代と違って、昔は地域で家族ぐるみで助け合わなければ、百姓仕事が回らなかったようです。

だから、家ごとの対立などは、死活問題になります。

お互いに助け合って、生き延びよう!

そのための「契り」になるように、

結束を固くするための「神様」なのだと思います。


私が小学生くらいのとき、

祖母とその小さな神社にお参りにいきました。

小さな鳥居をくぐって、ほぼ山みたいな急な坂道を登って、

小さな社にたどり着きます。

祖母が社の周りに落ちている小枝や葉っぱを払いのけ、

掃除をしながら、言いました。

「ここに、いっぱい丸い石が置いてあるだろう。」

社の下の空間には、隠れるように

いろんな大きさの丸い石が置いてありました。

「なんで丸い石が集めてあるか、わかるか?」

私は、わからないと答えました。

そのとき

祖母が教えてくれたことは、今でも覚えています。

心が、まぁるくなるようにだ。丸いと誰かを傷つけないで済むから。まるい心で要られますようにと、昔の人は願ったんだ。
丸い石を置いて、その気持ちを忘れないようにしたんだ。


心を丸くしたい。誰かを傷つけたくない。


20年近く経った今でも、

祖母から聞いたこの話をたまに思い出します。


昔は、人との関係性があったからこそ

農作業が成り立ち、

商売が成り立ち、

生きることができました。

だからこそ

人間関係を円満にすることに

気を配り

切に願っていたのだと思います。


どんなに願っても

人との関係というのは、

こじれやすく、誤解が生まれやすく

難しいものです。

だからこそ、神様を祀り、

「丸い心」を視覚化して、戒めた。


現代は、隣近所との関係性がなくても生きられる社会になりました。

人手がなくても、衣食住が賄えます。

だからなのか、

円満な人間関係を切実に願う行為が少なくなっているように思うのです。

もちろん、家族や夫婦、友人との関係は、トラブルなく、仲良くいられるようにと願う人が多いと思います。

そういう直接的な関わりがない人には、簡単に攻撃的になってしまう。

誰かを傷つけないでいたい

丸い心でいたい

そういう願いを日頃から持つことがとても大事で

その願いを持っていない人が

SNSでの批判や誹謗中傷を、簡単にしてしまうのではないかと思えるのです。


どんなに悪気がなくても、人を傷つけてしまうことはあります。

それでも、「傷つけたくない」という願いを持っていると

自分の心が少し尖って、出っ張っていて、

そこが引っかかってしまうのだと気づきやすくなります。


丸い石を見るたびに

「誰かを傷つけないように、丸い心を持ちたい」

と願う気持ちが、まずは大切なのだと思い出します。

祖母から、ご先祖さまから、教えてもらったメッセージを忘れずにいたいと思うのです。


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