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【ドイツ周遊】ルートヴィヒ二世の遺体が眠る棺と、謎の死を遂げた美しい湖を訪ねて


こんにちは。

ドイツ・ミュンヘンで留学生活を送る大学生、桜です。


ミュンヘンに住む私がドイツ史上最も好きな人物こそが、バイエルン王国の若き王となりノイシュバンシュタイン城を建設したことでも有名な、ルートヴィヒ2世です。

今回はミュンヘン近郊の、彼の“謎の死”に関連する場所をまわってみたいと思います。




夢想王ルートヴィヒ2世


私が現在住むミュンヘンを中心に栄えた王国、バイエルン王国の歴代王で最も有名と言えるであろう人物、ルートヴィヒ二世。


ノイシュヴァンシュタイン城を造ったことで知られる彼は若干18歳にして独立国家バイエルン王国の君主となり、
以降従妹との婚約破棄、逃避行のための築城への度重なる出費、政治を放棄し城に引きこもる間の数々の奇行などののち、
42歳にして精神病を言い渡され逮捕・拘束された翌日に主治医と共に湖で水死体として見つかりました。


端正な顔立ちと長身を兼ね備えたその美しい出で立ちと、当時は認められることのなかった同性愛の気質、その類まれなる感受性でワーグナーのオペラをこよなく愛し、フランスの太陽王ルイ14世を異常なまでに崇拝したロココ様式の懐古趣味、

彼の生きた証は彼が造った南ドイツの3つの城に余すことなく反映され、世界中の人々を惹きつけています。

狂王とされた彼の繊細な魂は、南ドイツの美しい湖で果て、ミュンヘンの美しい教会に今も眠っています。


彼が眠る棺


今回は彼のファンの一人として、そしてミュンヘンに住む者として訪れるのがマストであろう、彼が亡くなった湖と遺体が眠る教会に行ってきました。


まずはミュンヘン市内中心部、マリエンプラッツ近くにあるとある教会へ。

この市庁舎で有名なマリエンプラッツですが、パレスチナ問題を機にちょうどこの日くらいから、イスラエル国旗が市庁舎に掲げられ始めました。

ナチスの歴史を持つドイツはこの時期至る所でイスラエル国旗が見られ、同時にそれに対抗するように至る所で行われるハマス支持の集会や行進。

市庁舎前を通るときはいつも早足になってしまいます。


やってきたのは聖ミヒャエル教会。
16世紀にルターの宗教改革にカトリック側が反抗した「反対宗教改革」の一環で建てられたルネサンス様式の教会です。

その名は大天使ミヒャエル(よく悪魔と戦っている姿で描かれる、神に最も近い天使とされる)そのまま。

中は真っ白で分厚い天井と壁が特徴的な、ザ・古典主義の教会。

写真向かって右前の絵画の手前に地下へと続く階段があり、学生の私は入場料1ユーロ(普通の人は2ユーロ)で入ることができるのが、

長らくバイエルン王国を治め続けたヴィッテルスバッハ家の人々の棺が納められた墓所です。

地下だからだけではない冷たくて重い空気を感じながら、棺を見て回りました。

こんな赤ちゃんの棺も


下調べ全くなしで来たのですが、驚いたことにオットー一世の棺も。

王になった人物の棺には王冠の装飾があります


彼の顔がこちら。

誰かに似ていると思いませんか?


そう、今回の主役であるルートヴィヒ二世の血の繋がった弟です。

左:ルートヴィヒ二世、右:オットー一世

兄のルートヴィヒが亡くなった後、弟の彼は王位を継ぎますが、
精神異常をきたす人物が生まれると囁かれたヴィッテルスバッハ家の生まれとして例に漏れず、のちに精神病の症状が現れたと言います。(ルートヴィヒの代理で普仏戦争を戦ったからであると言われています)

そしてひと際目立つ装飾と厳重な囲い、そしてその体格に見合うだけの大きさを持つ棺が。

これこそがドイツ随一の、さらに言えばヨーロッパ随一の夢想王・ルートヴィヒ二世の遺体が今も眠る棺です。


亡くなった直後

身長191センチ、体重120キロ越えの巨体が眠る棺は、その大きさによるものではない何か不思議なオーラを醸し出していました。

棺の上には誰かが供えたであろうまだ新しい花が。



“謎の死”を遂げた湖へ


続いて向かうのは、ルートヴィヒが主治医のグッテンと共に亡くなったとある湖。

ミュンヘンからは、南方面へ電車とバスを乗り継いで1時間ほど。

南ドイツのバスの案内音声は、小さな子供の声なのでとても聴き心地がいい
Grafstraße=お墓通りで下車

ルートヴィヒ王通り、ヴィッテルスバッハ家通り、お墓通り…
ルートヴィヒ二世の要素満載の交差点を通ります↓

ちなみに、彼が逮捕されて幽閉されたベルク城は今は私有地となっていて見学できず・・・

湖へ近づくと、ルートヴィヒの似顔絵が看板に。

追悼場所へと続く小道の脇には、ルートヴィヒを紹介するパネルも。

やっぱり顔が整いすぎてる。(ちょっと南野拓実?)


メモリアルチャペル


ここは、ルートヴィヒ追悼のために彼の死後建てられた教会。

中に入ることはできませんでしたが、鉄格子の間から中を覗くことはできました。

ルートヴィヒの好みとはおそらくかけ離れた、ものすごくシンプルで殺風景な教会。

せめて彼が愛したワーグナー作品のモチーフが一つでもあればなあと思ってしまいました。


追悼の十字架


そしてこの教会は、とある場所を見守るようにして岸に佇んでいます。

その場所こそが、ルートヴィヒ二世が水死体で見つかった場所であり、追悼の十字架が立っています。

下まで降りてみました。

静かでどこまでも透き通るような美しい湖のほとりにその十字架はありました。

ルートヴィヒは拘束された翌日に医師と散歩をすると言って外に出て、その後両者ともに亡くなった状態で発見されるまでの目撃情報がないため、実のところの死因は分かっていません。

医師の首には絞められた跡があり、ルートヴィヒが医師を殺して逃げようとしたのか、心中しようとしたのか、はたまたかつてシシイ(オーストリア皇妃)と語り合った二人の秘密の場所・ローゼンインゼルへと泳ごうとしたのか…

真相は闇の中、いや、それのよりも深い湖の底です。

左側のハートがローゼンインゼル


最後に、帰りに対岸の駅の裏から眺めた湖の景色を。

ワーグナーのオペラ『ローエングリン』に登場する白鳥の騎士に自らを重ね合わせ、ノイシュヴァンシュタイン城=「新白鳥城」を建てた指折りのワグネリアン・ルートヴィヒが死んだ湖に、

彼の化身かのように身繕いに現れた白鳥にも出会うことができました。


ミュンヘン近郊にはほかにもルートヴィヒ二世ゆかりの城などが存在しますが、今日のはその中でも絶対に行っておかなければならない場所でした。

彼が愛したバイエルンを、私もゆっくり知っていこうと思います。


それではまた!


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