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#ジガルタンダ・ダブルX 1975年
#ジガルタンダ・ダブルX は1975年が舞台。それでクリント・イーストウッドが主役のマカロニウェスタンみたいな映画を作るというのは、ひょっとしてこれも『炎』が念頭にあ…
『ベイビーわるきゅーれナイスデイズ』
今や日本の『ジョン・ウィック』として(?)名高いこのシリーズ。でも私密かにヒロインルーツは『ポプテピピック』にあるんじゃないかと睨んでる。ポプ子が(髪が)短くて金髪のまひろ、ピピ美が(髪が)長い方のちさと。社会性に欠けてる辺りもよく似てる。
『ベイビーわるきゅーれナイスデイズ 』と『犯罪都市PUNISHMENT』 この二作には共通点がありまして、主役がずっと顔出しのまま相手と接近戦を戦い抜くんで
#ベイビーわるきゅーれナイスデイズ #ベビわる感想投稿キャンペーン
このシリーズは日本社会の縮図を描いてきてたんだけど、3作目にして遂に「人間は社会的動物である」という本質に辿り着いちゃった。社会性を身につけず単独で行動する者は、社会性を備え集団行動できる者に勝てないという明確な図式。
社会性を身につけず単独で行動する者って、ワンマンアーミーとはまた違う。まあ少なくともフィクションでワンマンアーミーが主人公の場合は「誰かを守る」とか「復讐する」とか、背景にちゃん
『GOAT』5 ジーヴァンとメノン
『GOAT』はある意味社会性の有無がテーマだと思ってる。何故ならガンディーとジーヴァンの違いがそこにあるから。ジーヴァン、普通に学校行ってないでしょ、あれ。メノンに裏社会に特化して育てられたから。その英才教育は確かに見事だった。躊躇無く身近な人を殺せるほどに。
あれはジーヴァンがメノンの実の息子じゃないからできたことなんだと思う。メノンは家族が存命だったら実子は欧米に留学させるなどして高等教育を
#ジガルタンダ・ダブルX 1975年
#ジガルタンダ・ダブルX は1975年が舞台。それでクリント・イーストウッドが主役のマカロニウェスタンみたいな映画を作るというのは、ひょっとしてこれも『炎』が念頭にあったのかな? 或いは『炎』が一世を風靡する前に封切られたという感じ? ちなみにワシントン条約の発効も1975年。
1975年というのはベトナム戦争終結の年でもあってね、インドだけじゃなく世界中がターニングポイントだった。
当時すで
ジガルタンダ・ダブルX レイsirは何を思ったのか
全てのくびきから解き放たれたはずなのに俯いたまま顔を上げる事ができないレイsir。涙の玉が大きくなってこぼれ落ちるまで、彼は何を考えていたのだろう。使命を果たしたはずなのに喜べない自分に戸惑っていたのか。
かりそめの姿である映画監督の役に身を入れるきっかけとなったのは、シーザーが自分をこんな窮状に追い込んだ張本人と知った時。レイsirの怒りは激しかった。シーザーが濡れ衣を着せたせいで、レイsir
ジガルタンダ・ダブルX 最初に見た頃の叫び
英語字幕の初見時心の叫び
頭が痺れる程面白かった! まだ2月なのに今年の最高傑作見ちゃった気分。なんだこれ、凄すぎる。普通の映画7~8本分見た感じ。英語字幕、上段しか読めない事も多かったけど、映像の圧倒的なパワーと展開の上手さで最後には話がちゃんと全部つながって戦慄のクライマックス
午後9:37 · 2024年2月24日
#ジガルタンダ 的展開を前半部分でやり終えて、そこからが真骨頂。これス
『サチン』5回も見ると感想も変わる
一回目の感想
今日はこの『よよよ』、じゃまくて #サチン を見たんですが、なんというかよよよな感じで、家で #ジッラ 見てようやく気を取り直したところです。はー、ブルーレイが発売されて、買っておいて良かったです。
二日目
『サチン』はモテ男とモテ女の意地の張り合いの恋模様。一般人が参考にできる所が何にもない。しかし美女の苦労はよく分かる。誰もが自分の顔しか見ないで告白してくるようで、もっと内
ジガルタンダ・ダブルX 芸術は蠱
以前『ジガルタンダ』 を見た時、主役のカールティクは恐らく監督自身の投影なのだろうと思った。すなわち映画を撮るためなら何でもやる男である。あのラストは彼が名声を手に入れて変わったわけではない。あれは元々手段を選ばない困った男なのだ、と監督は自嘲も込めてカールティクを描いているのだと思う。
それと同時に最後にあのシーンを入れることで物語を「セードゥの改心物語」ではなく、ヒネリとパンチの効いた異色作
ジガルタンダ・ダブルX これは愛の物語
ジガルタンダ・ダブルX これはシーザーとレイsirの愛の物語。芸術を糧として激しく燃える純粋な熱情。それは互いにシュートをし合うシーンに象徴される。自分の得物を手に構え、双方一歩も引かずに見つめ合うあれが愛以外のなんだというのだろう。
二人とも異性愛者としてハッキリ描かれているからそこに肉体的な欲望はない。あったとしても、それはインド映画ではまだ描かれないだろうし、描いて欲しくもない。だって彼ら
#ジガルタンダ・ダブルX 私にとっての頂点は
私にとっての頂点は、森から抜け出たキルバイが未踏の緑を踏み分けて跡を残しながら荷物を次々に捨てていき、やがて立ち止まって動かなくなるシーンだった。彼が初めて自己と真正面から向き合う瞬間。 シネマに魅入られた事を心の底から悟る時。その蠱からはもう抜けられない。
別の記事でも書いているけれど、その時のキルバイの、SJスーリヤさんの美しさは、外見を構成するすべての要素を貫いて内面の美しさが輝いていた。
『エイリアン・ロムルス』
シリーズ通してのファンが作った最高の二次創作だと思う。今後こういうタイプの続編が増えるんだろうな。別に問題はないんだけど私の口調がシニカルなのは、そこに監督や脚本家自身が訴えたいものが見当たらなかったから。吹替一度しか見てないから見落としてる可能性もあるけど。
オリジナリティーがないわけではない。物語部分のテーマにあたる合成人間と人間の関係性とか。でもこれは上辺に過ぎないと思う。深みがないから。
『GOAT 』3 カリヤン&シュリーニディー
パタヤのシーンでカリヤンの行動に一瞬「あれっ?」と思ったシーンがあった。その時は理由が分からなかったのだが3回目で分かった。彼は目の前から逃げる者をろくに見もしないまま背中から撃ったのだ。ガンディーならそれはしない。
今にして思えばそれはカリヤンの性格設定であり、同時に伏線でもあったのだろう。
冒頭のケニヤを走る列車の中での銃撃戦で印象的なシーンがある。
ガンディーが自分に向かって来た男の
『GOAT』2 ジーヴァン&シュリーニディー
ところでジーヴァンにはそばに居る人の考えを読めるという特技がある。恐らくそれは限界状況で生き残るために彼が身につけた能力なのだ。相手の考えを先に読み取り望み通りに振る舞う事で、機嫌を損ねるという危機を回避するのだ
映画の中でその能力が発揮されるのは、何故かジーヴァンが殺そうとしている相手に対してだが。万が一にも相手を逃がさないために使いつつ、さらに相手に逃げ道はないからもうあきらめろと促してる風