#ジガルタンダ・ダブルX 1975年
#ジガルタンダ・ダブルX は1975年が舞台。それでクリント・イーストウッドが主役のマカロニウェスタンみたいな映画を作るというのは、ひょっとしてこれも『炎』が念頭にあったのかな? 或いは『炎』が一世を風靡する前に封切られたという感じ? ちなみにワシントン条約の発効も1975年。
1975年というのはベトナム戦争終結の年でもあってね、インドだけじゃなく世界中がターニングポイントだった。
当時すでに特撮映画はあったけれどストップモーションか着ぐるみかで、まあ一目で作り物と分かる映像だったのよ。1977年に『スターウォーズ』が登場して映画史を塗り替えるまではさ。因みに『オーメン』がホラーを新しくしたのは1976年。1975年ってギリギリ古い世代の映画なの。
スピルバーグの『ジョーズ』が1975年。ここに出てくるサメはアニマトロニクスがほとんどなのだけど、映画見ている間は本物としか思えない。でもまあ、サメだから。普段人が見慣れているものじゃないから。 というわけで1975年は人は映画の映像に「作り物では?」という疑念はほとんど差し挟まなかった。
ちなみにインド映画史上に燦然と輝くと言われている『炎』が1975年。主人公の二人の服装を見るとまさに70年代って感じなんだけど、映画の雰囲気はマカロニウェスタン。実際に『荒野の用心棒』が元になっているそう。 #ジガルタンダ・ダブルX ではすでに古い作品としてクリント・イーストウッド映画が上映されていたけど、人気あったんだな。
ラジニカーントがタミル映画界を席巻するのも75年だそうだから、たぶん本当にターニングポイントになった年なのだろう。
レイsirの映画はインド映画史に残った事にされるのだろうか、或いは抹殺されたのか……。
おまけ(ちょっっぴりネタバレ)
マカロニウェスタンの代表作、ドル三部作の中では一番評価の低い #夕陽のガンマン が劇中で使われている理由は、主人公のシーザーの台詞にある。クリントが教えてくれたんだ敵にもチャンスを与えてやるべきだとな。
字幕の厳密なコピーではないが、大体そういう意味だったはず。要するに、丸腰の相手は打たない、ということである。
でも、それは、『ジガルタンダダブルX』の主人公であるシーザーの解釈なのである。
そこで『夕陽のガンマン』のタミル語字幕がどれだけ正確に本来の意味を伝えていたのかは分からない。そもそも日本人である私が見ているのが英語版の日本語字幕で、イタリア人である監督のセルジオ・レオーネが意図した本来の台詞の意味がどれだけ伝わってるかなんて、タミル字幕とどっこいどっこいなのかもしれないし。
でも『ダブルX』に関してはそれは問題にならないのよ。何故なら重要なのはその映画を見てシーザーが何を受け取ったかであり、それが心に響いたからこそ彼が何を行ったか、ですからね。
だから『夕陽のガンマン』を見たかどうかは『ダブルX』という映画の素晴らしさを味わうためには関係のない情報なの。
ん~、でも見てしまうとなんとなく気づくこともあってさ。
だからフセッターで書くんだけど、当然両作品のネタバレですからね。
『ダブルX』でも聞こえてくるけれどオルゴールの調べ、あれは懐中時計の蓋をあけると流れる仕組みになっているもの。その懐中時計を持っているのは悪党の親玉インディオで、彼が対峙した相手に持ちかけるのよ「この曲(オルゴール)が鳴り終わったら抜け」と。それで銃撃戦で勝負して相手が勝ったら自由だと、いかにも自分が公平で心が広くて見識豊かな立派な人物であるかのように振る舞ってるんだけどそんなの体の良いうそっぱちでさ、自分は聞き慣れてるからオルゴールの音がどこで終わるか最初っから知ってるわけよ。でも初めて聞く相手にはオルゴールがどこで終わるかなんか見当つかないのよ。だってオルゴールってゼンマイ仕掛けだから、次第にゆっくりになっていくんだけど、その特性上、終わったかなと思ってもそこが休符だと次の一音が入る場合があるからね。
長年その曲を聴き続けてきたインディオにとってはどこで抜けばいいのかわかりきっているけれど、初めて聴く者には「終わった? まだ? もう終わった?」ってなるのが必須なわけ。そこでモタモタしてる間にインディオに撃ち殺されると筋書きは最初から決まっているのです。
そっ、インディオって徹頭徹尾卑怯な奴なのよ。そのくせ自己アピールのには長けた奴なのね。
そのオルゴールをクリント・イーストウッドが演じる名無しの男が使うのって、自分のためではなくインディオとモーティマー大佐の一騎打ちのためだったんじゃなかったかしら???
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