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アイドルのファン観察日記(頑張って書いた初めての記事なので最後まで読んでくれるとすごく幸せになります)

私の周りには、実在したり或いは数々の人工的素材から合成されたりしたアイドルを想う層がおり、その事自体はありふれたことでどうでもいいことなのですが、本能的にそのような精神を持ち合わせていない私は彼らを観察することしかできません。

その観察を通して感じたことをここに述べます。

もしアイドルに興味を抱く方がこの記事、それもとても読み辛い文章で回りくどい貧相な語彙で構築された記事を最後まで読み通してくださった場合は、自らが周りからどのような色の視線で認識されているのかを知る一助になるかもしれません。

「そんなのどうでもいいよ」などと感じた方は正常極まりないと断定できることは確かですが、人は同種の人間を周りに配置したがるものであり、なかなかコミュニティの外側からの視線を把握、理解する機会は中々ないと存じておりますので、このような記事もあっていいような気もします。

そして今かつてない長い前置きを深い溜息と共に完了させた私は分かり切った需要の有無から目を反らして本題に少しずつ着手していきます。

私が彼ら(この冗長な流れには我ながら少々脱線が過ぎた気がしており、その自戒の意を込めて彼らが「アイドルを想う層」であることをここに記します。)とそれを囲む構図について発言するまえに、まずアイドルの定義を確認しておきましょう。

いろいろ(私にとって限りなく都合がいいようにではありません)調べたところ、様々な意味を合わせ持つこの言葉ではありますが「疑似恋愛」という概念は特に近年の「アイドル戦国時代」と称されるアイドルについて語る際に無視することはできないのではないかと言えます。

そしてもう一つアイドルと言われるように文字通り崇拝に近い扱いを時に物にする存在の彼らは総じて「容姿がすぐれている」という確かな特徴を兼ねています。ところで本来の意味での宗教的な偶像のあれこれの顔に当たる部分もこの特徴が共通しているような気がする、などと発言するのは罰当たりでしょうか。

ここらで曖昧模糊とした、少なくともこの記事における定義の段階を終えたことを宣言します。既に溢れんばかりの異議を私に浴びせたいと感じた方は、ブラウザバックしてくださっても構いません。ご精読ありがとうございました。

そして私が次に触れるのは、このアイドルという商法を助長しているファンと呼ばれる存在に対する言及です。それらは信者と揶揄されることもあるそうです。なんと誇らしい称号でしょうか。(これは純粋な私の心から生じた完全なる印象を、残すことなく文字に落としこんだ文です。)

先ほど触れた疑似恋愛というワードを思い出していただきたいのですが、何にしても疑似的な存在に頼らざるを得ない者に限って本物の恩恵を授かる可能性はどこまでも0に等しいのです。なぜなら、疑似的な全ての存在はその様な者を救うことを目的に造られたという主張はこの世を支配する人間感情に基づく理のいずれとも矛盾を生じさせないためです。

直前の部分において、私は努力をすることで意図的に濃度の高い衝撃的な毒を薄めていましたが、このままでは埒が明かないと判断するに至ったので、以下に上記の文をより可読性の高さを目指した単語によって紡がれるよう言い換えた文を示します。

「アイドルという疑似恋愛の恩恵を受ける者(ファン)は、顔面を形作る遺伝子に恵まれたものが支配する本物の恋愛市場の恩恵を受けられないような身体的特徴を抱える者達であるのでは」

また、繰り返しになりますがアイドルは顔が恵まれています。 加えて若い時代の武器ともいえる輝かしい容姿を各種メディアを通して振りかざし多くのアイドルは適当に小銭を稼ぎ、老けてきたら適当なアスリートや一般男性(彼らも総じて顔面の優秀さを特徴として掲げているのでしょう、調べるまでもなく言い切れる程の自信はありました)に媚び寄って平和に暮らします。

これらの諸観察結果から推測されることは、、

そうです、「ファンは自分たちを振るい落とした恋愛という市場を支配する存在を積極的に手助けしている」のです
「あたりまえじゃん、、、」と困惑してしまっている方は申し訳ありませんが、私がこの記事でこの構図を確かに発見したことを片手間で祝福し、これから示す端的にその構図が抱える謎を見て下さると幸いであります。

この構図が抱えている謎は、この構図がなぜ成り立つかを解明する一つのカギに成り得ることを私は僅かな自信と共に確信しています。 それは「恋愛という市場の外側へ追いやられた存在を、その市場を土台にした商法への加担を促す構図に何故嫌悪感を露わにしないのか」という点です。

バレンタインでこのような市場を思いのままに操る存在に加えて、次元を超えて想いを告げる者達とそれに準ずる層にチョコレート会社が自社の製品の購入を露骨にアピールしている様子には私の観測する範囲では反感が多々ありました。この事例との違いは何なのでしょうか。

そんな利己的な構図は木っ端微塵に破壊してしうことを私は彼らにオススメしたいと思わずにはいられません。

私はこの謎に自分なりの答えすら与えられず、かといって彼らに宣戦布告と捉えられるのを恐れるあまり直接訪ねることもためらわれます。

これについては次の機会までによく考えておくことにして、今はこの観察日記を締めることに注力します。

このような思慮に欠けたとも思われる可能性を孕んだ記事を最後まで読んでくださった方が仮にいましたら、私は全力の謝意を示します。ご精読本当にありがとうございました。






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