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ジャーナリストの元祖、ルカ

ルカは異邦人であるが、パウロの伝道を受けて「クリスチャン」となった。

パウロに同道して、パウロや初代教会の面々が引き起こす(その実は、神が引き起こす)さまざまな出来事の目撃者として、それを記録し、またそこに刻まれた言葉を書き残した。空中に散逸してしまわないように。

やがて、自分が出会う前のパウロの出来事も訊かせてもらうところとなった。

その取材は当然のこととして、パウロよりもっと前から主イエスという方に従い、目撃・体験した人々に話を訊かせてもらうこと(こんにち的に言えば取材)になっていった。

21世紀の聖書学者、リチャード・ボウカムは言う。

福音書が書かれた時代、またあの地域においては、別段ユダヤ・キリスト教系の文書でなくても、その出来事、事件の只中にいた当事者の書く「歴史」が最も価値ある正しいものと目されていたと(例 ユダヤ戦記)。
その次はその目撃者、次は目撃者から直接聞いた彼/彼女の弟子、その次がようやく、そういう風に「書かれた文書」に依拠したものとなる。

(ボウカムは当時の中近東における、残された「書いたもの」を、領収証や墓碑銘に至るまで調べ、固有名詞の使われ方の問題の徹底究明から、この結論に至った。ボウカムの説は、リベラル陣営、福音派陣営両方で広く支持されている)

ルカは、イエスを巡る出来事を体験した人々の話を取材し、その全てを書く必要もなく、羊皮紙は高価なものだし、大事なことを慎重によりわけ、全体構想を立てて筆を進めた。

「使徒行伝」とこんにち呼ばれているのはルカが、パウロとの出会いがあったので書く「ことになった」作品だ。
更にルカは、イエスのおかげでまことの神につながれた感動と感謝による衝動止みがたく、パウロ「出現」の前の出来事、すなわち、イエスの体験者・目撃者の話をも意欲的に取材した。それに基づき、イエスをメシアと信じる異邦人の立場に立ってまとめた作品が、こんにち「ルカの福音書」呼ばれているものだ(学術的にも私はそういう見解です)。
それをまとめるに、そのことを乞う異邦人スポンサーもいたことも記されているとおりである。

「使徒行伝」の方が「ルカの福音書」の続編ということになったわけだ。

ルカは当時の「歴史」書の習いに従って、まだ存命中の人物、あるいは没後であっても、その記憶が十分に生々しい人々の証言については、彼らの実名を上げて記した。

ヤイロ然り、マリアとマルタ然り、ザアカイ然り、クレオパ然り。
彼らは、おそらく初代教会の押しも押されもせぬリーダーで、尊敬され信用されていたのであろう。

イエスの母マリアの話も、ルカは直接本人に、イエスが赤ん坊の時、宮参りをした際の出来事を訊いたのではないかと私は思っている。

アンナという、若いマリアと出会った老女の話は、異例のことながら、その年令や、結婚歴、幸福とは言えないが信仰を練り上げさせられてきた境遇の簡潔な経歴紹介とともに、永遠に刻まれることとなった。
ルカにとっては、それは書き損なうことのできない大事な話だったのである。

まことの神を、その身(境遇)をもって体験し、証ししてきた(それは多くの場合、自分たちの失敗、愚かさを通して)神の民ユダヤ人らの信仰の息長さ、待ち望みの不思議なまでの信念の深さに敬意を払い、文に刻まずにはいられなかったのだ。

私も、クリスチャンジャーナリストのはしくれとして、「いま」の日本のキリスト教会に、また広く世間に、キリスト教を巡って展開された出来事、またキリスト教の目から把握されたさまざまな出来事を書いてきた。

それはノンフィクションである。自分が渦中にあって体験したこと、また直接の目撃者に取材して書いている。

ルカの時代は写真こそなかったが、その取材、記事執筆の営みは、本質的に同じようなものと思う。

それは自分たちの時代に、神が私たちにしてくださった恩寵を、感謝して遺しておこうという動機に深く根ざしている。

こちらは使徒ヨハネについて記しています▼


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