後半02

自分を癒す「毒親」の取り入れ方(2)

「 語り」は私たち子どもを救う手段にもなりえる。
ではどのように語り、どのように救いを獲得すれば良いのでしょう。

前半はこちら。未見の方は併せてどうぞ。

目次
・救いのセラピー
・レッテルを貼ることへの抵抗
・自分自身に語りかける
・癒しを獲得するための語り
・さいごに

【救いのセラピー】 

セラピーと聞くと、カウンセリングルームで専門家と向き合うイメージがありますが、決して特別なものではありません。
語ること自体がセラピーの役割を果たしているので、語る相手はカウンセラーでも、資格を持っていない人でも構いません。

もし、あなたにとって「毒親は語れない」(前半記事参照)のであれば、自分に向けて語る形式でも良いのです。
(※ただ、カウンセラーに相談したからといって、誰もが自分を癒す物語を獲得できる訳ではありません。この問題については、また後日記事をアップします。)

例えば、自身の親が「毒親」では?と悩みを抱えてしまったなら、
本やブログ、SNSを活用し、同じ体験をした人に触れることでしょう。
ブログやエッセイ、コミック形式と現代では様々な発信方法があります。

自分に合う発信方法で語る。つまり、語ることは書くことでも描くことでもあり、必ずしも相手がしっかり見えている必要はないのです。

「毒親」の物語を「語ること」。
どんな方法でも、物語として整理することでそれ自体がセラピーとなり、あなたを癒すのです。

【レッテルを貼ることへの抵抗】

本当に何度も重複して申し訳ないのですが、重要なことなので念押しさせてください。
私は「毒親」をないものとしたいわけではありません。

私が違和感を感じるのは
あたかも「毒親」を「誰にも共通のもの」として扱うこと。

「毒親」はこんな人だ、という一文をよく目にします。
しかし、誰から見ても毒親である、なんて簡単にレッテルが貼られるものではありません。
きっと人間だから相性もあり、もしかすると友人であったらうまく付き合えるかもしれません。誰かにとっての悪や善は、また誰かにとって反対の意味を持つかもしれないからです。
それくらい複雑で、人によって受ける傷の大きさは違うのに、このような前提があるからこそ、子どもが傷つけられることもあるのです。
このレッテルは、「私の親には当てはまらないから大丈夫」と、例え傷つけられていても子どもが自分の気持ちに蓋をする原因の一つでもあります。

もし「毒親」について、違和感を感じている方がいれば、きっとそういうレッテルを親につけてしまう罪悪感があるからではないでしょうか。

親から辛い思いをさせられた、もしかすると自分の親は「毒親」かもしれない。けれど、これってよくあることなんじゃないか、自分が特別しんどいと感じているからじゃないか、それを親のせいにしていいものか。愛があるから、そうしてくれたんじゃないか。理解ができない自分がおかしいのでは。

「毒親」という、とてもインパクトのある言葉に惹かれつつ、それを認めてしまうと失うものがあるのではないか。
だからこそ、語るのをためらう方もいるでしょう。

しかし、これでは自分を癒すための語りは難しいのです。
なにしろ物語には明確な役割が求められる傾向にあるからです。

その点「毒親」と「子ども」は、誰からみても関係性がわかりやすく、背景が透けてみえるので、物語が紡ぎやすいのです。
 
【自分自身に語りかける】

「毒親」は特定の実体を持つものではありません。

そこにあるのは、親と子の物語として、整理することで得られる開放感など、自分を癒すための一つの方法としての「毒親」。

「毒親」は私たちにとって、親と向き合うための一つの剣であり、また自分を守る一つの盾のようなものなのです。

このワードに出会うことで、今まで言い表せなかった感情の行きどころが見つかった方も多いことでしょう。私もその一人です。

だから、親との関係性に悩んでいて、「毒親」というワードを使うことが少し躊躇われるのであれば、自分なりの「毒親」に代わるものを考えてみるのも良いかもしれません。
「病親(やみおや)」とか「激親(げきおや)」とか。
本当になんでも良いんです。

もちろん、しっくりくるワードが「毒親」であれば、そのままで大丈夫。「毒親」を使用して物語を紡ぎましょう。

【癒しを獲得するための語り】

過去から現在まで、自分だけの物語として親を語ることは正直しんどい。
思い出したくないこともあるかもしれません。

でも、正しい物事でなくていい、覚えている限りでいい。

誰かのものさしでなく、自分の言葉で抱えている問題を語ることは、自分自身の思いを整えます。

誰かに語っても、誰にも語らなくても良いのです。
ツイッターでも、個人的な日記でも構いません。

物語化はバラバラであったピースを繋げます。
整理することで、現実があなたにとってわかりやすく立ち上がり、理解の易しいものとなります。
それがあなたを救うものとなるかもしれません。

そうして晴れやかな気持ちを少しでも手に入れられたのならば、親の存在があなたに今以上にのしかかることはないでしょう。

「毒親」、またはそれに代わるワードを持って、自分の心を癒す。
それが自分を癒す、「毒親」の取り入れ方なのです。

【さいごに】

「毒親」というワードに反応してしまうなら、きっと心が深く傷ついている証拠。
蓋をせず、自分が受け入れやすい形を考えてみることで、心が違ってみえることでしょう。
愛というワードを使い自分を傷つけないよう、また他人を傷つけるために使用せず、語りやすい癒しの物語を手に入れて下さい。

具体的なストーリーの作り方や、「毒親」に代わるワード案についての記事は、ご要望があれば執筆します。
なくても書くかもしれません。笑

今日は金曜日。
一週間の一区切りな方も、明日もお仕事の方も
良い金曜日の夜をお過ごしくださいね。

まとめ
・セラピーは誰かに話すことだけでなく、書くことや描くことでもある
・自分にとって受け入れやすい形で物語を紡ぐことが癒しに繋がる
・「毒親」というワードは、自分を守り戦うためのもの

かる

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