見出し画像

ショートショート『ATMトロフィー』

 「あなた、退職記念のATMトロフィーはどうするの?」

妻からそう聞かれ、今年の春、長年勤めていた会社を定年退職したので、会社から記念としてトロフィーをもらえるという話を思い出した。退職してからも私的な挨拶回りがあったからすっかり忘れていた。『ATMトロフィー』は最近できたサービスで、AIがその人の人生を分析し設計した形を、3Dプリンターで立体化するというシステムで、トロフィーはコンビニにあるATMで手軽に作れるとのこと。

 トロフィーは一般的に、試合などで優勝者に授与されるものだが、起源は古代ギリシャ時代まで遡る。語源は「Tropaion(トロパイオン)」といって元々は戦利品を意味し、勝利の女神に祝福された勝者を讃える儀式的な意味がある。日本でも戦後の高度経済成長期の頃から馴染み出したらしい。昭和から続く我が社の社風にぴったり合うようで、今は社長職を退いた会長の一声で採用されたそうだ。もう「我が社」ではなく「元いた会社」なのだが。

「吉田さんの奧さんに聞いたんだけど、どうもトロフィーについている勝利の女神像がねー、奥さんにどこか面影があったらしいのよ。」

「へーそうなんだ。」

「それでまあ、吉田さんの惚気話聞いてたら、『あなたの旦那さんのトロフィーを見てみたい』って流れになってさー。」

「ああ、わかった。コンビニ行ったついでに作ってくるよ。いつか行こうと思っていたから。」

女性同士というのは、そういうとこで張り合うのだろうか。

「じゃあ、牛乳切れてたからコンビニで買ってきてよ。暇でしょ。」

 退職してから、本当に暇だった。俺もご他聞にもれず、企業戦士さながら大企業に就職して定年まで仕事ばかりしてきたから、他に人付き合いなど作ってこなかった。すでにテレビの前が指定席になりつつある。対照的に、妻はお稽古事や近所づきあいに忙しい。俺が動くしかない。

 妻に促されて、近くにできた新しいコンビニへ足を運ぶ。自動ドアを通って右手奥に設置されたATMの前に立つ。新しいサービスだからか、トロフィーの作り方を懇切丁寧に書枯れた説明がATMの上にイラスト入りで表示されていた。そのステップに従って、ボタンを押していく。料金は会社持ちのようだ。会社からもらったキーワードと名前を入力する。そして、最後にスタートボタンを押した。カップ式自動販売機に似た形をした3DプリンターはATMと連動し動き出した。静かな音を出しながら少しずつ形ができてくる。その過程は取り出し口越しにずっと見てしまうような滑らかな造形美だった。時間は10分くらいかかったが、赤いランプが3つつけば取り出し口から出せる。

 結論から言うと、トロフィーは妻が言っていたような勝利の女神像のあるデザインではなかった。

「これでは妻にがっかりされるなあ。どうしよう。」

長年連れ添った結果がこれでは、他の奥さんにも話せないだろう。ふと、ATMの横にチラシが置いてあるのに目が止まる。『ATMトロフィー修理します』と目立つ色で書かれている。修理どころでは追いつかないと思うが、電話してみると丁寧な対応のカスタマーサポートで、店舗も近くにあるようなので、コンビニに行ったその足でいってみることにした。

 「いらっしゃいませ。ATMトロフィーの修理ですね。トロフィーはお持ちいただけましたか?」

「これなんですが、女神像がなくて困っているんです。」

「ああ、なるほど。大丈夫ですよ。修理費は別途かかりますが、全く違うデザインにもできます。」

「そうですか、よろしくお願いします。できれば、勝利の女神像を妻の顔に似せてもらえますか。」

そういって、妻の画像データが入っているスマホをカバンから出した。

「はい。そういうご要望も中にはあるので、専属デザイナーがプログラムを新しく組むようにしています。2、3日お時間いただいておりますがよろしいでしょうか。」

時間がかかるのは仕方ないのでお願いしよう。

「私のトロフィーってちょっと変わってますよね。」

「人生が人それぞれなように、トロフィーも人それぞれですから。ご存知かもしれませんが、トロフィーの語源となった「トロパイオン」は、古代ギリシャ時代に戦争の分捕り品を記念柱にしたものなんです。持ちやすいように、ということもありますが、大抵塔の形を模して作られます。」

「古代ギリシャ時代からあるっていうところが特に我が社の会長が好きでこのサービスを導入したんです。」

また「我が社」って言ってしまった。直さなきゃなー。

「このトロフィー、どうしようかな。新しいトロフィーを作ってもらうから家に持って帰れないなあ。」

「こちらでご供養させていただくこともできますよ。ご祈祷してもらってから、お清めした土地に埋めますので、人の目に晒されることはありません。別途料金がかかるので、持ち帰られる方もいらっしゃいますが。」

「埋めるんですか。廃棄するんじゃなくて?」

「古代ギリシャ時代には、オリンピュアにおいてトロパイオンの建立が一部禁止されたらしいんですよ。戦闘の結果ですからね。露骨な表現で相手方を刺激しないようにって理由で全て地中に埋めたとされてまして。せっかくのトロフィーですから埋めてからもご供養いたしますよ。」

 トロフィーを注文して店を出る。この店に来る客の中には、女神像が不倫相手の顔に似ていて困るからと修理を頼む人もいるらしい。それは家庭問題に発展することだろう。隠したい気持ちはわかる。しかし、そんなことまで最近のAIはわかってしまうのか。

 「あなた、お帰りなさい。ずいぶん時間かかったわね。どうだった?」

「はい、牛乳。コンビニ牛乳売れ切れてたからスーパーで買ってきたよ。」

「それでー、トロフィーは作れたの?」

「ATMに人が結構並んでたから、今日はやめたよ。また今度にしたよ。」

「へえ、そんなこともあるのね。」

なんとかごまかせた、かな。

「時間がかかったのは、これ植えようと思ってさ。退職記念だ。」

「植樹?東の玄関前にしか場所ないけど育つかしら。」

「大丈夫だよ。午前中は日が当たるし。スコップあったよね。」

 35年ローンで買ったこの家の東側、猫の額ほどの庭に、俺は30センチほどの穴を掘る。穴の底に最初のトロフィーを置いた。その形は、大手ドリンクメーカーに在職した間ずっと見続けた形、売り続けた形、ペットボトルのそれだった。仕事に費やした半生にふさわしい形だと自分では思っている。人によっては、人生の大半を費やした結果の形がペットボトルだとは寂しい、と思うかもしれないが、その形は紛れもなく俺の戦利品だ。長年勤め上げられたのは妻の存在があってのことなのだが、これを見せては妻は複雑な思いになり、もしかしたら熟年離婚につながりかねない。

 トロフィーの上に軽く土をかけその上に月桂樹の木を植える。こうやって密かに、俺だけのトロフィーを愛でよう。

 

よろしければサポートお願いいたします。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。