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仙台のバカヤロー

 何だか過激なタイトルになってしまったけど、悪口などでは決してない。むしろあの街が好きで、思い入れがあって、その分ノスタルジックになるのだ。

 15年ほど前、仙台の大学に進学した。私の地元を含む地方周辺の人は、仙台のことを「ちょうどいい」と表現することがある。東京は怖いけど、仙台なら。都会過ぎず、適度に田舎。ただのイメージでしかなくて、事実とは異なる部分も多いのだけど。ただ、高校生だった私は確かにそう思っていたし、30歳を過ぎた私も同じ認識を持っている。
 いわゆる田舎から出てきた私は、仙台の輝きに魅了された。駅周辺に固まるお店たち、地元では買えないブランド、出店されていない飲食店、アーケード街の人通り……。都会に来た、と思った。
 4年間という時間を、私はあの街で有効に使うことができなかったと感じている。もっともっと、できることがあったのに。引っ込み思案な性格や慎重さ、などなどでチャレンジに欠ける学生生活だったと後悔している。
 それでも、人生の中で大切な時間だったとは言い切れる。「何もしていない」と言いつつ、いろいろな人・もの・ことに出会ったし、最低限の勉強はしたし、何よりも。「ちょうどいい」なんて表現してはいけない街だと気づくことができた。思い出があるから、というだけでない奥深い魅力がある。うまく言葉にできないのがもどかしいけど。
 一方で、地元の魅力を考え直さないとな、と思う。生まれ育った場所だから「田舎で何もない」と決めつけていたところがあるから。新しい気持ちで向き合えば、もっと地元を好きになれるのではないか。そういう発想に至ったのは、県外に進学したからだし、その地が仙台だったことも必然だったように思う。

 就職を機に仙台を離れたのだけど、初めはそれを後悔した。転職でまた戻りたいなと考えていた。まあ、社会人生活が続くうちに、割り切れるようになっていったけど。
 私の中の仙台は、時々遊びに行く場所になった。それでよかった。よかったのに、まさかのトラウマを少し抱えてしまうことになった。
 仕事で仙台に出張した日、父が急逝してしまったのだ。そこからなんとなく、「もう行けない」と思うようになった。5年ほど経つ今も、だ。母は「気にするな」と言ってくれるし、そろそろ大丈夫かなと感じてもいる。コロナ禍で自由に移動できなかったりしたけど、段々にいいのかな。

 きっと、仙台は変わっただろう。学生時代の私の思い出を置いて、どんどん進んでいるのだろう。あの街で過ごした日々に、戻りたい。強く思うことは減ったけど、やっぱりこの気持ちは存在し続ける。大切な日々の土台となってくれた仙台に、感謝している。ただ、そんなことを知る由もなく容赦のない進化をする街に、少しだけバカヤローと思ったりする。

 私の好きな小説の一つに、伊坂幸太郎さんの「砂漠」がある。仙台を舞台とし、大学生の姿が描かれている。別に同じような生活をしたわけではないのだけど、自分と重ねて懐かしく感じられる作品だ。
 最後の方に、学生時代を思い出してあの頃はよかったと思うような大人になるな、という内容の言葉が出てくる。読むたびハッとさせられる。そして、あの街に飛んでいた意識をぐっと現実に引き戻し、前を向く。

 私にとって仙台は特別な街だ。頻繁に訪れていなくても、あの街で過ごした時間があることは事実で。またいつか、行きたいなと思う。
(トラウマが~とか書いたけど、コンサートが当選したら確実に行きます。)

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