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雛と皺って漢字が似てると気づかされた【♫きょうぅ~ぉは楽しぃ~ひな祭りぃ~】

少し前に母が「今年もおひなさまちゃんと飾ったのよ」と言っていたのだけれど顔を出せずじまい(都内なのにいつでも行けると思うと近くて遠い場所になってしまう、それが実家)で今日を迎えてしまった。せっかく飾ったのだから、写真だけでも撮って見せてとお願いしたら

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なんか変だって気づきました?


そう、、、菱餅とかのお供え物(のお飾り)がナイ。お飾りじゃなくて本物のひなあられとか飾って、食べてしまったのかと思ったら「とっくに捨てた」とのこと!

さすが断捨離上手な母だなぁとちょっと笑いそうになってしまった。

母は四人兄弟の次女だったのだけれど、長女にあたる母の姉、つまりわたしのおばちゃんの家には、七段飾りの立派なおひなさまがあった。幼い頃、母に連れられておばちゃんの家にあそびに行った折りに「いいなぁお姉ちゃんは。長女だからこんな立派なの買ってもらって~。ずるいなぁって毎年思うわ」と冗談めかして言っていたのを覚えている。

とはいっても、あまり広くないマンション住まいの我が家には七段のおひなさまを飾るスペースなんてなかったし、わたしもどちらかというと日本人形はそんなに得意ではなかったので、羨ましいとか自分もほしいと思ったことはなかった。母も決して本気でほしいと思っていた訳ではなかったと思う。

そうしたらいつだったか、しばらくして我が家にやってきたおひなさまが先程あげた画像のものである。さすがに七段ではなかったけれど、母の母(つまりはわたしのおばあちゃん)が買ってくれたそうだ。なので、コレ意外と年季モノ。(それこそ、お様じゃなくてお様よ、、、だからあえてのかな表記)
わたしは三姉妹だけれど、これを代々引き継ごうなどとは誰も思ってないだろうし、みんな、これは母のものと認識している。(だからお飾りを処分してしまったと聞いてもそっかそっかと思うだけ)

画像だとちんまり見えるかもしれないけれど、これはこれで十分立派すぎるくらい立派で、ちゃんと設置しようとすると“ちょうどいい置き場所”を確保するのが意外に大変なのだ。二月の然るべき時期になると、箪笥の上のものをどかしたり掃除したりして、お内裏様とお雛様がどっちがどっちだったか、とか左近の桜と右近の橘とか、お供え物はどこに置くのかとか(今みたいになんでもググれる時代ではなかったから)調べながら飾っていたものである。
画像には映ってないけれど、これまた立派なぼんぼりもついていて、夜はピンクにぼんやり光っていた。大人になればそんなに気にならなくはなるけれど、まだ小さかった妹達はトイレに行くのにその前を通るのが怖いと言ってたっけ。でもその気持ちはすごくわかる。日本人形の端正な顔立ちがぼんぼりに照らされてるとね、真夜中は確かにちょっぴり怖い。


今はいろんなおひなさまがあるみたいなので、こういうスタンダードなおひなさまは減ってきてるのかな、とふと思ったり。そういえば、数年前に百均でかわいらしい(ちっとも怖くない)おひなさまを買ったけれど、それバタバタしてて飾り忘れてました、、、

おひなさまを早く片付けないと嫁に行けなくなる、なんて迷信もそういえばあったような。あれ?ウチ結構早めに片づけてたのになぁ。てかわたしも片づける以前にもう出してないとか、末期症状かも、、、ごめんねお母さん(苦笑)


なんだか微妙な空気になったところで、、、ひな祭りというと毎年思い出すこのマンガ。

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吉田戦車先生はほんとすごいなぁと改めて毎年再確認


「人間なのにか?」最後のセリフが秀逸。

もうね次のコマがあれば「人間だもの」と某有名なあのことばを勝手に付け足したくなっちゃうわ。

世の中、人間だからこそオソロシイことや嫌なことがたくさん起こってしまう(最近のコロナにまつわる流言蜚語騒動とか)のも事実。深い。

桃の節句にややダークな心持ちになりつつ、今宵も更けゆくなり、、、

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