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『老人と海』

『老人と海』を読み返していた。
ヨルシカの影響で。

それで思い当たった。

クィア。

この小説には女性が出てこない。
「成人」男性も出てこない。

出てくるのは、
「老人」(the old man)と「少年」(the boy)である。

前半部を占めるのは、
「老人」と「少年」の憧憬・思慕関係だ。

そして、老人はEl marではなく、
La marへと乗り出していく。


このことをどう捉えたらよいか。
多々恋愛を謳うヨルシカの文脈の中で。

クィア。

年齢によって男性性を剥奪された、老人と、少年の、
非性器的セクシュアリティ。
同性間センシュアリティ。

ヨルシカは、さらにいえば、ヘミングウェイは、
これを描きたかったのではないだろうか。

穿ちすぎだろうか。

どうだろうか。

遥か遠くへ まだ遠くへ
僕らは身体も脱ぎ去って
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
靴紐が解けてる 蛇みたいに跳ね遊ぶ
貴方の靴が気になる
僕らは今歩き出す 潮風は肌を舐む
手を引かれるままの道
あぁまだ遠くへ まだ遠くへ
僕らは心だけになって
まだ遠くへ 海も越えてまだ向こうへ
風に乗って 僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
僕らは今靴を脱ぐ さざなみは足を舐む
貴方の眼は遠くを見る
ライオンが戯れるアフリカの砂浜は
海のずっと向こうにある
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ

La mar.

母なる、海の方へ。


ライオンのごとく、

戯れることを夢見て。



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