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「幸せvs辛い」に新しい自分で挑むために、今日もカフェに行く

幸せだけど、生きているのが辛くて堪らない。
それは甘えだと思うし。かといって人から「大丈夫だよ」なんて楽観的な言葉を投げかけられたら、それは優しさだと分かりつつも、「は?お前に私の気持ちなんて分かるか」とモヤモヤするし、じゃあ放っておかれるのがいいのかといえば、それはそれで心の黒ずみは広がっていくし。そして追い討ちのように、そんな思考サイクルを辿るしかない自分への自己嫌悪大会が始まる。

最近SNSでも近くにそういう人が増えたなという気がしている。私自身がそうだから、めちゃくちゃ首を縦に振って共感してしまう。

君だけじゃないよ。
私だけじゃない。
「こんな風に思ってしまうのは自分だけだ最低なやつだ」なんてさ、思わなくていい。

あ〜もう、分かってる。
流行っているから辛さが軽減するなんて、そんなわけない。人に言われて、「そうだよね、皆も辛いんだよね。元気出たわ」なんて…アホか。

もどかしいけどね〜、結局自分の心の問題は、自分で納得して乗り越えていくしかない。


そんなことを考えて、考えて考えて。
きっと同じ自分のまま考え続けたって、考えは悪い方悪い方に沈んでいくに決まっている。だから、誰かと話して、新しい体験をして。昨日とは少しだけイコールじゃない自分が考える。一貫した考え方っていうのも大事だけれど。意見をコロコロ変えるのは不誠実とされるけれど。
考えを変えられるって凄く、尊い事なんじゃないかなとも思うよ。


だから、自分に新しいを取り込むために、知らなかったカフェに行くんだ。

カフェドゥラプレス
ショコラテリーヌ

お店の雰囲気が好き過ぎた。
日常の中の非日常。それがカフェや喫茶店の魅力の一つだよなあ、と改めて好きになる。

どれもこれも魅力的過ぎるメニューの中で、私が好きで好きで堪らないショコラテリーヌを……想像を超えて可愛い。
薄めのカットで二枚ずらして並べてある感じとか、ちょこんと乗ったカカオニブとか、喫茶店のレトロ感をも醸し出しているバニラアイスとか、その下に隠れ見えるフレークとか、控えめに上品なお皿とか。

もう全部が可愛い。

滑らかさが度を超えていて、なんというか「なめらか」って単語で合っているのかさえ不安になる。ひっかかり的なものが皆無だ。
でも「消える!!」というような軽さとも違う。ちゃんとそこに在って、じっくりと染み渡る密度がある。チョコ単体のビターな深みも、バニラアイスとの魅惑的な溶け合いも、フレークが加わる芳ばしさも、全部の時間が充実している。

ショコラテリーヌとして、王道な美味しさもあって、でも初めての個性も楽しめて。クラシカルな世界観を体現している。


ドリンクがこれまた面白い。

記者たちのカフェ。弁護士たちのカフェ。裁判官たちのカフェ…。

どれも心惹かれるけれど、その日は機械の不調とかで必然「弁護士」になった。

コーヒーに……

卵酒を入れる!!!
弁護士のように弁舌爽やかに......。
人前での発表とか大の苦手なので、そういうのにあやかりたい!!!

そして…おや、おやおやおや…?
えっ!!!!

ぐわあぁーーーん!!!

コーヒーの中に、シャンデリアが浮かんだ!!!!
素敵過ぎる…!!!

こんな素敵な体験をする前の自分と、した後の自分。
そりゃあ、同じだけど違うよね。


今日食べるものに困っているわけじゃない。
帰る場所が無いわけじゃない。
誰からも否定されているわけでもない。
大きな怪我や病気を持っているわけでもない。
明日も多分平和に生きている。

あぁそうだね、幸せだ。
分かってても辛いなあしんどいなあ、と泣いてしまう心を、少しだけアップデートした私が新しく見る。
確かに確かに、今、楽しいと思えてる。幸せだなあと思えてる。
ちゃんとそう感じられる自分も、何万回だって存在してる。

そういうことを繰り返して私なりにちゃんと生きる為に、今日もやっぱりカフェに行くよ。

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