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「普通」の幸せがなんだ。あけましてパフェ、あけましてケーキ。

あけましておめでとうございます。
皆様どんなお正月を過ごしているでしょうか。

私は普段の休日と変わらず、カフェ巡りに出陣して、本を読んで、街や本屋さんをグルグル歩き回って……。

1人でも大変楽しく過ごしております!
休みもっと欲しい!

「実家に帰らないの?寂しくない?」
何度も言われた。
私はどう答えていたっけな。適当な言葉で濁しつつ、ちょっと心がモヤッとする。

今年はお正月とは少しずらしてだけれど、4年振りくらいに実家に帰る。
それを話すと「良かったねえ、ご両親も喜ぶでしょう」と言われる。

あぁ…なんで。
確かに私の家の場合も喜ばれはするだろう。私だって楽しみじゃないわけじゃない。でも、皆がそうじゃないだろう。各々の事情を抱えているだろう?相手のご両親が他界してたら?虐待を受けていて逃げている人だったら?そういう可能性を考えずに言っているんだろうな。私だってそう…手放しでワクワクできているわけじゃない。

数年も時間を空けると、新しく増えたものよりも失ったものの方が多かったりする。祖父母が亡くなってから一度も帰っていない。色々なゴタがあって、懐かしい彼らの家に行くこともお墓の前で手を合わせることも二度とできない。それに家に帰っても全員が別々に暮らしているから、顔を合わせるとしても数分がせいぜいだろうか。

そういうアレコレを考えると、ちょっと憂鬱だったりもする。


年末年始は家族で過ごすのが当たり前。
実家に帰れば温かな家族が当たり前に迎えてくれて幸せ幸せ。

こんなにも多様化が謳われた世の中になっても、狭いコミュニティーの中ではまだまだそんな「普通」の枠組みが残っていて。
私はそれに「なんで?」という嫌悪感にも近い違和感を抱いてしまう。しかしやっぱりそういう「普通という名の前提」を武器にしないと雑談なんか成り立たなくいわけで。私自身それを振りかざして、きっと無意識に誰かを傷つけているんだろうなとか思って心に影が落ちる。


大晦日は、何故か後輩たちとヒルトン東京のスイーツビュッフェに行ってきた。

ストロベリー “グルービー”ダイナー

え、なんか凄く嬉しい。
いつだって、人との距離感に悩まされてきた私だ。
「誰かのついで」ではなく、「私」が誘って貰えたことがやたらと嬉しい。

あと流石のヒルトン、とりわけクリーム系の味が美味しすぎる。

1人で過ごすのも自分が楽しけりゃいいじゃねえか、ということが今回の主題だと思うのだけど、多分。
だからといって人と過ごすことを否定するものではなくて、楽しいもんは楽しい。いや、緊張もめっちゃしたけどさ…。ありがとう後輩たち。プロセカあんまり詳しくないから、その辺の話題の時あいまいな返事してゴメン。「どういうのだっけソレ!」とか積極的に聞いていけば良かったかな。あとポケモンのゲーム確かにやりたいなとは思ってるけれど、寝てる間に無限レベル上げすることに課金するほどガチでやりたいわけじゃないんだゴメン…。


元旦は、フラフラ歩いていてもお店はどこも閉まっているだろうなと思って、予約をしておいた。偉い。

C TeaSalon&Bar
栗と珈琲のパフェ

可愛さに打ちのめされる。
「可愛さ」って入力しようとしたら焦って「河合さん」になった、誰だ。
でも河合さんだろうが岩井さんだろうが、みんな可愛いって言ってくれると思う。なんか空気がフワフワしている、可愛い。これに似合うような女の子…には、年齢的に難しいかもしれないけれど、憧れちゃうなあ。

上の細いチョコ、食べながら一部飾りのリースの隙間に落としちゃったのだけれど、あれ除去するの結構大変だろうかとか、凄い不安になった。

…美味しい。

トップのメレンゲがとても印象的だ。
…メレンゲ、か?
私が最近食べているメレンゲとはなんか、違うんだなあ。なんだっけこの甘さ…どこか懐かし…そうだ、綿あめだ。食感は凄くサックサックと軽いのだけれど、可愛らしくアピールしてくる甘さが、綿あめだ。

甘さにほんのりビターさものぞかせているのがまた面白い。

マロンクリー厶は強すぎない。弱い訳じゃない。繊細で、綺麗。美人さん。他のコーヒークリームやチョコとの相性のバランスを調整する…主役なのにバランサーんだ。凄いな。

そこのラム酒ゼリーは、かな〜りアルコールが強くて大人の味わいと呼ぶに相応しい。

ははっ、綿あめの甘さを最初にぶつけてきたというのに、大人の味わいか…。
奇抜すぎずに、でもユニークだ。とても面白い。

カーテン揺れる紅茶が、とても綺麗だ。

珈琲貴族
オペラ

何故2店目…とかそういうのはもういい。なんか最近、休日は2,3店がデフォルメになっている。

良くないのか良いのかよく分からんが、今はそれでいいんじゃないかなと思っている。自由な時間がいつまであるかだって分からないのだ。

よか分からないから、今それが良いと思った道が、多分良い。

あ〜世界観全部が好き。

これは…。なんだろう、パティスリー系だと無い味わいなんだよな。ただ同じ傾向に出会ったことが無いわけじゃない。珈琲にこだわりのあるお店であるタイプの、美味しいチョコケーキ。

冷凍っぽい感じとか、スポンジがガサガサとか、そういう喫茶店っぽさじゃなくて。ちゃんと丁寧な、美味しい味わいのやつ。
珈琲とちゃんと、引き立てあえるやつ。

ビターなんだけど、甘さががちゃんと乗っていて。
いやミルクチョコの甘さにビターチョコを上塗りした感じとでもいうのかな。

カカオ専門店の「カカオ」って感じのとも違う。
「チョコ」って表現したい感じのチョコ。

スポンジの自然に馴染んだしっとり感とか本当にレベル高い。

軽過ぎず、しっかり「個」がある。
これだけでも美味しいけれど、やっぱり珈琲と一緒に楽しみたいケーキ。

ひとくちひとくち、最高だなあ。


確かに年末年始は、家族で過ごすのが一般的な幸せの形なのかもしれない。

でもさあ、それが全てじゃないだろう?

今はこうやって言い訳みたいに書き出さなければ、自分の幸せに疑問符を打ってしまう。
まだまだ「普通」に振り回されているし、そういう感覚も大切なのかなとも思っている。

それでもいつか。
自分の幸せだと思える感覚を信じて、誰にでも自分にもそれが、自分の生き方が幸せだと言える日がくればいいと思う。

そんな風に思えるための道を見つける1年にしたいと思う。


皆さんはどんな2023年にしたいですか?
毎日投稿はやめたのでユルリとしたペースかもしれませんが、今年も悶々と悩みながらのスイーツ物語をよろしくお願い致します。

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