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"好き"の為の代償と〜ドルチェカサリンゴ〜

”好き”を手に入れる為には何を支払えばよいのか。
もっとも分かりやすいのは、お金だ。

お金を稼ぐのが簡単だなんて、ごく一部のプロフェッショナルな御方々のようなことは言わないけれど。それでも、いくら稼げば手に入るかが明確であるならば仕事だって頑張れるというものだ。

でも世界はそんなに単純ではないようで。
お金だけじゃ手に入らないものもある。
必要なのは、そう、
例えば「時間」とか。

行きたいパフェのお店があった。
どうしても、行きたかった。

これまで何度か訪れたことがあるけれど、その時はタイミングが良かったのか並ばずに入ることができた。

でも今回は、開店30分前に行ったけど…くぅ!残念!!
二巡目!!!

最初に入った人が注文して食べ終わって会計して~...って間、マルっと待つ必要があるからね。
これは結構、長い。

私が入れたのがオープンから1時間後だから...

往復(3時間)
待ち(1時間半)
滞在(40分くらい?)

ほほう、ひとつのパフェの為にかける時間が、5時間を超える。
地元・秋田に帰れる!
ディズニーランドで人気アトラクションに乗れる!
そういう時間だ。

人生におけるパフェの優先度が然程高くない人と一緒に来ていたら、イライラさせていないか気になって胃をおかしくしていたかもしれない。

その辺り、1人だと気が楽だ。
私は大好きなスイーツの為ならば休日全てを差し出しても構わないし、読書が好きだから待ち時間はそれほど苦に思わない。

並んでいる間「水光舎四季」という小説を読んでいた。

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少しだけ不思議な力を持った子供達が紡ぐ物語。
あまりに美しい文章表現に心が震える。普段ふと視界に入って何も思わないような草木を、こんなに鮮やかに描けるのかと。自分の見ている世界では拾えていない美しさを想って、恥ずかしいような、ワクワクするような、不思議な気持ちに包まれる。

沢山の切ない思いが優しさに変わっていく。
彼らの人生は私にとってキラキラした金平糖のようなもので、カランと私の心のどこかに落ちる。そうやって、本を読むと自分の人生がほんの少し豊かになる気がする。

だから、長い待ち時間っていうのも案外悪くない。
まあ...お腹は空くけどね。


さて、いよいよ順番が来て、席に座る。

カフェ界隈では、もうこれを見ただけでどこのお店か分かる人が多いんだとか。

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私も他の人のこんな感じの写真を見て即座に分かった。分かってしまった。なかなか優秀、といえばいいのか…基準は不明だけれど。

ドルチェカサリンゴ」というお店。

常々思っていたよ。

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こんなに素晴らしいのに、6席くらい?しかない。
並ばない瞬間があるのが不思議だ、すぐに大変なことになるのではないかって。

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以前から素晴らしかったけれど、なんだかもう、凄みというか世界観というか、超えに超えてきているのが見て取れる。
SNSでも度々、話題になってるしね。

そりゃあ並ぶよ。


特に今回のは、凄い。
魅力というか、もう魔力を秘めているんじゃないかという気さえしてくる。

グリオットチェリーのソルベと竹炭とミルクココアジェラートのパフェ

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赤と黒。
なんだこれ、黒魔術的な何かを感じる。
心がざわめく妖艶さに、茶色や白がしっくりハマった落ち着きも混ざり。
不安定と安定の絶妙な均衡。

このパフェは、特に人気が高かったということで、実は既に予定数に達したんだとか。

あぁ、皆パフェの黒魔術によって、気が付いたら食べに行ってたんだ。
分かる、分かるわー。

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上から見ても、可愛い。

てっぺんのチェリーから食べるか、はたまたスプーンでどこかをすくってみるか…性格が出そう。
自由度が高いパフェ、とも言える。

再現しているのは「フォレノワール」。
サクランボとチョコレートを使った、「黒い森」を意味するケーキだ。


グリオットチェリーのソルベとアメリカンチェリー。
この「似ている」を交互に並べているのが、たまらなく良い。
チェリーは種まで入った丸々一粒の他に、半分にカットされているのまで入っていて、たっぷり堪能できる。

黒いジェラートは、竹炭とココア。
まろやかに、甘い。

チェリーやカシスの大胆にキレキレな甘酸っぱさとは対照的で。
この相反する味わいは敵対するのではなく、補い合い調和する。

お互いに邪魔をしない。
ピッタリはまる、心地良い感覚。

茶色いチョコレートが、お互いと合う良いツナギとなっている。

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そうそう、小さく丸っこいマカロンは可愛らしく、なめらかで分厚い生チョコのようなクリームが美味しい。これレジ前とかで販売してたら買っていく人多いだろうなあ。

フワフワと雪のように表面を覆うチョコレートは、「コポー」と言うらしい。フォレノワールも確かにこういうの、乗ってる。

グラスの中は、チョコレートムース・ショコラシャンティクリーム・シャンティクリーム、それにパンナコッタ...口溶け良いそれらの中に潜む、ココアクランブルやチェリーコンフィチュール…

様々な食感を楽しみながら、どんどん食べ進めてしまう。

グラスの底まですくったかと思えば、中央には更に奥深くがあって、紅茶のジュレが爽やかに香る。

”食感”という部分に意識を集中させると、これがまた凄い。
こんなに沢山のふり幅豊かな食感のパレードがある中では、大抵1つくらい邪魔者がいるものだ。
例えば固すぎるアイスとか。大き過ぎるクランブル、とか。

それが、無い。
あえて挙げるのならば、チェリーの種だろうか。
でも種を置く小皿を用意してくれているあたり、優しい。

チェリーのソルベはアイスの実みたいな形をして、比べ物にならないくらい柔らかく、ホロリと崩れる。

クランブルも、しっかりと軽快で楽しい食感を楽しめるギリギリのところで、負担や違和感を全く感じない。
全て計算尽くしなのだろうか。
ひとつひとつ、丁寧に作り込まれているのがよく分かる。

凄いなと、思った。
味わいにしても食感にしても、凄い。

それは総合芸術だった。


食べながら、なんとなく考えていた。
思うように頑張れず、結果も出せない不甲斐なさと、これからもっと頑張ろうという決意。それはまるで、パフェの見せてくれる幻想のようで。

そういう、意識を無意識に繋いでくれるようなスイーツは、本当に凄い。

**

”好き”を貫くために必要なのは、「お金」と、それに「時間」。
あとは「愛」とか。
他にも色々あるのだと思う。

好きを好きでいることは、大変なのだ。
「自分は好きなことばっかやって...」と落ち込んでしまうことは多いし、そういう自己嫌悪は今の満たされた時代、よくある事だと思う。

いいじゃない。

”好き”があるって、凄いことだ。
誇っていい事だと思うし、そういう"好き"提供してくれる人達には全力で感謝と尊敬を。

誰かから認められたい、そんな他人任せの承認欲求を完全に無くすことは無理なのかもしれないけれど。きっとそれだけだと苦しい。

でも自分が誰かを認めることは、そんなに難しいことじゃない。"好き"で繋がる誰かを「凄いな」と思う。それだけで、自分の世界は少し、明るくなるんじゃないかなと。

そんな祈りをもって、本日のお話はおしまい。


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