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貴方が数字で切り捨てた人は誰ですか…

別に怒る程のことではないけれど、誰かの何気ない一言に少しだけモヤっとして、自分でも意外なほどジワジワと嫌な感情が染み広がることがある。

「頭の弱い人っていうのは人口の○%、~~人くらいはいるからさ。」
理不尽な文句を言われたけれど、あいつらの頭がおかしいだけで自分らに非はない。運が悪かったんだ仕方が無いんだ。ってさ。
そんな話。よくある話。

まあ実際そういう災難はよくあることで、「大変だったねお疲れ様~」でよい。私が同じ場面に立ち会ってもきっと、相手の言葉を雑音のように聞いて機械的に対処するかもしれない。

けれど、それでもやっぱりちょっと…モヤッとした。
この人は、何の基準で「頭の弱い人」を分けているのだろうか。どうして自分は正常な人間だみたいな言い方を出来るのだろう。


私の兄は何かしらの精神疾患は診断されているはずだけれど、多分関わったほとんどの人はそんなこと思いもしないだろう。
地頭は私よりずっと良くて中学生まではほとんど学年トップの成績で。今は公務員としてコツコツちゃんと仕事はしているはず。好きなことにはトコトン熱中して突き詰めるタイプ。ただ、ちょっとしたウッカリが多かったり、イライラしやすかったりするだけだ。

多分、短気というところでは親も何かしら「おかしい」と言われるものかもしれないし、メンタルの軟弱さでいえば私も正しさの環から外れている気がする。

でもさ、我が家が特別におかしいとかじゃなくて、世の中を見渡せば、大概の人間、皆そうじゃない?「普通」が基本であっても、どこかしらの要素に「異常性」が見られる。一度でも過ちを犯した人は「普通じゃない」というレッテルをはられる。そうやって「普通」から一人ずつ排除していったらさ、一体何人が残るというのか。むしろマイノリティーじゃない?


別に怒る程のことじゃない。つっかかるようなことじゃない。
でもなんかさ、「あぁ、この人は自分を正しい人間として、知らない誰かを枠からはみ出た人間として分けちゃう人なんだな。私や私の大切な人がその異端者の数字に入っているかもしれないとか、そういうことは思わないんだろうな」なんて。そういうのが積もって、その人と対峙する時にはこういう部分は見せないようにしようとか、少しずつ壁を増やしてしまう。

面倒くさい奴だろう?

きっとそういうことでウダウダ悩まない人間だったら、私はカフェ巡りという趣味にそんなにのめり込むことは無かったかもしれないし、それはもう誰だよ、という感じなので。
今日も明日も、カフェに入ってまたダルダルといらんことを考えつつ、美味しいことに溺れている。


パンとエスプレッソと花束を

仕事途中。急いでいたけれど、メールを返しながら、ササっと立ち寄る。
なんか仕事のある平日にこういうお洒落カフェに寄るのサボってる感じして罪悪感あるのだけれど。お昼休憩1時間は権利だし、咎められることは全くしていない。

チョコレートテリーヌ

ド定番ながら、お店の個性はしっかり出るし、美味しいやつに出会えた時の至福度がヤバイやつ。色々なチョコレートが好きだけれど、生チョコとチョコテリーヌは好きの優先順位にすら乗せられない、チート枠で好き。

アイスも添えられて、お皿が重厚感ある黒で、大きさがまばらなナッツが程よく散らされていて、スパイスも、粉糖も……色々良いな、全体のビジュアルが。ちょこっとピンクを入れてあるあたりも可愛すぎる。「花束」を謳ったお店の独自性がしっかり出ている。好き。

フォークをさしこむと、下まで届くのにしっかり力が要るようなズッシリ感。口に含むと、舌の上でじんわりゆったりと、なめらかに溶けゆく。濃厚なビター。ベリーのような、花のような、赤系の華やかさ。ほんの少しの酸味を含みつつの贅沢な甘さ。重厚感が楽しめつつ、辟易とするような重たさじゃなくて、むしろ味わいは軽やかさすらあって、至福の甘さが膨らみ膨らみ、余韻も長い。

ん~~~チョコテリーヌの美味しいやつだ。

それと添えられたアイスよ……めちゃくちゃ塩味がきいていて、個性的だけどコレが最強に美味しい。溶けやすいということもあって一瞬で食べてしまわないと。罪…。


このお店は味がまず良い。見た目も可愛い。
あとお花屋さん併設で、店内の至る所にドライフラワーが飾ってあるのも可愛すぎる。海老名には行きたいお店の選択肢が色々あるのだけれど、色々あって迷った時には迷わずココに立ち寄ってみる。

可愛過ぎて、悩みが浄化される…。

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