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嫌いを好きになる。その瞬間、世界は変わった。

「嫌いなものもちゃんと食べなさい!」
そんな事を言われて育った人は多いだろう。

甘々に甘やかされて育った私も、言われた。
今聞いてみると、「え?言ってないよ」とシレっとした返事が返ってくるのだけれど、確かに言われた。

嫌いなミニトマトも、アスパラガスも、嫌々食べた記憶がちゃんとある。

私は嫌いなものが多かった。
ピーマンもセロリもトウモロコシも、レーズンやフランボワーズ、それに今では大好きな珈琲も。
何故か、皆が当たり前に飲めるただのお茶や紅茶でさえ。
嫌いだった。

大学で一人暮らしを始めて、好きなものしか食べなくても誰からも咎められないご身分になった。
全部、好きになった。

バイト帰りに「まかない」を持って友達が遊びに来てくれたことがあった。
嫌いな、茄子だった。
でも、せっかく持ってきてくれたのに「嫌いだから」なんて言えずに、食べた。
それは美味しかった。

きっかけは、本当にそんな些細なこと。
その日を境に、どうしてか嫌いだった野菜たちが、ことごとく大好きになった。

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”普通”よりもスイーツを沢山食べる分、野菜を食べることも凄く大切に思っていて。サラダ専門店とか、大好き。

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タンパク質大事。
ということで、プロテイン系も好んで選ぶ。

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野菜が嫌いだった頃にこんなの出されたら、卒倒ものだ。

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今では外食のほとんどをスイーツにしてしまうけれど、時にはこんなチョイスもする。

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見た目も綺麗だよね~。

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誕生日の晩御飯も、野菜おぶ野菜ワールドにした。
幸せだった。

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スイーツの代表格であるパンケーキでさえ、野菜系があるのだから。
やっぱり野菜が好きって大事なことなのかもしれない。
美味しいの世界が広がるもの。

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サンドイッチも、野菜モリモリが嬉しい。

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こんなオードブルを買うのもワクワクが止まらない。
嫌いなものが無いから、全部美味しく食べられる。

モンブランが有名なパティスリー、ラトリエモトゾー。
こういうお店でも、野菜たっぷりケーキがあったりする。

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キッシュとか、ね。

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人参、ほうれん草、紫芋、南瓜。
昔なら、ほうれん草のクッキーとか、悲しさで泣いていたと思う。
今は、歓喜で泣く。


コーヒー、紅茶や緑茶、色々なお茶たちも一人暮らしを始めてから好きになった。

夜中遅くまで好きなことをしていたくて、いつだって睡眠不足だった。
カフェインを、求めた。
気が付いたら、コーヒーが好きになっていた。
ミルクや砂糖を入れなければ基本的にカロリーはほぼゼロ。

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で。美味しい。
どんどん、苦味の強めなコーヒーに惹かれていった。

昔からアリスの世界観が好きだった。
でも紅茶はどうしても駄目で。
アリスのお菓子ってほぼ紅茶味だから、悔しい想いを何度もしてきた。
喰わず嫌いだったわけでもない。挑戦はした。
嫌いだった。

東京に来て、ガストの飲み放題を利用して、紅茶を飲んだ。
嫌いだった。

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あれはどのお店だったかな。
明らかに良いお店の、良い紅茶を飲んだ。

世界が一転した。
美味しかった。

紅茶を好きになった。
今ではアリスの紅茶クッキーも、ガストの飲み放題の紅茶も飲める。

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マリーアントワネットの誕生日を祝えるくらい、紅茶が好き。

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カレルチャペックでお茶全種入りを購入するくらい、紅茶が好きになった。


お茶もそうだ。
お茶が嫌いだった。
修学旅行で京都に行った時、みんなで抹茶パフェを食べた。
嫌いだからと自分だけ食べないわけにもいかず、心の中で泣きながら、ニコニコと「美味しいね」と言いながら食べた。

大学生の頃、京都に旅行に行った。
お茶の名店、辻利。

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信じられなかった。
抹茶が、美味しかった。

お茶が好きになった。

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アフタヌーンティーで抹茶フェアを謳歌するくらい、好きになった。

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お茶の専門店に入るくらい、好きになった。

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通販でお茶のチョコを購入するくらい大好きになった。


今でも、嫌いなものがゼロと言うわけではない。

豆乳系ヨーグルト。
絶対好きだろうと思っていくつも挑戦はしているのだろうけれど、イマイチ「美味しい!」と思えるものに出会えたことがない。

ユーグレナ。
健康食マニアだからスーパーフードも色々試しているけれど、独特な酸味のユーグレナがどうにも美味しいと思えない。
あとミドリムシって言い換えて想像するとちょっと無理で、最近では手を伸ばすこともやめてしまった。

それと最近よく話題にも取り上げられる昆虫食。
あれは無理。生理的に無理。
このまま豊かで平和な人生を進んで行けるのならば、私はこれに挑戦もしないだろう。無理なものは、無理。

タモギタケ。
ヘルシーな食材の代表であるキノコが好きで。
スーパーで偶然見かけた光り輝く黄金のキノコを買った。
一度だけだったので、もしかしたら傷んでいたりしたのかもしれないけれど、食べた瞬間気持ちが悪くなった。
翌日発熱して、2日間寝込んだ。
あれはもう、買わない。怖い。

確かに「嫌いな食べ物がゼロ」とは言わないけれど、まあ普通に生きていたら奴らを食す機会もそんなに無いだろうから、良しとしよう。


「嫌いなものもちゃんと食べなさい!」は、単に健康的な問題なのだろうと思っていた。代替する栄養価の高い好きな食べ物だってあるのだから、別にい嫌いだって、いいじゃないか、と。

でも、嫌いが好きに変わって。
確かに私の世界にそれ以上の「好き」が増えた。

嫌いなものは嫌いなままでいい。
無理に、自分に嘘をついてまで嫌いを好きする必要なんて全然ない。
それでも、とある出会いが世界を一変させてくれるかもしれないから。
「自分はそれが嫌いな人間だから」と枠を決め込んで頑なに拒んでしまうのは少し勿体ないかな、なんて思う。

いつ何処で出会えるかも分からない。
もしかしたら、気付かぬうちにすれ違ったかもしれないし、実は既に手の中に在るのかもしれない。あるいはずっと、遥か遠くに。

己の価値観に響く音を探して。
受け入れて、時には受け入れないで。
変わったり変わらなかったりして、他者との関わりの中で予測できない自分になっていく。
そういうことが、きっと人生の醍醐味のひとつなのだ。

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