見出し画像

32才女、自信が持てない理由

自分の考えや行動に自信を持つことができなくて。

そのときは「よし!こうしよう!」って意気込むのに、
2週間も経てば「これでいいのかな…」と不安になる。

決めたことを、黙々とやり続ける自信が欲しい。
人に何を言われても、どんな言葉であっても、
自分が決めたことだから納得のいくところまでやり抜くと
思える力が欲しい。




2才と4才の育児をしてて思うことがある。

この子たちには私のような「自分に自信が持てない」子にはなってほしくない。

それぞれが自分に自信を持てるように、
「できた!」という経験を増やすように意識している。


お皿洗いができた
洗濯ものを畳めた
食器を運べた
自分で服を着れた
自分でトイレに行けた——――


「よくできたね!」
「すごいじゃん!」
「自分んで出来たの?かっこいい~!」
「ママびっくりしちゃった!」

ニコニコの笑顔で子どもたちをぎゅーっと抱きしめる。

そうしたら、子どもたちも満面の笑みで返してくれるの。

ドヤ!

って表情が、誇らしい。

こうやって人間は自分に自信を持てるようになるんだろう。







私はどんな幼少期を過ごしていただろうか。


母親に「私が自信を持てるように意識したことある?」と聞いたことはない。

我が子のような2才4才のときの記憶は、私にはない。

小学生の記憶なら断片的に、ある。

覚えている昔の母親は、とにかく怒っていた。

ヒステリックに。

「何してるの!!!」

私が小学生のころの母親の姿を思い出して、と言われると

「ちょっとー!あんた何してるの!いい加減にしなさい!」

と鬼の形相で叫んでいる母親の姿だ。


当時はそんなこと考えもしなかったけど、
今の私ならわかる。

子どものころの私は、この姿に恐怖心を抱いていた。


母親に怒られないように。


それが次第に、自分の意思ややりたいことを
考えないようになっていったのだと、私は考える。


もちろん、父や母に聞いたことはないけれど
自己肯定感の低さは幼少期の環境に関係すると言われている。
私はここに当てはまる要素が多すぎる。




大人の私は、自分で自信をつける方法を探していくしかない。

それがとても辛くて泣きたいことも多々ある。
もっと人生が楽しくならないかなって、空を見つめることもある。


やるしかない。


小さなことでいいから、自分にできることをやらなきゃ。

私は今、子どもへの声かけで意識している。

子どもがしたことを言語化すること。
「お片付けしたんだね!ありがとう!ママ見てたよ!」

しゃがんで子どもの目線になって話をすること。
「こう思ったんだね。大丈夫だよ。ママはわかった。」

子どもは、無条件に母親が大好きなんだ。

こんな私でも「大好き!」って言ってくれる。

30年経ったとき、子どもたちに「笑顔の母親」が真っ先に浮かんでくれることを願って。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?