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いい子の怒り


満員電車に揺られながら思った。もしも都会に住んで毎日こんな電車に乗らなければならなくなったら、なんだか性格が悪くなりそうだなって。


大学から帰る夕方、車両の安全確認だか何だかを理由に遅れてやって来た電車の中は、既に人でギュウギュウになっていた。座れる席は当たり前に一つもなくて、仕方なくつり革を握りしめて電車の揺れに耐えた。その電車に乗っていたのは3駅分だけだったのだけれど。

途中、降りるために車内の真ん中らへんから人をかき分けてドアに向かっていたサラリーマンが、思いっきり肩にぶつかってきた。そのときは、私なんとも思ってませんみたいな平然とした顔をしながら、イテーじゃねーか、でもこれだけ人がいたらぶつかっちまうこともあるよなぁ、うんうん、と心の中でつぶやいていた。

でも電車を降りてしばらくしてから、あれ、あのサラリーマンの人、もしかしてだけど私ならぶつかっても平気だと思ったのかな、なんて少しだけ思ってしまった。もし、私がムキムキなマッチョでタトゥーもゴリゴリに入ったコワモテ大男だったら、あの人ぶつかってきたかな?もしくはぶつかった後に謝ったりしたのかな?なんて。(笑)


そんなこと考えたのは、たぶん、高瀬隼子さん著の「いい子のあくび」を読んだばかりだったからだ。


▼以下あらすじ

公私共にわたしは「いい子」。人よりもすこし先に気づくタイプ。わざとやってるんじゃなくて、いいことも、にこにこしちゃうのも、しちゃうから、しちゃうだけ。でも、歩きスマホをしてぶつかってくる人を除けてあげ続けるのは、なぜいつもわたしだけ?「割りに合わなさ」を訴える女性を描いた表題作(「いい子のあくび」)。郷里の友人が結婚することになったので式に出て欲しいという。祝福したい気持ちは本当だけど、わたしは結婚式が嫌いだ。バージンロードを父親の腕に手を添えて歩き、その先に待つ新郎に引き渡される新婦の姿を見て「物」みたいだと思ったから。「じんしんばいばい」と感じたから。友人には欠席の真意を伝えられずにいて……結婚の形式、幸せとは何かを問う(「末永い幸せ」)ほか、社会に適応しつつも、常に違和感を抱えて生きる人たちへ贈る全3話。

「いい子のあくび | 集英社 文芸ステーション」より引用


Instagramで本の紹介をしている人をフォローしており、その方の投稿でこの本を知った。あらすじを読んで面白そうだと思い、芥川賞受賞作ということでより一層興味が湧いた。

フラッと立ち寄った書店でこの本を見かけたとき、手に取って数ページ読み「これは読みたい、買おう」と即決した。

 ぶつかったる。
 まずはそう思い、それから、体が熱くなる。腹の下あたりに火がともる。手足に力が入り、目と耳が冴えわたる。わたしの体が、絶対に許さないと決める。

「いい子のあくび」6頁1行目~


主人公は周りの人から好かれるタイプ。でもなかなかに腹黒い。周りからどう見られるか、どう思われるかを常に気にしており、付き合う人に合わせて話すことも化粧も変えたりする。計算していい子を演じている。でも本人は無自覚で、計算して演じているとは思っていないっぽい。外側はいい子の反面、心の中は結構ドロドロな思考をしている。

ちなみに、この主人公の「いい子」とは清廉潔白というわけではなく、相手によって切り替える目の前にいる人間にとってのいい子でしかない。と著者の高瀬隼子さんが語っていました。

こういう人って結構いるんじゃないかな。私にもそういう部分があると思う。


主人公は、歩きスマホをしている人が向かってきたとき、こちら側がぶつからないようにと配慮して除けてあげるのは割に合わない、と考えている。そして、相手がこちらの存在に気付いてもなお歩きスマホを辞めずに向かってくるのは、相手が自分をぶつかってもいい対象として見ているからだと感じており、そのことに憤りを覚えているのだった。

 駅や街中で人にぶつかられることがあると話した時、大地は信じられないという顔をして、実際に疑っているような声色で「おれ、ぶつかられたことないよ」と言った。何言ってるんだろうこの人、と思った。大地は中学から大学卒業までバレーボールをしていたという。百八十センチ以上ある身長、腕にも足にも筋肉がそれとみて分かるように着いている体。そんなものに誰もぶつかりに行くわけがない。と、そこまで考えて、なんだわたしやっぱりこいつならいいやって選別されてぶつかられてたんだな、と今更のように気付いたのだった。

「いい子のあくび」13頁13行目~

私は、歩きスマホをして向かってくる人を自分から除けることに対して何とも思っていなかった。むしろ相手がスマホを見ていようがいまいが、他人とぶつかったり触れたりしたくないので、自分から積極的に除けたい。

しかし、自分がぶつかってもいい対象として選別されているという発想がなかったので、なんだかハッとさせられた。確かに、もし私がイカツイ大男だったら、私にぶつかりたい人はいないだろう。こちらの存在に気付いていながらも、なお顔を上げずに歩を進めてきたり、平気で体をぶつけてくる人がいたとしたら、それは見くびられているからなのかもしれない。女だから?弱そうだから?

そう考えたら、ちょっとムッとくるような、ナメられたくないって気持ちが湧いてくるような気がする。でも、主人公みたいにぶつかったる!とは思えないなぁ。ぶつかりたくない。。


東京では、駅に近づけば近づくほど人が人に憎しみを持ち、怪我をさせても不快にさせてもいい、むしろそうしたい、と思うようになる不思議がある。同じ人混みでも、混雑した店の中や祭り会場とは違う。駅の人混みだけが、人の悪意を表出させる。強制させられているからかもしれない。みんな、どこにも行きたくないのに、どこかに行かされている。

「いい子のあくび」14頁5行目~

↑これは共感した。特に、通勤通学時間帯の朝。堅苦しいスーツや制服に身を包んで、大して行きたくもない職場や学校までを電車という箱に乗って運ばれていく憂鬱さが、駅構内や車内のあちらこちらにあふれ出しているような気がする。


そんで、バッタの話を思い出した。(急に?)

バッタは、エサが豊富にあり周りに他の個体がいない環境で育つと、お互いを避け合うおとなしい性格になるらしい。逆に、エサが乏しいところに多くのバッタが集中し、他の個体とぶつかり合いながら育つと、群れることを好み獰猛な性格になるらしい。変化するのは性格だけでなく、見た目も大きく異なるんだとか。

人間も、バッタと同じなんじゃないかな。
なんて思ったり。(笑)


満員電車に乗る度に、私は都会に向かないな、と思う。窮屈さの中で湧き出してくる自身の黒い感情に嫌気が差すし、体がぶつからないように足を踏まないように視線で不快感を与えないように、常に気を張らなければならないのがしんどい。

でもそんな電車に揺られながら、毎日お仕事や勉強をしに行く人がたくさんいるんだよね。
みなさん、お疲れ様です。
お休みの日はいっぱい休んでください。


高瀬隼子さんの「いい子のあくび」。収録されている3つのお話全て、正直スパッと気持ちのいい終わり方ではない。でも引っかかりのある嫌な終わり方でもない。その後が想像できなくもないけど、結局どうなったのか少し気になるくらい。刺さる人には刺さるし、主人公の考えに共感する人もたくさんいると思うので、読んでみてください。私は主人公の心情を汲み取りきれなかったなと感じているので、ぜひ他の方の感想を知りたいです。


あ、あと、前から歩きスマホの人が向かってくるよりも、自分の前を歩いている人が歩きスマホをしている方が嫌だ。前を歩く人がスマホ操作に夢中で歩くの遅いから、抜かそうかなと思って追い越そうとすると急に早歩きになったり、スタスタ歩いてたのに急に立ち止まって振り返ったり。。

駅のホームでよくあるけど、あれこわいよ~~。やめてよ~~。(笑)




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